night 10 : Sempre


( Allen )

 温まったマグカップを両手でつつみ、コーヒーの香ばしいにおいで眠気を覚ます。僕たちが最初の客だったようで他のテーブルはがらがらだった。いっぺんにたくさんのメニューを注文しすぎたもんだから店員さんは奥のほうで忙しそうにしている。
 あれからとりあえずゆっくりと街を見回ってみたものの、女の人はけっきょく見つけられなかったし、手がかりになりそうな情報を得ることもできなかった。もしあのとき僕が彼女を見失ったりしていなかったら、さんにこんなに迷惑をかけたりすることもなかったんだろうなと思うと少しだけ気分が沈む。けれど落ち込んでいてもしょうがないので、ものごとを悪いほうへ考えないよう、運ばれてきた料理を食べることに集中した。

 コートの中からティムが飛び出してさんの手にじゃれ始めた。さんの視線が、チキンから腕をたどって僕の肩に移動する。
「アレンくん団服変えたんだね、フードがついてる」
「あ、はい。日々大きくなっていくティムが目立ってしょうがないし、それに」
それに? と、さんは首をかしげた。
「髪の色も隠せるから」
そういえば、さんは初めて会ったときからずっと、僕の髪の色についてとやかく言ったりしなかったことに気がついた。今まで何度も老人に間違われたりして少しだけコンプレックスだったのに、そのことにまったく触れられないから僕もすっかり忘れてしまっていたが。目の呪いのことについても探りを入れたりしないし、グロテスクな左腕を話題に出したりもしない。まさか、僕なんかにさして興味がないなんてことは、ない、といいけど。
「なんで隠しちゃうの」
もったいない、と言ってさんはホットココアに口をつけた。
「だって道行く人には変な目で見られるし、老人に間違われたりするし、散々ですよ」
もったいないもなにも、僕はこの髪の色で得したことなんて一度もない。頭の中で、「モヤシ」という言葉が神田の声で鳴り響くもんだから、気を紛らわそうとコーンフレークをかき込んだ。
「そう。はきれいだと思うけどな、アレンくんの、髪のいろ」

 あまりにじっと見つめられたので、僕自身ではなく僕の髪を見ているんだとわかっているはずなのになんだか恥ずかしくなった。スプーンを口に運ぶことさえとても難解な作業のように感じる。僕は食べるのを中断し、先ほど浮かんだばかりの疑問をさっそく口にした。
「なんでさんは僕の呪いのこととか、髪の色のこと、何も言わないんですか?」
もしかしたらコムイさんたちと一緒にティムの映像を見たのだろうか、でもそんな話は少しも聞いたことがないし、ふつうなら、中途半端に知れば余計に詮索してしまうものだ。決して楽しくはない過去の話を聞かせたいというわけではないけれど、やっぱり、仕事上ただパートナーを組むだけの、それだけの存在だと思われているのだろうかと心配になる。
 さんは、ふっと笑って僕の目を覗き込んだ。
「誰だって触れられたくないことや聞かれたくない過去のひとつやふたつ、あるでしょう。人が他人を信頼するまでにかかる時間はそれぞれだもん、言いたいときに言ってくれればそれでいいの。興味本位で探ったりなんてしないわよ」
そう言ってスープを飲み始めた彼女のむこうに、他の客にまぎれてたったいま店に入ってきたばかりのリナリーを見つけた。

( Heroine )

「これは何。アレンくん!」
チラシの裏に描かれたいびつな似顔絵を見て、リナリーはアレンくんに詰め寄った。彼が食事をとるのも忘れて気まずそうに謝ると、さらに「すみませんじゃない、どうして見失っちゃったの!」と一喝。いつにない彼女の気迫にアレンくんは圧されっぱなしだったが、タイミングよくコーヒーを運んできた店員のおかげで少しだけ勢いが緩和したように思えた。
「そういえば、なんであんなに元気なかったんだろうコムイさん」
お客さんがまばらに増えはじめてきたころ。アレンくんはポツリとそう言って、ちぎったパンを口の中に放り込む。大皿に盛られていたはずの大量の料理はいつのまにか姿を消し、新たに追加されたパンやスープたちがテーブルに広がっていた。
「最近、伯爵の動向がまったく掴めないらしいの。なんだか嵐の前の静けさみたいで気持ち悪い、ってピリピリしてるのよ」
リナリーは思案顔でそう言った。
 机に突っ伏して今にも倒れてしまいそうだったコムイの姿が脳裏に浮かぶ。今ごろまた徹夜でもしてボロボロになっていないだろうか、科学班のみんなはちゃんと休養をとっているだろうか。いつもは任務中に本部の心配なんてしないのに、伯爵という言葉が出てきただけで急に不安になっていくのを感じた。

 落ちたフォークがテーブルとぶつかって小さな金属音を響かせたときだった。とつぜん前に身を乗り出したアレンくんがのうしろを指差して叫んだ。
「この人です、さん!」
ふり向くとそこには、少しだけ似顔絵の面影のある女性。理由はわからないがたちの会話を盗み聞きしていたらしく、居心地悪くなったのか窓から逃走をはかる。以前逃がしてしまったことにうしろめたさを感じているアレンくんは、彼女のスカートの裾を掴んで半ば引きずられるようになりながらも女性を引き止めた。
「なんで逃げるんですか」
妙な体勢で窓から身を乗り出しているので、彼の声はどこか苦しそうだ。
「ごめんなさい、つい条件反射で」
女性もまた、数メートルの全力疾走で息が上がっていた。

