night 2 : Calando


( Allen )

 格子づくりの窓から分散された光が射しこみ、重い石の床を明るく照らした。いつもの日課であるトレーニングをこなしたおかげで眠気はいつの間にか吹き飛んでいたが、ずっと暗がりにいた僕の目には少し刺激がきつかった。
 日が出てからすぐに食堂へきたはずなのだが、そこはもうかなりの人数で賑わっていた。昨日さんに案内されたときとは比べものにならないくらい騒がしく、一瞬、耳が麻痺してしまったかと思ったほどだ。そこにいる人たちのほとんどは大人で、話には聞いていたけれど、僕くらいの年は本当に珍しいんだとあらためて実感させられる。彼らの間をすり抜けてカウンターとおぼしき場所に向かうと、奇妙な髪型をした元気のいい男性(なのかな?)がフライパン片手に注文を受け付けていた。黒いサングラスをかけてがっしりした体つきをしているわりには、厳つい感じのしない不思議な人だ。
「アラん!? 新入りさん? んまーこれはまたカワイイ子が入ったわねー! なに食べる? なんでも作っちゃうわよアタシ!」
予想はしていたがここまで変わった人だとは思わなかった。しゃべりかたももちろんだが、朝からこのテンションと付き合うのはかなりの体力がいる。しかし他の人の様子を見ていると、ここに長くいるうちに慣れていくんだろうということがうかがえた。それに、昨日のカンダとかいう人みたいな無愛想よりも、いくらかフレンドリーなほうがこちらとしても助かる。

 頭の中に浮かんできたものをとりあえず。
「グラタンとポテトとドライカレーとマーボー豆腐とビーフシチューとミートパイとカルパッチョとナシゴレンとチキンにポテトサラダとスコーンとクッパにトムヤンクンとライス。あとデザートにマンゴープリンとみたらし団子20本。ぜんぶ量多めで」
「わ。朝からすっごいねアレンくん」
眠そうに目をこすりながらさんがひょっこりと現れた。
「あ、おはようござ」
「何だとコラァ!」
僕のあいさつは野太い怒鳴り声にさえぎられてしまった。驚いてふり向くと、白い服を着た体格のいい男が怒りをあらわにして立ち上がっている。彼の背で隠れていて相手が誰かは見えないが、大声で騒ぎたてているのはその大男だけだろう。食堂じゅうの視線がそこに集中しているのがわかった。
「うるせーな。メシ食ってる時に後ろでメソメソ死んだ奴らの追悼されちゃ味がマズくなんだよ」
声からして、どうやら言い争いの相手は神田のようだった。相手とは対照的に落ち着き払っているが、言っていることには賛同できない。

「テメェ……それが殉職した同士に言うセリフか! 俺たち捜索部隊はお前らエクソシストの下で命懸けでサポートしてやってるのに、それを、それを、メシがマズくなるだと!」
男は涙声で叫び、神田に向かって大きく振りかぶった。しかしいつまで経っても打撃音は聞こえてこず、それとは逆に男の苦しそうなうめき声が耳に届いた。かなりの巨漢であるはずのその体は地面から数センチほど浮いていて、顔は不自然なくらいに上向いている。さきほどまでの威勢のよさはまったく感じられなかった。
「サポートしてやってる、だ? 違げーだろ、サポートしかできねェんだろ。お前らはイノセンスに選ばれなかったハズレ者だ」
あまりに辛辣な神田の言葉に、男と同業者なのだろう周りの者たちは顔をしかめた。男は、もはや返事をすることさえもままならないようで気絶寸前といった感じだ。辺りには気まずい沈黙が続いていた。

「死ぬのがイヤなら出てけよ。お前ひとり分の命くらい、いくらでも代わりはいる」
足が騒ぎの中心に向かうのを止めることができない。
「ストップ。関係ないとこ悪いですけど、そういう言いかたはないと思いますよ」
気づいたときには体が動いていた。長いこと首を圧迫されていたせいか男はすでに気を失っていて、口角からだらしなく泡を吹いている。手首を掴んで締め上げるのをやめさせると、神田は特に表情を変えた様子もなくこちらを睨んだ。
「……放せよモヤシ」
モヤ……っ!?
「アレンです」
個人的な理由で反発したくなったが反応を示すと負けのような気がして平然を装う。
「はっ。一ヶ月でくたばらなかったら覚えてやるよ。ここじゃパタパタ死んでく奴が多いからな。こいつみたいに」
神田の手首を握っている左手に力をこめると、解放された男は支えを失い、まるで人形のようにうしろに倒れてテーブルにもたれかかった。
「だからそういう言いかたはないでしょ」
さんが駆けつけてきて男を運ぶよう指示しているのが背後から聞こえる。
「早死にするぜお前……キライなタイプだ」
「そりゃどうも」
腹の奥がギリギリとねじれるような、激しい怒りを感じる。生まれてからこれほどまでに苛立ったことがあっただろうか。こいつとは合わない、心底そう思った。

