night 1 : Andante


( Heroine )

 重い装備を投げ捨てて勢いよくベッドにダイブし、なつかしいふとんの匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。醜い断末魔がまだ耳の中で響いているけれど、それももうじき消えるだろう。未だ手に残る不快な感触に自然と表情が歪むが、無傷で帰ってこれただけでも幸運だと考えることにして、は気合を入れて起き上がった。

 食堂に来てみたが席はガラガラで、客の姿はほとんど見当たらない。長期任務だったためずいぶん変な時間に帰ってきてしまったせいか、座っているのは、一緒に組んでいた神田ユウだけだった。料理長のジェリーに注文を告げると、彼は上機嫌でフライパンを手にとり、鼻歌混じりに豪快な調理を始めた。これ見よがしにわざとらしく正面の席へ腰を下ろしても、神田はこちらへ視線ひとつよこさない。しかし、彼もまた無傷でそのうえ服に汚れさえ付いていないが人並みにおなかは減っているんだと思うと、なんだかおかしかった。
「まーた蕎麦だけ? 成長期なんだからお肉とか魚も食べたら」
「うるせェな」
そっけない言葉と共に突き刺すような鋭い視線を向けられたが、そんなことでが怯むわけもなく。ゆいいつ及ぼした効果といえば、こみ上げてくる笑いだけだった。
「ラタティーユおまちどーん!」
「あ、はいはーい」
まるで何事もなかったかのように立ち上がってカウンターに向かうの背後で、小さな舌打ちが聞こえたような気がした。

 客が異常なまでに少ないせいか、料理ができあがるのも驚異的な早さだった。手渡された皿から湧き上がる、食欲をそそる香りとしばらくはおさまりそうにない湯気が、自分がたった今できたばかりだということを主張しているみたいに見える。ふたたび神田の真向かいに腰掛けると、彼は品定めでもするかのように、テーブルの上に置いたラタティーユへ目をやった。
「お前こそ野菜だけじゃねぇか」
「ダイエット中なんです」
「馬鹿か。エクソシストが痩せてどーする、むしろ太れ」
神田にはイマイチ他人への配慮が欠けていると思う。はデリカシーのない彼を無視してもくもくと料理をほおばった。
「こいつアウトォォオオ!」
門番の叫びがとつぜん、静かな食堂内をビリビリと揺さぶった。思わず耳をふさいでしまうくらいに切羽詰った大音量。門番はなぜか半泣きになってしまっていて、その声には嫌悪感や恐怖、さまざまな負の感情がこめられている。
「千年伯爵のカモだー!」
そう聞こえたときにはもう、目の前にあるはずの神田の姿は消えていた。蕎麦は綺麗に食べ終えていて、箸もきっちりとそろえてある。
「ジェリー、わるいけどお皿よろしく」
は勢いよくラタティーユをかきこんでコートをひっつかむと、未だにうるさく騒いでいる門番のもとへと急いだ。

 コートを羽織ながら門の前まできてみると、すでに二人は交戦中だった。といっても白髪の少年に戦意はなく、神田が一方的に敵対心を燃やしているだけなのだが。
「僕はエクソシストです」
妙な腕を持った白髪の少年は、確かにそう言った。すると神田はいぶかしむような視線を少年に投げかけたあと、門番に向かってありったけのイラつきをこめ、叫んだ。
「門番!」
鋭利な刃物のごとく鋭い視線に突き刺され、門番は鼻水やら脂汗やらを垂れ流しながら怯えたように神田を見た。
「いあっ、でもよ、中身がわかんねェんだからしょうがねェじゃん! アクマだったらどーすんの!?」
汚らわしいものでも見るかのようにチラチラと少年を気にしながら、門番は必死に神田の中での自分を正当化しようとしていた。特に危害を加えたわけでもないのにまるで悪者のような扱いを受けた少年は、あわてて門番にすがりつく。
「僕は人間です! 確かにチョット呪われてますけど立派な人間ですよ!」
「ギャアアア触んなボケェ!」
少年を振り払おうにも門番には肝心の手がないので、言葉で何とかするしかないらしい。辺りは二人の言い争いでとたんに騒がしくなった。
「ふん……まあ、いい。中身を見ればわかることだ」
いつの間にか完全にカヤの外の存在になっていた神田が、小さく笑みを浮かべながら呟いた。狙いを少年へ定めると、静かに接近の構えをとる。
「この六幻で斬り裂いてやる!」
そう言うと同時にすぐさま六幻を発動させ、一気に少年との間合いをつめる神田。その踏み込みのあまりの速さに、「ドン」という、通常ではありえない音さえ聞こえた。

「はぁーいストップ」
は少年を庇うように彼に背を向け、険しい表情の神田と真正面から対峙した。刃はの首すれすれで止まっていて、少しでも動けば皮膚が裂けるのは確実。
「なんのつもりだ」
神田は苦虫を噛み潰したような顔をして、しかし刀は下ろさずにいらいらとした口調で問う。向けられた刃が月光を妖しく反射しているが、は何の恐怖も感じなかった(神田がを斬るわけがないことを確信しているからだ。むしろ今うしろから少年に殺される場合のほうが現実味をおびているだろう。でもその可能性も限りなくゼロに近い)。
「この子は自分がエクソシストだと言ってる。戦意も感じられない。争う理由なんてないんじゃないの」
「そいつが嘘をついている可能性は?」
神田がのうしろにちらりと視線を向けた。すると白髪の少年はあわててを横に押しのけたものだから、今度は彼が神田の刀の的になった。
「ウソなんかじゃないです、クロス元帥から紹介状が送られてるはずです!」
辺りが静かになった。コムイが誰かに捜索を任せる声や、部下たちの呆れたため息、大量の書類によってなだれのおきているコムイの机を紹介状求めて漁っている音が微かに聞こえるばかりだ。と少年はポカーンとしばらく顔を見合わせていた。
「あった、ありました! クロス元帥からの手紙です!」
なんだか一気に疲労してしまったような、力ない叫びが神田のゴーレムを通じて聞こえてきた。

