tune 26 : ことのは


 驚きと恥ずかしさで次の言葉が出てこない。ハウルは面白そうに口の端を上げてこちらを見ている。
「あんまり王子様と楽しそうにしてたから、ちょっと意地悪したくなった」
そう言い終わるとハウルは笑みを消し、自分の額をゆっくりと私のそれにくっつけた。
「ごめん、。君の夢を応援したいから止めることはしなかったけど……やっぱり心配で、来てしまった」
そう言って気まずそうに視線を外すハウル。先ほどの不敵な笑みが嘘のようだ。でも――無断でついてきたと言っても、演奏自体は大成功に終わっているし、ちょうど人混みに酔ってきていたから結果的に助けられたし。
「ううん、いいの」
ハウルと少しだけ離れて小さな冒険をして、あらためて彼の大事さを確信する。まだお別れの挨拶をしてからほんの数時間なのに、もうこの人が恋しくなっていた。
「私もハウルに会いたいなって思っていたところだから」

 伏し目がちだったハウルの瞳が大きく見開かれ、私を捉えた。そしてゆっくりと、柔らかな微笑みが浮かんでくる。
「そんなに可愛いことを言うと、今すぐここから連れ去ってしまうよ」
そう言って頬を手で優しくなぞられ、腰が抜けそうになった。ハウルの瞳から目が逸らせない。
「もう行ってしまわれるのですか」
背後から声をかけられた。急に現実に引き戻された私は、あわててハウルの背中に回していた腕を解く。うしろを振り返ると、ジャスティンが息を弾ませて一人で立っていた。
「ええ。慣れない場で疲れたようなので」
飄々とそう言って、ハウルは私を背に庇うようにして前に出た。抱き合っていたところを見られて恥ずかしがっているのは私だけみたいだ。
「そうですか。まぁ、引き止める理由は……私のわがまま以外にはないですが」
ジャスティンは残念そうに視線を落とした。パーティの主役は私ではないので、出番が終われば後の行動は自由なのだろう。

 長い沈黙の後、ハウルが小さく深い息を吐き、意を決したように口を開いた。
「今日この場を設けて頂いたこと、感謝しています。また機会があれば、ぜひ」
私は驚いてハウルの顔を見上げた。てっきり、いつものように遠慮なく突っぱねると思っていたのに。ハウルは爽やかな笑みを浮かべて、ジャスティンをまっすぐ見つめていた。
「……わかりました。またご招待させて頂きます。今度は、あなたもご一緒に」
思いもよらないジャスティンの言葉に、今度はハウルが驚く番だった。その反応に気を良くしたジャスティンは、ニヤリと口の端を上げて続けた。
「とはいえ、負けを認めたわけではないですがね」

 せっかくおめかしをしたのだから、とハウルが言うので、家に帰る前に少しだけ空を散歩することになった。城下町はこんな時間でもまだ眠らないらしく、足元で明かりがキラキラと瞬き、まるで星空の中を歩いているようだ。
 赤銅色の屋根の上に来たとき、ハウルが突然立ち止まった。手を繋いでいる私も必然的に足が止まる。
「最初はきみのことが心配で忍び込んだけど、無用だったね」
そのことはさっき――私はそう口を開きかけたが、ハウルの言葉はまだ続いていた。
「でも見に来てよかった。本当に素晴らしい舞台だったよ」
私は驚いて、彼の顔を見上げた。ハウルは穏やかな笑みを浮かべて私の方を見ていた。きっとお世辞ではない。一番見て欲しいと思っていた人の言葉が、胸にじんわりと染み込んでいく。
「それに、嬉しい言葉も聞けたしね」
嬉しい言葉。少しだけ考えてしまったけれど。

「私には大切な人が――」

すぐに思い出して、顔がカーッと一気に熱を持つ。いくら想いを知られているとはいえ、覚悟して本人に言うのと、他人に言ったつもりが本人に筒抜けだったのとでは少しわけが違う。
「変装してたことは許してないんだから!」
面白そうに笑っているハウルの胸を叩いてみるが、あまり効いていない。
「どうしたら許してくれるんだろう」
笑いも止めず、そう言ってハウルは軽快に屋根の上を走り出した。私も負けじと追いかける。
 私とハウルは自分たちが正装なのも忘れて、そのまま二人でくるくると屋根の上を笑いながら駆け回った。なれないドレスのせいでこけそうになった私をハウルが抱きとめ、二人の影が重なるまで――。

コサージュに魔法はかけられていません。でも思いは込められています。
花言葉:「希望」「常に前進」