night 17 : Parlando


( Heroine )

 あんなのでお礼になったかどうかはわからないが、彼の反応を見るに、少なくとも嫌がられてはいないようだった。硬直してしまったラビから視線をはずし、うしろへ倒れこむようにして布団に体を預ける。急に圧迫されて空気の抜けた音を吐き出す枕も、布団も壁も、一気に視界を埋めた天井も、やはり目の覚めるような白だった。
 白、といえば。
「……ねぇラビ。アレンくんの部屋、どこだかわかる?」
返事を待つあいださえもどかしく感じ、すぐに起き上がってブーツを履いた。そして、少し冷えた空気にようやく気づく。今までふとんに包まれていたせいであまり気にならなかったが、窓を見ると、雪が街じゅうを覆っていた。この積もり具合を見るに、ずいぶん前から降っていたんだろう。
 あわてて肩を貸そうとするラビをやんわりと手で制し、立ち上がる。
「もう動いても平気なんか?」
「うん。個々の傷じたいはけっこう浅いみたい。ちょっとしみるけどね」
女としては不幸中の幸いというべきか、顔には一つとして傷がなかった。だがその幸運が別のところで現れればよかったのに、と思ってしまうは相当な仕事馬鹿なのだろう。そんなふうなことを言うと、ラビは苦笑した。

 ラビが病院に来ていたことだけでもかなりの驚きなのだが、アレンくんの病室の入り口では、なんとコムイと出くわした。
「あ、ちょうどいいところに来たね。今からアレンくんの腕の修理をしようと思ってたんだ」
彼がわざわざ出てきて病院まで足を運ぶなんて、普通では考えられないことだった。腕の修理くらいなら、教団に戻ったときにでもできるはず。もし生死に関わるほどの重傷者がいたとしても、多忙な科学班室長がその場に立ち会う必要などない。他の可能性を考えながらも、は彼に背を押されるままアレンくんの病室に入った。
「ラビ、誰も入ってこないように見張っててよ」
ヘーイという緩い返事が聞こえたのとほぼ同時に、閉じられていたアレンくんの瞼がゆっくりと開いた。現状把握に努めているのだろう、少しの間。コムイは持ち出してきた椅子に腰掛けながら、まだあまり意識のはっきりしていないアレンくんに声をかけた。
「や。目が覚めちゃったかい?」
「コムイさん!? あれっ、さんも! え、ここどこ!?」
薄暗かったミランダさんの部屋から一転、今いる場所は全面が白。加えて、身に纏っていた団服もいつのまにか他のものに替えられている。とまどうのも無理はなかった。
「ここは病院だよ。街の外で待機していた捜索部隊から、街が正常化したとの連絡を受けたんだ。任務遂行、ご苦労だったね」

 コムイまでもが直々に病院へ赴いた理由云々については、後に話してくれるらしい、とはいってもすでに大方予想はできていた。ノアの出現についてだろう。彼が動くほどの口実なんて、それくらいしか思い当たらない。
 アレンくんとラビの初(はつ)対面は、神田のときのそれとはうって変わって和やかだった。というより、ことが進むあまりの早さについていけず、ラビの言葉をただ曖昧にアレンくんが復唱しただけなのだが。それでも衝突が起きないあたりなかなか相性が良いようだった。
 ブックマンがアレンくんの左眼の治療をするということでそこは彼に任せ、と、一つめの役目を終えたコムイはリナリーの病室に戻ってきていた。仕事を処理するとまではいかないが、コムイのために書類と文献の整理くらいならできる。何もせずただただアレンくんの病室に居座っているよりは、いくらか有意義だと考えてのことだ。

 病室だというのにすっかりコムイ専用の仕事場と化してしまったリナリーの部屋を見て最初は驚きもしたが、雰囲気は教団の司令室そのままな気がして、すぐに慣れた。くずれ落ちてきそうな本の小山や床に散乱した書類も、規模は違えど本部そっくりだ。病院独特の清潔すぎる空気だって、気にしなければどうということはない。
 ペンの走る音が妙によく聞こえるなと思っていたのだが、実際、ただの気のせいではなかったようだ。そう簡単に処理しきれそうもない仕事の山が待っているのだから、作業スピードは自然と早くなる。それに伴い音も大きくなってしまうのはごく普通のことだった。
「いやぁ〜助かるよ。でも、病み上がりなのに悪いね、手伝わせちゃって」
「ううん、いいの」
 こんなところにまで仕事を持ち込むくらいだから、きっと本部も同じように労働地獄なのだろう。普段から睡眠不足ぎみの彼らがさらにフラフラしている様子を想像するのは、あまりに容易だった。そう弱音をぶつけてこないから忘れがちだったが、体力の消耗も怪我の心配もないデスクワークだって、時間を重ねればかなりの苦痛に違いないのだ。
「なんだい、急にそんな、しおらしくなって……」
「コムイが過労で倒れちゃったら嫌だなー、と」
思い当たるところがあったのかコムイはうっと言葉を詰まらせたが、次の瞬間には笑っていた。ただ、それは嬉しさからくるものではなくて、を気遣っているふうだったが。
「むしろ、つらいのはエクソシストのほうだよ。僕は伯爵の闇の中にきみたちを放り込むことしか、していない」
「でも、そのあと内心平気でいられるほどあなたは非情じゃないでしょう?」
 確かに表面だけ見れば、エクソシストばかりが苦しんで傷ついているように思える。けれど送り出す側も、安全な場所にいてただ事務処理だけしていればいいというわけではないのだ。そして、望んでいなくても必然的に団員を駒として扱うよう強いられてしまう彼の立場は、もしかしたら、たちよりも、苦しいのかもしれない。
「だから、できるだけ負担を軽くしてあげようって思ったの」
整理し終えた書類のほとんどがまだ未処理だと思うと、当人ではなくても気が遠くなる。まるでただの部屋の雰囲気作りかとも思えるような、この山を、一人で片付けなければならないのだ。本当はもっと手伝えられればいいのだけど、能力や立場に限界がある。
 が次の作業を探していたのを見かねてか、コムイは静かにペンを置いた。
「助かったよ、ありがとう。最後に おいしいコーヒーいれてくれると嬉しいな」

