night 7 : Elegiaco


( Heroine )

 街へ近づくにつれて、歌声はより鮮明になっていく。アレンくんが帰ってこないことでじゅうぶんに確信していたが、それでも実際に歌声を聴くと、あらためてララの命が再び動き出したということを実感できて安心した。
 アレンくんは階段の上のほうに座り、顔を膝に押し付けて丸まっていた。体の調子が悪いわけではなさそうだが、病院にいたときほどの元気は感じられない。まるでBGMのようにいつまでも聴こえてくるメロディは、砂埃を巻き上げていく風の音を優しくかき消していた。
「なに寝てんだ。しっかり見張ってろ」
「あれ。全治五ヶ月の人がなんでこんなところにいるんですか?」
顔も上げようとしないアレンくんのくぐもった声にも、いつもの覇気がない。神田は「治った」と言って無造作に腰を下ろし、特にその話題に興味も示さずそれ以上のことは口にしなかった。
 階段を上るときの靴音で初めての存在に気づいたようだった。
さん? いたんですか」
隣に座ると、アレンくんは少し身じろぎをした。たしかに「後で行く」と知らせていなかったが、まだ完璧に任務を遂行したわけではないのだから本部に戻る理由がない。あまりに当たり前のことを尋ねるので自然と溜め息が出た。
「あのねぇ、まだ回収が済んでないんだから勝手に帰るわけないでしょう?」
「だってすごく弱ってたみたいに見えたから、」
「コムイからの伝達だ」
答えに困っていたの様子を察したのか、神田はアレンくんの声をさえぎった。神田はそのまま次の任務へ向かい、たちはイノセンスを届けるためにいったん本部へ帰るという段取りらしい。いつのまにかアレンくんの注意はそちらへ向き、好都合にもの体調は完全に話題から外れたようだった。

「辛いなら人形止めてこい。あれはもう「ララ」じゃないんだろ」
いっこうに顔を上げようとしないアレンくんを見かねて神田が言った。けれど、アレンくんが自らの手でララの心臓をあっさりと取ってしまうなんてあるはずがない。今まで、命を掛けてまで彼女との約束を最優先に行動してきたのに、ここへきてそれを破るのはあまりに愚かなこと。もちろんもその考えに従うつもりだった。
「甘いな、お前らは」
いつのまにかも一緒くたにされていることに少し驚いたが、それも仕方がないと妙に納得できた。神田に刃向かってまでイノセンスの保護を遅らせたのは他でもない、このだ。結果としてはうまくいったが、もしも失敗していれば謝罪だけでは済まされなかった。
「俺たちは「破壊者」だ。「救済者」じゃないんだぜ」
ひときわ強い風がふいて、からからに乾いた空気が頬を撫でた。歌はもう、いつまでたっても聴こえてこなかった。
 彼は、はっきりとものを言う。そしてそれはいつも正論だった(彼と他者との衝突が絶えないのは、余計な配慮で飾らずに真実だけをストレートに言うことが原因でもある。もっともすぎて反論できないところが相手の癇に障るのだ)。けれどもは今回の行動を悔やんだりはしない。いくら「破壊者」と言えども、方法は何であれ、誰かを救うことは可能だと思うのだ。
「ありがとう、壊れるまで歌わせてくれて。これで約束が守れたわ」
動かない人形(ララ)に、最初で最後の笑顔を見た。

( Allen )

 次の任務へ向かう神田と別れ、僕たちは汽車に揺られながら帰路についていた(もちろん今度は飛び乗り乗車なんかじゃなく普通に切符を買った)。やはり上級車両と違って造りは簡素だし揺れは激しいし(錯覚かな?)で、任務明けの僕の体には少しつらい。個室ではないため、トマはイスひとつ隔てた向こう側に腰掛けている。客は驚くほど少なくて、僕とさんが向かい合わせに座って一人ひとつの椅子を陣取っても全然問題ないくらいだ。
「う。だめだわ」
任務と任務をはしごする神田へ労わりの言葉と別れの挨拶をしたとき以来まともに喋らなかったさんが、久しぶりに口を開いた。
「なにがだめなんですか? まさか、まだケガが治ってな」
「眠いの。おやすみなさぁいアレンくん」
「え、っわ、ちょ、さん」
いつの間にかさんは隣にいて、力なく僕にもたれかかってきた。よくこんな揺れの激しい車内で眠れるな、などと感心しているような余裕はない。トマは騒ぎに気づいたのかこちらの様子をうかがい、申し訳なさそうな顔をして言った。
「かなり疲れてるみたいです、心も身体も。起こさないであげてくれませんか?」
トマはさんについて何か知っているようだった。そうさんと関わりのない彼でさえそうなのだから、コムイさんはもちろん、神田やリーバーさんもおそらく。十中八九聞いて嬉しいような内容ではないだろうが、それでも気になってしかたがない。しかし、まだ教団に入って日の浅い僕が根掘り葉掘り聞き出すというのはあまりにも軽薄な行動に思えて、今ここで尋ねることはできなかった。
 僕の肩に頭をあずけて眠るさんは起きているときのような大人っぽさがなく、むしろ僕と同い年くらいじゃないかと錯覚してしまいそうなほど幼げだった。でもよく見れば何もかもが大人の女性のそれで、(病院でシャワーを借りたんだろうか)髪からふわりと香る控えめなローズの香りがいちいち僕の心臓を跳ねさせる。寝返りをうつたびに彼女が倒れこんできそうになるのには、いつまで経っても慣れなかった。

( Heroine )

