night 21 : Inquieto


( Allen )

 鏡を見た瞬間、ラビめ……と僕は思わず頭を抱えた。証拠はないが、今のメンバー内でこんなことをするのは彼くらいだ。
 大勢に知られる前に気づけてよかったという気持ちと、一番見せたくなかった人に教えてもらったショックとでなんとも複雑な心境だ。僕は大きく息を吐き、顔中に広がるラクガキと戦うべく両の袖をめくり上げた。

 皮膚に染み込んだ墨を落としきるのは結構な労力だった。擦り過ぎたところがほんのり赤くなってヒリヒリする。
 顔が綺麗になったついでに、左目を覆っていた眼帯も剥がしてしまった。まだ目は開かないけれど、痛みはもうないし、これにもラクガキされていたし。
 それにしても。これから向かう先のことを考えて、つい大きなため息を吐いてしまった。師匠との壮絶な過去を思い出すと胃が痛くなる。そのうえ、うたた寝中に悪夢まで見てしまう僕の体は本当に正直者だ。

 そろそろ座席に戻ろうとトイレから出たところでリナリーと鉢合わせした。壁に寄りかかって、物憂げに窓の外を見ている。そういえば巻き戻しの街から戻って以来、顔は合わせていても、まともに会話していないことに気がついた。
「リナリー、なにしてるんですか。こんなところで」
こちらに気づいたリナリーが、いつものようにニッコリと笑みを浮かべ……て……。
「別に」
それだけ言うと、リナリーはさっさと隣の車輌に戻って行ってしまった。顔は確かに笑っていたのだけれど、声と雰囲気はまるで正反対のもので。僕はショックでしばらくその場に立ち尽くしていた。

 座席に戻ると、僕以外のメンバーはすでに席についていた。向かって右側にラビ、左側にブックマン、リナリー、さん。ついさっきイタズラされたばかりだが空きスペースの問題で僕はラビの隣に腰掛けた。
「なんだよもう取っちゃったのかよ。面白い顔だったのに」
僕だけに聞こえる声でそう言って、思い出し笑いしているラビを睨みつけた。
「ホントやめてください」
「しゃべるなそこ」
僕の声に被せるようにブックマンの叱咤が飛んだ。僕は何もしていないのに、ラビと居ると、まとめて一緒に悪ガキ扱いされる気がする。

( Heroine )

 いま私たちはドイツを東に進んでいるらしい。というのも、ティムキャンピーがさっきから東の方向をずっと見ているからだ。ティムは製造者であり契約主でもあるクロス元帥のことをどこにいても感知できるのだとコムイさんが言っていた。ただし、距離が離れていると漠然とした方角しかわからないらしいが。
「一体どこまで行ってるのかなぁ」
リナリーが地図を見ながらポツリと呟いた。
「クロス元帥って経費を教団で落とさないから領収書も残らないのよね」
そのうえ連絡もよこさないので、もう四年近く彼の所在は不明のまま。が最後に彼を見たのもたしか四年前だ。
「じゃあ生活費とかどうしてんの。自腹?」
ラビは元帥をお金持ちと予想したらしい。けれど、すぐさまアレンくんがうんざりした表情でそれを否定した。
「財源は主に借金です。師匠っていろんなトコで愛人や知人にツケで生活してたので」
領収書が切れるなんて入団するまでボク知りませんでしたよ、とアレンくんは言った。それを聞いて、四年分の生活費を借りたお金だけで賄えるものなのか……と疑問に思っていた矢先。
「ホントにお金がないときは僕がギャンブルで稼いでました」
(おまえそんなことしてたんだ……)
何気なく続けられたアレンくんの言葉に、その場にいる全員が凍りついた。好青年を絵に描いたような彼のイメージにそぐわない、ギャンブルという単語。ーーでもたしかに、たまに黒い部分が見え隠れしている気がしないでもない。

 アレンくんはその反応が予想外だったようで、キョロキョロとみんなを見回して狼狽えている。それほど、ギャンブルは既に彼の日常に馴染んでいるということか。意外な一面を知ったついでにあらためて彼をまじまじ観察していると、目が合ったリナリーに視線をそらされ、密かにショックを受けているところを目撃してしまった。
「ところでアレン。左眼はまだ開かぬか?」
ティムに髪の毛をよじ登られつつ、ブックマンが言った。
「お主には早く眼を治して見張りをしてもらいたい」
 これからは汽車での移動が多くなる。人間との距離が取りづらい閉鎖空間では、迅速な判断を下すためにもアレンくんの左眼はとても重要だ。
「……はい」
アレンくんは、リナリーに視線を送りつつ力ない返事をした。

( Allen )

 ブックマンたちと話をしている間ずっと、リナリーは僕と言葉を交わすどころか目を合わせようともしなかった。そして汽車が次の駅に着いてすぐ、彼女は僕と同じ場に居るのを嫌がるかのように、足早に車両を降りて行った。ここまで彼女に冷たい態度を取られるなんて出会ってから初めてのことで、胸がギュウッと締め付けられる。
「アレンくん、どうかした?」
ラビとブックマンが席を立ってから、タイミングを図ったかのようにさんに声をかけられた。もしかしたら、さっきからの暗い気持ちが顔に出てしまっていたのかもしれない。
「リナリーなら、あそこにいるわよ」
案の定、バレていた。さんが指さした方向を見ると、窓ガラス越しに、リナリーが出店で買い物をしているのが見えた。
「ずっとこのままじゃ嫌でしょう?」
トン、と背中を押される。たしかに冷たくされてショックに打ちひしがれている場合じゃない。ちゃんと、あの時のことを謝らなければ。
「僕、いってきます」
文字通り後押ししてくれたさんにお礼を言って、僕はリナリーの元へ急いだ。

このあと無事、仲直りできたようです。