night 6 : Affabile


( Heroine )

 このことを盾に自分の意見を押し通そうとは思っていないが、このままララを壊してしまうのはあまりに悲しかった。偶然イノセンスに関わってしまっていただけで、もしこれが人間同士だったならば誰にも二人を邪魔する権利などないはずだったのに。神田は六幻の切っ先をに向け、今まで聞いたこともないような低い声で言った。
「イノセンスの保護と人形の我侭、どっちが大事かぐらいわかるだろ」
どんなに刃先を近づけられても、はこの場から退く気はなかった。ララたちを守るためなら神田と戦ってもいいとさえ、思った。
「まだ負けるって決まったわけじゃないわ。一番いいのは、あのアクマを倒してララの願いも叶えてあげること。任務遂行のために情を捨てるなんては嫌!」
ララとグゾルが息をのんだのがわかった。しばらく沈黙が続き、神田は舌打ちをして、苦虫を噛み潰したような顔で六幻を鞘に収めた。

 一瞬だった。グゾルとララを貫いた鉤爪は彼らを砂中へと引きずり込む。あまりにとつぜんのことで思考が麻痺して何もすることができず、その場に立ち尽くしてしまった。呆然としているたちを中心に、周りの砂が渦巻き始める。
「奴だ!」
突如、アレンくんの背後に上がった砂の飛沫。アクマは姿を現すと同時に、たちへ見せつけるかのような動作で心臓を抜き出した。イノセンスを持っていないララは、動力を失った、ただの人形でしかない。アクマの動きにあわせて横に揺れ、手を離されればそのまま地に落ちた。必死に名前を呼ぶグゾルに応えることも、伸ばされた手を掴むこともない。見開かれた目には、もはや何も映っていなかった。
 奪われた命の源は、アクマの手中でまばゆい光を放っていた。自我を持ったアクマはその美しさに感動し、宝物を手に入れた子どものように満足げに笑った。
 周りの空気の変化に気づいたのはしばらくしてからだった。アレンくんを中心に風が巻き起こり、静電気のようなピリピリとした感触を肌に感じる。彼の左腕は変形を始め、分離と結合を繰り返しながらより大きさを増していった。
 寄生系の適合者は、感情でイノセンスを操るという。まるで自身が発する殺気を反映しているかのように、彼の左腕は禍々しい形に作り変えられていた。
「返せよ、そのイノセンス」
いつもの丁寧な物言いからは考えられないような口調だった。怒りのせいで余裕までなくなってしまったのか、武器の造形ができていないにもかかわらず、アレンくんはアクマに向かって地を蹴る。巨大な銃口に変化した左腕から、凝縮された幾本もの閃光が、アクマめがけて容赦なく放たれた。

 あれだけの攻撃を受けつづけたにもかかわらず、アクマは死んでいなかった。むしろダメージさえも受けておらず、砂の中を移動しながらこちらを小馬鹿にしたように笑っている。イノセンスのないララたちにはもはや用はないのだろう、彼らをどうこうしようと考えていないのは不幸中の幸いだった。
 突如砂中から現れた巨大な手に狙いを定めたアレンくんの目前に、砂を全身に纏ったアクマが迫っていた。右腕を掴まれ、そのまま奴の体内に全身を引きずり込まれる。アクマは趣味の悪い笑い声をあげながら、自らの腹部を何度も、その鋭い鉤爪で突き刺し始めた。いくらアクマ自身はダメージを受けていないといっても、やはり奇妙で気味の悪い光景であることには違いない。アレンくんの殺気が消えていないことに気づかなければ、トマと同様も彼の名前を叫んでいただろう。

