tune 27 : かわりみ


 ある晴れた日の午後。洗濯物を取り込み終わったソフィーが腰に手を当てて大きなため息をついた。
「それ、もう冷めちゃってるんじゃない?」
ソフィーがハウルさんのために淹れてくれたレモンティー。カップの中を見ると、もう一時間は経ったというのにまだ半分も減っていない。
「あぁ……」
そう返事とも取れない返事をしてカップを持ち上げたものの、口をつけるでもなく、再びソーサーに戻すハウルさん。完全に上の空だ。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。だって子どもじゃないんだから」
テキパキと洗濯物をたたみながらソフィーが言った。僕は膝の上に乗っていたヒンを下ろすと、ソフィーの手伝いをしに隣へ並んで座る。するとソフィーが小さく「ありがと」と耳打ちしてくれた。

 ハウルさんがこんな状態になってしまった原因は、五時間前にさかのぼる。
 朝、薬草棚の整理をしていたが、まじない用の薬草がいくつか切れかかっていることに気づいた。それらは近頃が練習で頻繁に使っていた種類のものだったので、責任を感じた彼女が自ら買い出しに行くと名乗り出た。ついでに外でリフレッシュしてきたら、とソフィーが提案すると、は嬉しそうに身支度をして出かけて行った――と、ここまでは良かったのだけれど。
 これら全て、ハウルさんが所用で外出している間に起きたことだったので、護身用のまじないを渡すのを忘れていたんだ。

 ソフィーはもちろん、ぼくでさえ(おじいさんに変装することが多いけど)一人で買い物をすることなんてしょっちゅうあることなのに、ハウルさんはの外出となると途端に神経質になる。
「僕がと再会したときの状況を知ってるかい? 兵士のナンパ中だよ」
そう言ってハウルさんは疲れたような顔をして額に手を当てた。昔、が路地裏で兵士たちに絡まれていたところをハウルさんが助けたことがあるらしい。確かにそれを聞くと、心配になる気持ちも分からなくはない。
「でもあの頃より治安は良くなってると思うけど」
ソフィーが呆れたようにそう言って、タオルのシワを伸ばした。まさにその通り。戦争が終わったおかげで、治安が良くなったのはもちろん、ふんぞり返っていた兵士たちもずいぶん丸くなった。

 しかしハウルさんはそれにも納得していないようで、壁にかけられた時計をチラリと見ると、ため息をついてテーブルに突っ伏した。
「あぁ、もしに何かあったら僕はこれからどうやって生きていけばいいんだ」
さすがにこれは大げさな……ぼくは思わずズルリとこけそうになってしまったけれど、このお師匠様はどうやら本気で思いつめているらしい。と、その時、今までずっと静かに揺れているだけだったカルシファーがぼうっと大きく燃え上がった。
「ポートヘイヴン!」
それを聞いたハウルさんが見たこともない速さでドアの前に歩み出るのをぼくは見た。
「ただいま! って、わ!」
まさかドアを開けてすぐに人が居るとは思っていなかったが、勢い余ってハウルさんの胸に鼻を打ってしまったところも。

「おかえり、。わざわざ買い出しに行ってもらってすまないね。息抜きできたかい?」
先ほどまでの情けない姿が嘘のように、懐の深い男モードに入っているハウルさん。きっと内心聞きたいことはいろいろあるだろうに、ありきたりでシンプルな質問を一つだけ投げかけるに留めて、の荷物を受け取り、階段上まで丁寧にエスコートしている。
「うん。なんだか探検しているみたいで楽しかったよ」
は外であったことを楽しげに語りながら、買ってきた薬草を次々と棚にしまっていった。普段熱心に練習をしているおかげで引き出しの位置を覚えてしまっているのか、薬草たちはあっという間に全てあるべきところへ収まった。
「ほとんどの用事はすぐに済んじゃったんだけど」
そう言いながら、は鞄の中をごそごそ。
「これを買うのに時間がかかっちゃって」
鞄から出てきたのは、薄茶色の小さな紙袋。はそれを両手で持って、ゆっくりとハウルさんに手渡した。心なしか、なんだかそわそわしているような気がする。受け取ったハウルさんは中身を手のひらに出し、はっと息を飲んだ。

 綺麗な石のついたピアスが、ハウルさんの手の上で輝いていた。
「どの色がハウルに似合うかずーっと考えてたら、いつのまにか日が傾いてきてて、お店のおじちゃんに笑われちゃった」
そう言って恥ずかしそうに笑う。以前付けていたものは魔女避けグッズの一環だったので、心機一転もかねてインテリアのついでに処分してしまったとハウルさんは言っていた。
「出会ったときにつけていたピアス、とても似合っていたから。それと」
はゆっくりと深く息を吐き、続けた。
「もし、自分があげたものを好きな人がいつも身につけてくれてたら、きっと嬉しいだろうなっ、て……」
言っていて恥ずかしくなったのか、の声は終わりに近づくにつれて小さく消えていった。ハウルさんは慣れた手つきでそれを自分の両耳に付けると、赤い顔で俯くを優しく抱きしめた。
「ありがとう。大事にするよ」
これ以上ないくらいに熱のこもったハウルさんの声。いつの間にか強く差し込む西日が逆光になっていて、二人の姿がよく見えない。黒い影に目を凝らしていると、突然ぼくの体を浮遊感が襲った。
 ハウルさんがのことを考えている間、別の場所でもハウルさんのことをずっと想っていたんだ。あいかわらず熱い人たちだな……。ソフィーに抱き上げられて二階に運ばれながら、ぼくはそんなことを考えていた。

ピアスの色はご想像におまかせ。