night 4 : Smorzando


( Allen )

 さんばかり気にしていたせいか、急に神田に声をかけられて大げさなくらいに身体が反応してしまった。崖から見下ろす廃墟は長年の歳月を経て風化しており、まるで、移住していった者への遺恨が町全体からにじみ出ているようだ。神田はファインダーたちの死にあまり動じておらず、それがいいことなのか悪いことなのかはわからないが、僕は彼を少し恐ろしく感じた。
「始まる前に言っとく。お前が敵に殺されそうになっても任務遂行の邪魔だと判断したら俺はお前を見殺しにするぜ。戦争に犠牲は当然だからな。変な仲間意識 持つなよ」
「嫌な言いかた」
そう言い終わるが早いかとつぜん爆音が轟き、町の一角が弾け飛んだ。気づけば僕はすでに駆け出しており、背後でさんが僕の名前を叫んでいるのが聞こえる。爆発の中心部からはなおも轟音が鳴り響き、地面を抉り続けていた。

( Heroine )

 突然駆け出したアレンくんの後を追おうと足に力を込めたが、神田に右腕を掴まれたためそれはかなわなかった。爆音が止み、濛々と漂う土煙の中から、立方体のように張られた結界が姿を現す。おそらくあの中にイノセンスがあるのだろう。そして、助かった人形の変わりにそれを命がけで守り抜いたファインダーたちは。
「離して、あのままじゃアレンくんが……ッ神田!」
「敵に突っ込むよりイノセンスを保護するのが先だ、感情的になってんじゃねぇよ」
掴まれた腕にグッと力が込められた。神田の言うことがもっともすぎて、なんだか歯がゆい。エクソシストにとって最優先されるべきは、イノセンスを守ること。それはわたしたちからすれば常識ともいえる当たり前の約束。自分の思うがままに行動すればイノセンスはアクマ側へと渡り、そのせいでさらに多くの犠牲が出るだろう。左手を強く握り締めると、手のひらに爪がくい込むのがわかった。
「……ありがと、神田」
目指すは半透明の立方体。

 右太ももにあるホルスターから小銃を取り出し、解放後いきおいよくトリガーを引いた。自分の意志だけで操作できるのだから、安全装置や排莢・装填は必要ない。そして弾切れの心配もないわけだが、しかしマシンガンではないため過度の連射はできず少し不便だ。完全にサポート役に徹しそうなイノセンスだが、使いこなせられればそれなりに活躍できる。弾は狙いどおりアクマの顔面を突き破り、そいつを跡形もなく消し去った。続いて神田の一幻。
「あーっ!? もう一匹いた!」
自我を持ったレベル2のアクマはまるでピエロのような出で立ちで、さきほど一掃した球体のようなものよりもはるかにパワーアップしていた。しかしアレンくんに気を取られていて、こちらに向かってくる気配はない。神田がタリズマンを解除し、守られていた二人を手分けして保護する。そうしているあいだにも、そこらに転がっているファインダーの無惨な姿が嫌でも目に入り、まるで心臓に鎖を巻きつけられたみたいに息苦しくなった。のどの奥が熱い。
「ありがとう。おつかれさま」
掠れた声は自分でも驚くほど弱々しかった。

 ひときわ高い家屋の上に飛び乗ると、アレンくんとアクマの位置関係がよくわかった。地面は大きく抉れてクレーター状になっているものの、アレンくん自身はあまり大きな怪我は負っておらず、足元もしっかりしているようだ。
「助けないぜ。感情で動いたお前が悪いんだからな。ひとりでなんとかしな」
やはり神田からは、ためらいや動揺、そんなものがまったく感じられなかった。
「いいですよ置いてって。イノセンスがキミとさんの元にあるなら安心です。僕はこのアクマを破壊してから行きます」
アレンくんはこちらに視線を向けず、淡々とした口調で言い切った。けれど相手のアクマはパワーアップしており、それに加えて能力は未知数。いくら少し経験があるとはいえ、初任務のアレンくんには荷が重い気がしてならない。
「アレンくん」
たちの任務はイノセンスを守ること。もし果たす前にくたばったりなんかしたら、絶対許してやらないわよ。こう見えてけっこう執念深いんだから。
「待ってる」

 この町には地下住居があるらしい。もとは強い日差しから逃れるためのもので、迷路のように入り組んでいて知らずに入れば迷ってしまうが出口のひとつに谷を抜けて海岸線に出られるものがあるということだ。それに加え、さきほどの悪魔は空を飛ぶことができるという。たちは屋根の上を伝うのをやめ、近くの路地へと降り立った。そのとき神田の無線ゴーレムが鳴り、襟元の隙間から飛び出してきた。コウモリのような羽を持った、黒く小さなタイプだ。
「トマか。そっちはどうなった?」
覚悟を決めてアレンくん一人に任せてきたものの、やはり心配な気持ちのほうが上回っている。トマが口を開くまでの間さえもどかしかった。
「別の廃屋から伺っておりましたが先ほど激しい衝撃があって、ウォーカー殿の安否は不明です。あ、今アクマだけ屋内から出てきました。ゴーレムを襲っています」
まるで頭を鈍器かなにかで殴られたような衝撃だった。
「わかった。今、俺のゴーレムを案内役に向かわせるからティムだけつれてこっちへ来い。長居は危険だ。今はティムキャンピーの特殊機能が必要だ」
神田とトマのやりとりが他人事のような錯覚を覚える。今までも何度か目にしたことがあるだけに、もしかしたらという不安を拭いきれない。心臓がやけにうるさかった。