「かっ開門〜?」
なんとも自信なさげな門番の声とともに、黒く重々しい出で立ちの門は音をたてながらあっさりと開いてしまった。話を聞いていると、どうやらコムイの不注意が原因で、紹介状がうまく伝わっていなかったらしい。室長という立場についていながらこれだけの騒ぎを起こしたあげく反省の色は見られずさらに部下へ罪をなすりつけようとしているコムイを後で一発殴ってやろうと頭の隅で考えながらも、目の前の少年が哀れでしかたがなかった。なんせ、神田に殺されかけたのだ。教団に対して悪いイメージを持っていなければいいが……。
「入場を許可します。アレン・ウォーカー君」
門が開ききると神田はいよいよ刃先を首筋へと近づけ、今にも息の根を止めてしまいそうな気迫だった。アレンというらしい白髪の少年は、少しでも刀から逃れようとわずかに後ずさる。
「ねぇ神田、もうこの子への疑いは晴れたでしょ。いいかげんそれ放してあげたら?」
しかし神田はアレンくんを睨みつけたまま、いっこうに刀を下ろそうとしない。まさか本当に殺してしまうなんてことはないだろうが、いつになったら解放してあげるんだろうといいかげん心配になってきたその時。門の奥からやってきたリナリーに持っていたバインダーで軽く叩かれ、神田の側頭部は小気味よい音を発した。
「もー。やめなさいって言ってるでしょ! 早く入らないと門閉めちゃうわよ」
うらみがましそうな神田の視線を綺麗に無視して、リナリーはさらに「入りなさい」と一喝した。は神田とアレンくん、二人の腕をつかみ、なんとか門の内側まで引っぱっていく。敷地内に入ったと同時にものすごい音をたてて勢いよく門が閉まり、足元で風が土埃を舞い上げた。
「ごめんね、バカな室長のせいで危ない目にあっちゃって。。よろしくね、アレンくん」
「いえ、そんな、さんが謝ることじゃないですよ」
そう言ってアレン君はあわてて手を振った。どうやら彼はかなり律儀で丁寧な性格らしい。リナリーは簡単な自己紹介をすると、アレンくんをに任せ、先に室長の所に行くわねと告げた。

「あ、カンダ」
アレンくんはくるりときびすを返した神田を何気なく呼び止めたが、ふたたび戦いが勃発しそうなほどの嫌悪を込められた視線に射抜かれてしまい、少したじろいだ。
「……って名前でしたよね、よろしく」
しかし神田の冷たい態度にもめげず、右手を差し出して握手を求める姿は健気というか図太いというか。
「呪われてる奴と握手なんかするかよ」
それだけ言うと、神田は返事どころか反応すらも待たずにさっさと立ち去ってしまった。残されたアレンくんは右手を差し出したポーズのまま、呆然と立ちつくしている。
「重ね重ねごめんね、神田って任務から戻るといつもああなの。ていうか誰にでもだいたいあんな態度とってる奴だから、深く気にしなくていいからね」
心配になって顔を覗き込むと、アレンくんは初めて笑顔を見せてくれた。

 塔の中に入ると、珍しい出で立ちのアレンくんへ衛兵たちの視線が一斉に集中した。この注目度の高さをみると、さきほどの騒ぎもその効果に相乗しているに違いない。ひそひそと近くの者同士で話していて、何を言われているのか気にしているわけではなさそうだが、やはりアレンくんは少し落ちつかない様子だ。
「気にしない気にしない、新人が少し珍しいだけ。こんなの一時的なものよ」
励ますようにそう言うと、緊張がほぐれたのかアレンくんの表情がわずかに緩和した気がする。
 食堂や修練場を案内し、一通り説明し終わったところでたちは室長のもとへと向かった。
「はいどーもぉ、科学班室長のコムイ・リーです!」
さきほどの騒ぎの犯人はコーヒー片手にイキイキしていた。せめて責任感じて少しは静かにしたらどうだ、と怒鳴ったうえこの階段から突き落としてやろうかとも思ったが、それでは後々仕事の進行具合に支障をきたしてしまう恐れがあるので、復讐はまたの機会までとっておくことにした。
「あれ? なんだかから殺意を感じるんだけど気のせいかな」
「ええ、たぶん疲れてるのよコムイ」
「そっか、ならいいんだけど」

 世にもエグい腕の治療や初めての元帥への謁見が終わったころ。慣れないことばかり続いたせいか、アレンくんはかわいそうなくらいヘトヘトになっていた。は彼の案内を任され、部屋までたわいもない話をしながら静かな廊下を二人で歩いた。
「ここがアレンくんの部屋」
部屋の前で立ち止まると、アレンくんはあわてて頭を下げた。
「ありがとうございます、いろいろお世話になっちゃって」
まさかそんなことを言われるなんて予想外で、は柄にもなく少し戸惑った。
「まだ初日なんだから人に頼って当たり前。明日からさっそく任務が始まると思うわ、しっかり休んで」
「はい、これからよろしくおねがいします!」
まるで弟ができたみたいな感覚に、少し胸が弾むのを感じた。

さん視点だと、書くのは楽だけど名前変換が少なくなるという罠。