「あ、いたいた。神田、アレン! 十分でメシ食って司令室に来てくれ。任務だ」
ふり向くと、大量の書類を抱えた白衣の男の人が、リナリーと一緒に廊下で立ち止まってこちらを見ていた。二人同時に呼ばれたということは任務にも一緒に送られるということだろうか、考えただけでも憂鬱な気分になっていくのがわかる。けれど神田はもう朝食を食べ終わっているのか、食器を片付けて一人でさっさと食堂を出て行ってしまった。実は昨日の説明だけではまだ満足に城内の構造を理解できていないから(さんごめん!)司令室まで一緒に行こうと思っていたのに。でもまあ、さっきあんなことがあったばかりなのに一緒に並んで歩くのはあまりいい気分じゃないし、これはこれで好都合かもしれない。

 司令室への道のりはあとで誰かに聞くとして、僕はとりあえず目の前のテーブルに広がる大量のメニューを片付けようと、もくもくと料理を頬張っていた。
「ここ、座っていい?」と聞いてきたのは、小さなトレイを持ったさん。載っているのは小さなサラダと野菜か何かのジュースだけだった。
「あ、ふぉうほ(どうぞ)……ブふぉ!」
トレイをテーブルに置こうと前傾したイヴさんの、首もとから下へ走る合わせ目。なぜか大きく開かれているその中央部が目に入ったとたん、脳みそがぐらりと傾いたような気がした。
「ありがと、ってアレンくん。きたないわよ」
呆れたようにため息をつきながらもさんはテーブルを拭いてくれている。しかし僕は、お礼を言おうにも彼女へふたたび視線を向けることができなかった。好奇心より欲より、やはり恥ずかしさと理性が上回る。
「あ、りがとうございます。だってさん、その服……」
「ああこれ。この服ね、このへんがちょっとキツイのよ。絶対サイズ発注間違ってるって」
さんは「なんてことない」という風にあっけらかんとしているけど、僕の心臓はかなりのスピードで脈打っていた。口の中に放り込んだクッパの味がわからない。
「ごめんごめん、ほら、もう閉めたから大丈夫。ね?」
見ると、本当に胸元はきっちりと閉まっていた。さんの団服はリナリーのそれよりも裾が長く、サイドには深いスリットが入っていて、中国のチャイナドレスというものに似ている。どうやらエクソシストの団服は一人一人デザインが異なるみたいだ。それにしてもどうしてこう、女性用の団服は露出度が高いんだろう。動きやすいのかもしれないが、別の意味で任務に支障が出そうだと思った。

 十分で来いと言われたことを知っているのか、さんは気を使って食事中まったく僕に話かけてこない。急いでいる身としてはありがたいが、せっかく同じテーブルで食べているのに会話がないというのは少し寂しかった。かなり急いだ甲斐あってか僕はさんより少し早く食べ終わり(なんでサラダとジュースだけのさんよりも十六品頼んだ僕のほうが早いんだろう)彼女がジュースを飲み終えるのを待った。
さん、司令室がどこか忘れちゃったんですけど連れていってもらえませんか?」
「ココ広いもんね、も来たばっかりのときはよく迷ったなぁ。いいわよ」

 さんと二人で廊下を歩くのはこれで二回目だけど、やっぱり彼女といるとどこか安心するような気がした。最近まであまりロクな人と暮らしてなかったから(師匠とか師匠とか師匠とか!)そのギャップのせいでそう感じるだけかもしれないけれど。
「初任務だねアレンくん。緊張してない?」
今までも同じようなことをやってきていたおかげか、心は不思議と落ち着いていた。
「緊張とかはあんまりないですけど……神田とうまくやっていけるか心配です」
そう言うとさんは小さくふきだした。こちらとしてはできるもんなら本気で遠慮したいんですけどね、と冗談とも本気ともとれない風に言うとさんはさらに笑った。
「そんなにイヤなの。最初はとっつきにくいけど結構いいヤツよ、神田」
それはさんに対してだけなんじゃないのかなぁ。あの調子だと普段もいろいろいざこざを起こしてそうだし敵も多そうだ。
そんなことを言ってるあいだに司令室の前まできてしまった。もう少し話していたかったが、これから任務もあるしそんなわがままは通用しない。さんは僕の肩に手を置いて、しっかりと目を見てから微笑んだ。
「いますぐにお別れなわけじゃないとは思うけど……いってらっしゃい、アレンくん」
体の内側がふんわりと暖かくなったような気がした。いってらっしゃいなんて聞いたのは何年ぶりだろうか、みんなが教団(ここ)をホームと呼ぶのもわかる気がする。無事で帰ってきて、「おかえり」も聞きたい。
「いってきます、さん」

アレンくん視点。さん以外の視点から書くのもやっぱり楽しいです。