 まるで暗示のように「大丈夫」と心の中で唱え続けていたせいか、いくぶん落ち着いてきたみたいだ。未だ完全ではないが、命がけでイノセンスを守り抜いてくれたファインダーたちのことを思うと落ち込んではいられなかった。
「さて。それじゃ地下に入るが道は知ってるんだろうな」
「知って、いる。グゾル……私は、ここに五百年いる。知らぬ道はない」
焼けただれた皮膚に腫れ上がった瞼、削げ落ちた頬。皺の寄った山高帽を取って現れたその顔は、お世辞にも綺麗とは言いがたい。グゾルというらしい人形は、ふたたび帽子をかぶりながら自嘲気味に笑った。
「お前たちは私の心臓を奪いにきたのだろう」
五百年も動いているからなのだろうか、皺枯れた声は、歌を歌う快楽人形とは思えないほど弱々しかった。いくらイノセンスといえども限界があるのかもしれない。
「できれば今すぐ頂きたい。デカイ人形のまま運ぶのは手間がかかる」

 グゾルの横でずっと黙っていた子どもが弾かれたように顔を上げた。今にも神田が心臓を取ってしまいそうだと思ったのか、グゾルを守るように両手を広げて立ちふさがる。その小さな身体ではグゾルを隠すことができないが、気迫は本物だった。
「ち、地下の道はグゾルしか知らない! グゾルがいないと迷うだけだよ!」
「お前は何なんだ?」
神田の鋭い質問で子どもは一瞬たじろいだ。視線が定まらず、なんと答えていいのか戸惑っている子どもの肩に手を置き、グゾルが代わりに口を開いた。
「人間に見捨てられた子ども、だ! ゲホ、私が拾ったから側に、置いでいだ……」
先ほどよりも一層掠れた声でそう言い、グゾルはしきりに咳き込んだ。
「あの。大丈夫ですか、グゾルさん」
聞こえるのは苦しそうな咳ばかりで、返事をするのもままならないようだった。そのとき階段の階下から、と神田を呼ぶトマの声が聞こえた。物陰からファインダー特有の白い団服がのぞいている。

 粉々になったティムキャンピーはトマの手の平の中で再生を始めた。かけらが宙に浮き、次々と結合して、次第に元の形を取り戻していく。完全に復活したティムはゆっくりと口を開け、鋭い牙の並んだそこから今まで見てきた映像を映し出した。
 ティムの映し出したアクマは、まるで鏡のような性質を持っていた。アレンくんの服や腕、なにもかもが真逆なうえ、偽者の中身は空という、完全に外見だけのもの。そしてただ単に化ける能力ではなく何かで対象物を写し取っており、しかも写し取ったそれを装備するとその能力を自分のものにできる。これが、映像をもとにたちが推理したアクマの情報のすべてだった。
 もしアレンくんの偽者が現れたとしても、左右が逆なのだからすぐに判別できる。そう対応策を考慮した矢先、グゾルたちがいなくなってしまったことに気がついた。さきほどまですぐ前方を歩いていたはずなのだが、角を曲がったとたんに消えていた。
「くそ、あいつらどこに……っ」
顔をしかめて悪態をつく神田のうしろに、黒いコートと見覚えのある白髪が見える。生きていた、それだけで安心して全身の力が抜けるのを感じた。
「アレンく……! 神田、うしろ!」
安堵したのもつかの間、顔の傷が右頬に。やはり対アクマ武器も右腕だった。
「どうやらとんだ馬鹿のようだな」
神田は静かに六幻を発動させた。もホルスターの銃に手をかけ、いつでも抜けるように戦闘体勢をとる。六幻から、偽者めがけて無数の界蟲が放たれた。

 向かって左から伸びてきた腕が、神田の一幻をさえぎる。それはまさしくアレンくんの対アクマ武器に間違いなかった。しかし庇われたほうのアレンくんは再度確かめるまでもなく偽者。わけがわからない。は目の前で起きている状況が理解できず、銃を抜くのも警戒するのも忘れてただただその場につっ立っていた。
「どういうつもりだテメェ、なんでアクマを庇いやがった!」
偽者は完全に気を失っているようで、指先ひとつ動かない。アレンくんは横穴から出て彼の元へしゃがみこんだ。
「僕にはアクマを見分けられる目があるんです。この人はアクマじゃない!」
弱々しくアレンくんの名前を呼ぶ偽者の顔に、わずかな切れ目ができていた。戦いで負った怪我というよりも、被せてあったなにかが破れかけているような。いきおいよく剥ぎ取ると現れたのは、今まで行動を共にしていたはずの、ファインダー。
「そっちのトマがアクマですさん!」
構えもとれないまま壁に叩きつけられ全身が悲鳴をあげる。肺を強く圧迫されたせいで一瞬呼吸が止まり、ゆっくりと霞んでいく視界が突如、深紅に染まった。

ようやくさん視点に戻りました。