 気を使われたのは不満だったが、それでも、睡魔を取り払う手段を欲しているのは本当なのだろう。彼は気づかれていないと思っているようだけれど、視線を外したとき、耐えきれずにこっそり舟をこいでいたことをは知っている。
 せめて少しでも美味しいものをつくってあげようと試行錯誤して帰ってきてみれば、案の定、コムイは書類だらけのテーブルに奇妙な体勢で突っ伏し小さくいびきをたてていた。わざとしっかり物音をさせているにもかかわらず、彼は起きる気配を見せない。
 起こすべきか見守るべきか。彼の疲労度を知っているにとっては、あまりに決断しにくい状況だった。
「コムイさん、入りますよ」
せめてせっかくいれたコーヒーが冷めないうちにはどうにかしようと考えていた矢先、治療を済ませたアレンくんが何も知らずにドアを開けた。それでもコムイは起きない。
「あれ。さん。僕てっきりラビと一緒のトコにいるんだとばかり……」
本の山に埋もれてしまっているリナリーに気づいて言葉に詰まったようだった。まるで第二の執務室と呼んでもいいほど、病院とは完全に別世界のような部屋だ。無理もない。
「んー、アレンくんが来ちゃったら話は別ね。コムイを起こさなきゃ」
 まず小さく肩を叩いたが、コムイの様子になんら変化はなかった。そのあとも、手の甲をつねったり、マグカップを頬にくっつけてみたり、鼻をつまんでみたり。けれど彼は寝返りひとつ打とうとはしない。やはりあの言葉を使うしかないようだ。
「リナリーが結婚しちゃうわよ。挙式は明日の、」
いつになく静かな起床だった。イノセンス修理に用いるはずのドリルが怪しく光り、なぜか武器として妙にさまになっている。たとえでたらめだとしても、適当な男の名前を出したとたん、相手を闇討ちに行きそうだと思った。完全に目がイッている。けれど、こう毎度同じ方法を使っても効果が薄れないほどの兄妹愛はさすがだった。

 起き上がったときの気迫は相当なものだったが、彼を落ち着かせるのも案外簡単なものだった。つい反応してしまうのは仕方ないにしても、冷静に考えれば、それはありえないことだとちゃんと判断できるらしい。マグカップをぐいと持ち上げたコムイは、熱いコーヒーで舌を火傷したのか小さく顔をゆがめた。
「リナリー、まだ目が覚めないみたいですね」
用意された椅子に腰を下ろしながら、アレンくんはリナリーのほうを気遣わしげに見た。いっこうに意識が戻らないことを心配した様子もなく、コムイは気を取り直して仕事の処理にとりかかる。コーヒーのほうは、冷めるまで手をつけないことにしたらしい。
「長い夢でも見てるんだろう。ブックマンの治療を受けたから心配はいらないよ」
大切で仕方ないはずの妹がこのような状況にあっても取り乱さないのは、彼がブックマンにかなりの信頼を置いているからだ。も何度か治療されたことがあるが、そこらの医者にひけをとらないほどの腕だったことを覚えている。

 コーヒーの湯気が控えめになってきたのを見計らって、コムイはそれをゆっくりと口に含んだ。とたん、カップを支えにしていたらしい書類の山がテーブルからバサバサと落ちた。
「うん。やっぱりのいれたコーヒーは世界で二番目においしいね」
「へぇ、あなた、世界中のコーヒーを飲み比べたことあるの?」
「せっかく誉めてるのにどうしてそういうこと言うかな〜」
コムイの不満をあっさりと聞き流し、床に散らばった書類を気にしていない彼のかわりにかき集めた。この部屋が本格的に司令室と貸すのはごめんだ。
「コムイさん。忙しいのにどうしてわざわざ外に出てきたんですか?」
が再度積んだ紙の束からコムイの右腕を伝って文献の壁を滑り、アレンくんの視線はとうとう部屋を一周した。
「僕やさん、リナリーのため……じゃないですよね。ノアの一族って、何ですか?」

つかの間の休息。