 とりあえずまたテーブルについてエクソシストについて簡単に説明し、調査のためにこの街へ来たことを伝えると、さきほどの息切れが嘘のように回復し、少し陰りのあった表情もどこか明るくなった。もう、逃げようというそぶりはない。
「わ、私はミランダ・ロットー。うれしいわ、この街の異常に気づいた人に会えて」
ミランダさんというらしい女性は服も髪も何もかもが黒で、ある意味芸術的だったアレンくん作の似顔絵にどことなく似ていた(線がぐにゃぐにゃしているだけで、特徴はよくとらえているみたいだ)。ティムはの髪で遊んでいる。
「誰に話してもバカにされるだけでホントもう自殺したいくらい辛かったの」
そう言って霧のむこうから聞こえてくるかのように笑うものだから、少しだけ背筋が凍った。目の下の隈と削げ落ちた頬がその雰囲気によりいっそう拍車をかけているのかもしれない。今まで会ったことのないような彼女の人柄に、たちは少し圧され気味だった。
「ミス・ミランダ。あなたには街が異常になりはじめてからの記憶があるの?」
「ええ。街のみんなは昨日の十月九日は忘れてしまうみたいだけど。私だけなの……」
リナリーの問いで急にしおらしくなったかと思えば、
「ねぇ助けて! 助けてよぉ! 私このままじゃノイローゼになっちゃうぅ〜! あなた、昨日私を変なのから助けてくれたでしょ、助けたならもっと助けてよーっ!」
そう言ってアレンくんに掴みかかるミランダさん。始終物静かというわけではなさそうだ。
「うわわっ怖いっ! さん助けて」
がっしりとしがみつかれたおかげで至近距離にあるものすごい形相を見てアレンくんは助けを求めるけれど、我を失っている彼女の力は思いのほか強く、実力行使で引きはがすことは不可能だった。残る手は、口での説得。
「落ち着いてください、ミス・ミランダ! 助けるからみんなで原因を探しましょう?」
「原因ったって気づいたら十月九日になってたんだものぉ〜」
とうとう泣き叫び始めてしまい、アレンくんは困ったように視線を周りに移した。

 急に空気がぴんと張り詰めた。アレンくんの表情は鋭くなり、ミランダさんは叫ぶのをやめて小さくすすり泣いている。席を立ち始めた客たちの様子が、どこかおかしい。
「どうやら彼らも街の人とは違うミランダさんの様子に目をつけ始めたようです。リナリー、ミランダさんを連れて一瞬で店を出て。キミのダークブーツならアクマを撒いて彼女の家まで行けますよね?」
右太もものホルスターに手をかける。アレンくんは席を立ち、手袋を外しながら続けた。
「なぜミランダさんが他の人たちと違い、奇怪の影響を受けないのか。それはきっと、ミランダさんが原因のイノセンスに接触している人物だからだ!」
先頭のアクマをアレンくんが切り裂く。リナリーとミランダさんが店から脱出したのを確認してから、イノセンス発動後すぐに、辺りをただよう無数の球体を狙った。レベル1たちは跡形もなく吹っ飛び、あっというまに残るは人型が数体。

 そのとき、アクマの一体が妙な笑い声を響かせた。頭が割れるように痛い。とっさに耳をふさぐけれど、音だけが原因ではないらしく頭の奥にまで突き刺さってくる。タイミングをはかったように放たれた風の刃を間一髪、銃身で受け流し、音波系アクマの顔面を狙ってトリガーを引く。しかし、頭痛の余韻のせいか頭頂部を少し掠めただけだった。
「うわ!」
「アレンくん!」
大きな地響きがして、見ると、アレンくんの右足に火がくすぶっていた。彼の表情が苦しそうに歪む。炎はすぐに消えてなくなってしまったけれど、ふつうのものより強力なのか、ブーツを貫通して皮膚にまで届いてしまったらしい。
 それを見て気を良くしたのか、三体のアクマがわれ先にとしゃしゃり出た。
「炎より熱いアイスファイヤ。少しでも触れる肉を焼き腐らせる、あっというま」「切り裂こう切り裂こう」「ダメダメボクのヴォイスで脳ミソを破壊したほうがおもしろいよ」
その場が一気に騒がしくなった。しまいには、今までの緊張感はどこへいってしまったのか、戦闘の最中にもかかわらず誰が攻撃するのかを決めるためジャンケンをはじめる始末。この戦いは遊びではないのだ、彼らのおふざけに付き合ってやる義理はない。容赦なく銃弾を浴びせるとアクマはびっくりして飛びのき、本格的に怒りをあらわにした。
「エクソシストぶっ殺す!」
けれどそれ以上むかってくる気配はなくとつぜん一切の動きを止めたかと思うと、何かに操作でもされたかのように、一斉に店の天井を突き破って去っていってしまった。残ったのはボロボロに破壊された無惨な店内と、呆然と立ちつくしているエクソシスト二人。
「なんだったの、今の」
たちはしばらくのあいだ顔を見合わせていた。

ミランダさんの暴走っぷりは見てて楽しい。