 金属同士がぶつかり合うような、鈍い音が響いた。アレンくんは砂の皮膚を突き破ると同時にアクマの鉤爪を圧し折り、さらに左腕を別の形へと作り変えていく。武器を失ってそうすぐに体勢を立て直せるはずがない。刀剣状に変化したアレンくんの左腕によって、アクマの砂の皮膚は真っ二つに切り裂かれた。
 ふたたび銃口へ作り変えられたアレンくんの左腕から放たれる閃光を、アクマは能力も形状も同一のコピーで受け止める。しかし、どれだけ精巧に写し取っても所詮は偽物。対アクマ武器を真に使えるのは適合者だけだ。本物の攻撃に圧され、アクマの腕は朽ちるようにボロボロと崩れ落ち、しだいに形を失っていった。
 そのとき、善戦を見せていたアレンくんの身体に異変が起きた。左腕の変化が解け、大量の血を吐きながら地に膝をつく。それは、体が追いついていないにもかかわらず、成長した武器を酷使した者へのつけだった。そんな好機をアクマが放っておくわけがない。自身も負傷しており最初ほどの余裕もなくなってきているのだからなおさらだ。

 いくら鋭利な爪を失ったといっても攻撃手段がなくなったわけではない。アクマは大きく振りをつけると、狙いを定めて巨大な腕を繰り出した。
 しかしその一撃がアレンくんを貫くことはなかった。神田の六幻がアクマの右腕を受け止めたのだ。辺りに硬質な音が響く。なおもアクマの腕には力が込められ、加えて重力も伴う。まっさらな羊皮紙へインクが落とされたかのように、神田の腹部に巻かれた布へ真っ赤な血がにじみ始めた。
「この根性なしが……こんな土壇場でヘバってんじゃねェよ! あの二人を守るとかほざいたのはテメェらだろ!」
重傷を負いながら片手で相手の攻撃を食い止めているとは思えない声量だった。
「お前らみたいな甘いやり方は大嫌いだが、口にしたことを守らない奴はもっと嫌いだ!」
疼く傷口とふらつく足元を無視して、ホルスターから銃を取り出す。負傷したのが左腕だったことに感謝した。
「ほんとは嫌いなんかじゃないくせに。強がっちゃっ、て!」
狙いたがわず命中した弾丸はアクマの右肩に風穴を開けた。力の弱まった腕は神田の六幻に切り落とされ、アクマは完全に攻撃の手段を失う。
「消し飛べ!」
エクソシスト三人分の力を結集した衝撃は、アクマだけでなく地上の建物までもを円状に吹き飛ばした。爆風と強烈な光が全身を襲い、まるで今までの疲れが一気に押し寄せてきたみたいでその場に立っていられない。体がぐらりと傾き、肌にさらさらとした砂の感触を感じる。しだいに霞みゆく視界の端に、命の灯が見えた。

 染みひとつない白い天井と、清潔なベッド。自分が病院にいるのだということに気づいたのは、目覚めてからたっぷり数十秒経ってからだった。体を起こすと掛けられていた布団がずり落ち、それに気づいたトマがびっくりした顔でふり向いた。
「アレンどの! なかなか目を覚まされないので心配しました」
トマはいつもの服装にいつもの装備。あまり深い怪我は負っていないようだった。ともすると心配なのは、残る二人の安否。
「お二方とも別室で休んでおられます。命に別状はないそうです」
まるで僕の思考を読み取ったかのように、トマはあっさりとそう言った。でもよく考えてみれば、この状況で聞くことといえばそれくらいしかない気もする。トマが読心術を心得ているわけではないことに安堵しながら僕はベッドを抜け出した。
「あの人形たちのところへ?」
「はい。ララとの約束ですから」
トマは文句ひとつ言わなかった。

( Allen )