 アレンくんの声にしきりに名前を呼ばれ、はゆっくりと目を開けた。汽車の揺れは止まっていて、少し遠くでかすかに乗客の出入りを感じる。状況を把握しようと奮闘していると、アレンくんに手を引かれ、気づけばすでに下車していた。いつの間にか目的の駅に着いていたみたいで、マテール周辺の乾燥した空気とは違う夜風を肌に感じる。日はすっかり落ち、夜空には満月が浮いていた。
 肩を貸してくれたこと、起こしてくれたことでお礼を言うと、アレンくんは少し照れたように笑って、繋いだままだった手を恥ずかしそうに離した。今回の任務で落ち込んでいた気分も、なんだかちょっとずつ回復しているような気がする。アレンくんといると自然とあったかくなるから不思議だ。
 薄暗いトンネルの先に小さな明かりがいくつか見えたときには感動さえした。トマの漕ぐ舟に揺られ、ようやく本部へ戻ってきたのだ。病院と汽車の中でたっぷりと睡眠をとったとは違い、ずっとララとグゾルに付きっきりだったアレンくんは眠そうに目をこすっている。どうやら揺れの激しい汽車内では満足に眠ることができなかったみたいだ。うつらうつらしているアレンくんは子どもみたいで可愛らしかった。

「んー。や、っと帰ってこれたぁ」
岸にロープで船を固定して下船。ブーツ越しに、地の感触を踏みしめた。
「もう真夜中だなぁ……回収したイノセンスはどうしたらいいのかな」
大きく伸びをするアレンくんの目の端には、あくびの名残からか涙が浮かんでいる。ずっとおとなしかったティムキャンピーが、びっくりして彼のコートから飛び出した。
「ヘブラスカに渡すのよ。つらいのならが持っていくわ。眠いんでしょう」
さんだけに任せるなんて悪いですよ、僕も行きます」
別に誰が届けたからといって評価や評判が上がるわけでも、イノセンスを強奪されるような危険が教団内にあるわけでもないのだが、アレンくんはそういう部分に妙に律儀らしく、眠たいだろうに付いてくると言って聞かない。自分だけがゆっくりと休んでいるということもあり、そのけなげな姿はよけいにの良心を刺激した。
「まあ、そんなについてきたいのなら別にいいんだけど、ッ、リナリー!?」
目の前で、階段から転げ落ちたかのように倒れているのは間違いなくリナリーで。外傷は見当たらないが、完全に気を失っている。前言撤回。教団内も、思っていたよりかはそう安全ではないのかもしれない。
「戻ったか、、アレン、」
視線を上げると、満身創痍のリーバーが壁に寄りかかっていた。教団のセキュリティはそこまで甘くないはずだ、戦闘集団でもない科学班が傷を負うほど内部にまで敵が侵入しているのだとしたら、相手はかなりのつわもの。任務明けだからなどという言い訳は実戦では通用しない。心して、かからなければ。
「逃げろ、コムリンがくる……!」

 ああ、唖然ってこういうことを言うんだな、と漠然と思った。続いて沸いてきたのは、その憎たらしい機械の製造者に対する殺意(教団にいる者ならそれが誰かなんて聞かなくてもわかる)。頭にのっかった帽子の茶目っ気など微塵も感じさせないような硬質ボディをした機械、“コムリン”は、皆の静止の声などお構いなしで、もくもくと破壊活動を続けている。いつも静かなはずの深夜の塔内は、けたたましい破壊音と悲鳴とであふれかえっていた。
 リーバーの話によれば、もともとコムリンは少しでも科学班の仕事を減らしてあげようというコムイの善意から生まれたものらしい。しかし機械ながらコーヒーへと手を出してしまったせいで暴走し、当初のもくろみとはまるで正反対の働きぶりを見せているというわけだ。現状の悲惨さに比べて経緯があまりに馬鹿らしく、ため息しか出てこない。
 リーバーを除いた科学班の面々は、一種の願掛けか何かのように揃って髪を縮れさせている。おそらくあれもコムリン暴走の副産物。ついに我慢も限界を超えたのか、逆四角錐のエレベーターの側面から巨大な銃口が顔をのぞかせた。
 砲撃のターゲットであるコムリンはなおも暴れまわっており、さきほどまでたちがいたはずの場所は大きく抉られていた。驚きと呆れで事態を軽く見ていたが、もしかしたら本当に命が危ないのかもしれない。嫌な汗が背中を流れた。

 ジョニーは操縦桿に手をかけ、コムリンを照準に合わせた。
「科学班をナメんなよぉ!」
塔内部の各所に幾本もの足を突き刺しているその姿は、さながら自身の巣で獲物を狙っている巨大蜘蛛のようで気味が悪い。そもそも、あそこまで巨大につくる必要があったのか。コムリンに求められているものは、仕事の負担を軽減させるための優秀な頭脳と性能だけのはず。あまりに多くの機能を組み込みすぎて小さく収めることができなかったのか男の永遠の憧れなのかはわからないが、なんにしろ、はた迷惑な発明には違いなかった。
 はっきり言って早いところ打ち落としてほしい。しかしその意見にあっさりと満場一致というわけにはいかなかった。製作者自身がコムリン破壊を拒み、今にも砲撃を開始しようとするジョニーへ背後から掴みかかったのだ。するとどこをどう間違ったのか、竜巻のように回転し始めた逆四角錐の砲口は辺り一面に光線を乱射。どこにとんでくるかわからないぶん、コムリンの暴走よりも数倍タチが悪い。
 しばらくして、コムイを取り押さえてくれた科学班の面々のおかげでなんとか砲口の暴発は収まったが、えぐれた床や崩れた壁が元通りになるわけではなく。そして騒ぎの元凶は未だに破壊活動を続けているのだ。いつになったら一息つけるのかわからず、は気が遠くなった。

教団壊滅事件にどう絡みを加えていいかわからないです(深刻)。