night 14 : Brillante


( Heroine )

 威力が広範囲だったり連射ができるならともかく、私の銃にはそんな上等の機能はついていない。ならば上空で散らばって待機しているところを狙うよりも、ターゲットを決めて動き出したものをまとめて打ち落としたほうが効率がいい。は駆けてミランダさんの隣に転がり込み、いっせいに襲いかかってくる針の山へ向けてトリガーを引いた。一撃で消し去りきれなかった幾本かが肌を掠める。体のあちこちからふき出した血はまるで赤い霧のようだった。
「っ、!」
恐怖とか不安とか、そんなマイナスの感情が一通り入り混じった彼女の叫びは、ほとんど泣いているような調子だった。このままでは本格的に泣きだしてしまいそうなので、は無理をして笑いながら、彼女の手の甲に突き刺さっている杭を抜いてやった。幸いにも他に怪我はない。縫い付けられていた時計から自由になったミランダさんは敵に怯えてじりじりと後退し、とうとう背が壁についたところでびくりと体をふるわせた。
、ごめんなさい、痛、くない?」
「うん。はぜんぜん平気よ、それより、」
痛みはあるが、はこうしてちゃんと平衡を保っている。アレンくんのほうがよほど深刻だった。壁際にはりついたミランダさんは、恐る恐る、ゆっくりと視線を彼に移す。
「しな……死なないで、アレンくん死なないで」
「だ、だいじょうぶ」
ミランダさんの呟きが聞こえたのか、アレンくんは小さな反応を示した。彼女を心配させまいと、地面に手をつき、必死に体を起こそうとしている。けれどもその動きはもどかしいほど緩慢で、彼女ほど動転していないからしてみれば、無意識のうちに自らの状態が危険だと示しているようなものだった。

 彼女もアレンくんの状況に気付いたのだろう、「だいじょうぶ」という言葉を聞いても愁いの色が消える気配はない。それどころか彼のもとへ這い寄り、まるで介抱でもするかのように頭を抱いた。あんなにも怯えていた彼女が、すすんで敵との間に割って入ったのだ。
「なんだメス。なにやってんだ〜?」
嘲るようにアクマが言う。たしかに彼女の細い両腕は、他者を守るにしてはあまりに頼りなかった。そして、恐怖からくる小さな震えも、満足に歩くことさえもままならないほど一向に力の入らない手足も、いつも以上に血の気の引いた青白い顔も。

 突然時計を中心にして地面からほとばしった光の輪は、イノセンスをヘブラスカへ収めたときに発されるそれとよく似ていた。何度も見ている光景なだけに、よけい重なる。けれど近くに適合者がいるぶん、それより何倍も力強い。
 深いものも浅いものも、戦いで生まれた傷口は次第に塞がり、体から抜け出していく「時間」は、悪いもの不都合なものすべてを排出する。時計が止まるような音のあとには、すっかり正常に戻ったアレンくんの姿がそこにあった。
「ア、アレンくん、動けるの?」
己の意志にイノセンスが反応したことよりも、それによって彼がいつもの調子を取り戻したほうが彼女にとっては重要だった。とは言っても、やはり、自分がそんな現象を起こしたという事実にも驚いているのはたしか。ミランダさんの視線は時計とアレンくんとの間を何度も往復し、まるで蝋人形のようだった顔に、微かな赤みが広がった。

 力の入る気配、そして目覚める兆しさえないリナリーを横向きに抱え、アクマの関心をくぐりぬけてドームの中に飛び込んだ。好奇の視線が背中に突き刺さる。体が境界を通過したとたんに不要な時間が吸い取られ、全身のあらゆる痛みが浄化された。
 ゆっくりとリナリーを地面に横たえて頭を抱え、黒いレースのついた袖からのぞく手首を取った。とくん、とくん、と脈はしっかり感じられる。彼女の生存を確認できたとたん、肩の上に乗っていた鉛が一気に羽毛か何かへと昇華したような感覚さえした。今まで無理矢理に平気だと思い込んではいたけれど、やはり不安だったらしい。
「リナリーちゃんは……?」
こわごわと様子をのぞき込むミランダさんは再び顔を青くしていた。すっかり元気になったアレンくんも一緒になって、リナリーの顔を心配げに見つめた。
「だいじょうぶ、ちゃんと生きてるわ。それに、この中にいれば」
時間が体外へ流れ出し、沈黙していたまぶたがゆっくりと開く。ガラスのような瞳に生気が戻った。とたん、そわそわと視線をさまよわせ始めた彼女と目が合う。
、さん? あれ、私、なんで」
かたくなに握り締めていたリナリーの手の中から解放され、ティムキャンピーが勢いよく飛び出す。アレンくんは安心する暇もなくその弾丸を受けてさっそく顔をへこませた。今までの緊迫した空気はなんだったのか、戦闘の最中だということを忘れさせられる。
 彼の横でミランダさんは安心したように細長い息を吐いていた。