「あ。アレンくん起きたんだーおはよう」
ここを発つ前に少し寄っていこうと思い、壁に掛けられた名札を確かめてからとなりの病室のドアを開ければ、笑顔のさんに迎えられた。いつもしっかりしたところばかり見ているせいか、りんごを頬張っている姿は小動物のようでなんだか、かわいい。差し出されたりんごを素直に受け取って一口かじると、しばらく何も食べていなかったからか、甘酸っぱいその味を全身が喜んでいるように感じた。
「もう体は平気なんですか?」
顔色もいいし元気だって普段どおりなのに、辺り一面を白に囲まれたさんはいつもより儚げな感じがした。病院特有の雰囲気がそうさせるのかもしれない。
「うん、ちょっと出血多量で貧血おこして全身を打撲してただけよ。もう大丈夫」
そう言ってさんはまた一口りんごをかじった。
「それはちょっとって言わないんじゃ……」
街に着いたとき辺りから元気がなかったし、僕は気が気ではなかった。さんは僕よりもずっと大人だから、意識すれば感情の乱れくらいすぐに隠してしまえるだろう。表面上は明るく振舞っていても、もしかしたら何か悩みを抱えているのかもしれない。いつの間にか考え込んでしまっていて、そんな僕の様子に疑問をもったのかさんは訝しげに顔を覗き込んできた。
「なにぼーっとしてるの。アレンくんこそケガは平気なの?」
びっくりして後ずさると、さんはまたりんごをかじった(食べてばっかりだ)。
「あ、はい、ぼくのケガはあんまりたいしたことなかったみたいです」
さんは、ふにゃっと笑ってフォークを置いた。
「そっか。よかった」

( Heroine )

 ララへ心臓を返しに行くというアレンくんに同行したかったが、いくら輸血をしたといっても体はそうすぐに回復するものではないらしい。心配させまいと彼の前では強がってみたが、実はまだ満足に動ける状態ではないのだ。ドクターの話では、最低でもあと一日は安静に、とのこと。しかしお腹がすいていたのは本当で、看護婦さんが持ってきてくれたりんごをまるまる二個もたいらげてしまった。
 たちが眠っていたのはほんの少しのあいだだったらしい。アクマを倒してから数時間しか経っておらず、急げばララとの約束にも間に合うだろう。
 と思っていたのだが、回復には思ったよりも時間がかかってしまった。ケガの程度もそうだが、精神的なものがかなり影響したらしい。目を閉じれば任務のために命を落としたファインダーたちの姿が離れず、なかなか寝つけない。早くララとグゾルのもとに向かいたいは、自分の体調と思考がもどかしくてしょうがなかった。
 静かで退屈な入院生活からついに解放されるときがきた。寝て食べての繰り返しという楽園のような日々だったが、教団生活が長いせいか、ひとつの部屋にじっとしているというのはどうも性に合わない。時間ごとにドクターの診察を受けるのも(自分の体を心配してくれてのことだとわかっているのだが)なんだか監視されているようで気が滅入った。

 ちょうど神田も目を覚ましたという知らせを聞き、はコートを羽織りながら彼の病室へと向かった。足取りは軽いし頭痛もなく思考がすっきりしている。こんなにのんびりと休暇を取ることなんて久しぶりで、やはり入院して正解だと思い直した。
 ノックをするとぶっきらぼうな返事が聞こえ、やはりどんなことがあっても彼は変わらないなと安心した。神田はまだ役目を果たし終えていない点滴を引き抜きながら、仏頂面でコムイと連絡を取っていた。ふだん一緒にいる科学班の者たちでさえ手を焼くほどのテンションの持ち主だ。人付き合いの苦手な神田がコムイを煩わしがるのは当然と言えば当然だった。それにしても、電話を背負っている居心地悪そうなトマが不憫で仕方ない。
「文句はあいつに言えよ! つかコムイ、俺アイツと合わねェ!」
「神田くんは誰とも合わないじゃないの。あ、でもとはそうでもないかな?」
「合わねェ!」
 騒ぎを聞きつけたドクターが慌てた様子で部屋に駆け込んできた。話を聞けば、じつは神田は全治五ヶ月だそうで。スルスルと包帯を解いていく神田を見て看護婦は顔を強張らせているが、本人はそんなことにはおかまいなしだった。
「帰る。金はそこに請求してくれ」
すかさずトマは名刺を取り出し、呆気に取られているドクターへと丁寧に差し出した。シャツを羽織る神田の体には、全治五ヶ月どころかかすり傷ひとつ残ってはいない。受話器から、コムイと科学班の面々とのやりとりがかすかに聞こえる。
「世話になった。おい、行くぞ」
あわてふためいているドクターたちを綺麗に無視して病院の外へ出ると、穏やかな景色とは裏腹に、少し強めの風が、退院したてのたちを出迎えた。

キリはわるいが長さの限界。というか切断のしどころがわからない。