 アレンくんが倒れたときにカケラをずっと握ってたの、とリナリーは言った。継ぎ目も欠けもなく完全に元の形をとり戻したティムキャンピーはアレンくんの説教を聞き流し、ぱたぱたと羽音をさせての頭の上に落ち着く。背後で持ち主の短いため息が聞こえた。
 リナリーは起き上がって小さくお礼を言うと、自分の装いを上から下まで眺め回した。
「それはそうと。この格好は? さんのと対(つい)になってるみたいだけど」
四人分の視線が何度か純白と漆黒を行き来した。どちらもレースの使いや丈の長さは同一で、色だけが反転したように真逆のデザイン。
「ふたり並ぶとほんとにお人形みたいね」
ミランダさんがうっとりしながら呟いた。

 彼女のその言葉自体はとても光栄だったが、体の奥底から怒りが込み上げてくるのを止めることはできなかった。リナリーと揃いのドレスを着ていることが嫌なわけでも、自分をめかしこむのが恥ずかしいわけでもない。勝手に服を着せるだけでは飽きたらず、そんな小さなところまでこだわる、あの少女の見せつけがましい余裕ぶりが気に入らないのだ。
?」
 知らぬうちによほど険しい表情をしていたのか、ミランダさんがに向ける瞳に怯えの色が見えていた。彼女のことだから、自分の言葉に気を悪くしたのだろうとか、なんかに誉められても、とか、そんな見当はずれなことを一つ一つ考えているに違いない。いや、今回の場合はの理由があまりに複雑すぎた。
「違うの、あなたのせいじゃない、そうじゃなくて、ね。とにかく、」
が強張った顔から力を抜くごとに、彼女の表情は柔らかになっていく。
 誤解がとけたようで、少しだけ上がり気味だった肩がすとんと落ちた。
「ありがとう、あなたに助けられたわ、ミス・ミランダ」

( Miranda )

 あまりに突然のことで、私には最初、彼女がなんと言ったのかわからなかった。口を小さく開いたまま何度も目をしばたかせてしまう。するとはもういちど私には真似できないくらい綺麗に、にっこりと笑って、ありがとう、とくり返した。瞬間、体の奥がなにかあたたかいもので満たされ、しだいにじわじわと優しく指先のほうまで広がる感覚。生まれて初めてのことであまりに嬉しくて、でもそれが逆に不安を生むものだからの目をじっと見つめてみたけれど、そこには嘘やお世辞なんかひとつだってなかった。
「あなたが発動したイノセンスが、攻撃を受けた僕らの時間を吸い出してくれたんです」
アレンくんが言った。これは夢じゃないかと思った。イノセンスの存在を知ったのは、ほんの数日前。実際によく見たのはついさっき。使い方なんて……いや、むしろ、本当に私が適合者なのか未だに疑っているくらい。私は、ただ、彼らの無事を祈って手を合わせていただけなのに。
「ありがとう、ミランダさん」
気付けばアレンくんやリナリーの目も私のほうを向いていた。その色は優しかった。

( Heroine )

 半球型のドームの中にミランダさんを残し、傷が消えた万全の状態でたちは再びアクマへ挑んだ。リナリーが起こした風の渦はあたりを覆い隠し、狙いどおり敵の目をくらませる。アクマはあまりに突然の場面展開と厄介な障害物に対して悪態をつきはじめた。
 視界に関しては彼ら同様こちらだって不便だけれど、霧発生前に目算しておいたぶんと、絶えず聞こえてくるわずかな声のおかげで居場所はわかる。渦の消えかかったところに三つの、エクソシストではない醜い塊が浮遊しているのを確認し、好都合とばかりに浮かぶ笑みもそのまま、瞬時に数ぶんお見舞いした。ぴたりと揃った三つの爆音に、一つの断末魔が遅れてついてくる。アレンくんがあの音波系アクマをとうとう破壊したようだった。
「へぇ〜、エクソシストっておもしろいねェ」
カサの上で一部始終を観戦していた少女は仲間の残骸を見て気にしたふうもなく笑った。彼女の余裕がどこからくるのかわからない。これだけスムーズにアクマを破壊され、それでも傍観者の体制を崩さない。そうしていられる秘策を隠しているのか、負けない自信があるのか。
 アクマの群れが、カサで低空浮遊する少女の前を固めた。

( Miranda )

 ドームの中も、空気の感触は違うものの外と同じように音はよく聞こえた。
 幾筋もの汗が肌を伝う。手は震え、指の先は冷え切り、縮こまっているはずの心臓は内側から肋骨を何度も強く打ちつけた。最初は「どうして私が」ということばかり口にしていたけれど、今は自然と、この状況を呪ったりしなかった。ここがどこだかわからないから逃げようがないのでよけい踏ん切りがついたのも、ある。けれど一番は、ありがとう、と言ってくれた三人の顔が浮かんで胸がツンとするのだ。私は服のすそをぎゅっと握り締めた。

とうとう怒りのあまり、最後まで少女(またはノア)呼び。