tune 20 : 晴天白日


 いくら初対面とはいってもハウルは基本的に女の子には優しい性格らしく、レティーさんはほとんど夢を見ているように幸せそうな顔をしていた。名前を呼ばれるたびに頬をピンクに染めて、彼女はまるでお姫さまみたいに綺麗に笑う。わたしにはマネのできない可愛らしい動作は、同性から見てもとても魅力的だ。そして見た目だけじゃなくて性格や生活知識さえ完璧で、わたしが彼女に勝てることなんて――歌は聴いたことがないからまだなんともいえない――家事くらいしか思い当たらない。レティーさんがここに来てから、城の中は今まで以上に賑やかで明るくなったけれど、私の心の中は、青空が雨雲におおわれていくように、なんだか、まっ黒いものでいっぱいになっていた。

 ハウルがわたしを好いてくれているという自信はある。いつもくっついてくるし、いろいろなこと――詳しくは恥ずかしくて言えない――も経験したし、好きだってちゃんと言ってくれるし、誰よりも丁寧に魔法を教えてくれるし、ささいなことでもたくさんヤキモチをやいてくれるし。けれど、それが永遠に続くなんていう保障はどこにもない。人間の心は天気みたいに変わりやすくて、どんなに仲のいい夫婦でも、何かのはずみでうまくいかなくなってしまうというのはよくあることだ、げんに、わたしの両親が、そう。昔は周りからうらやまれるほど理想的な家庭だったのに、いつのまにか修復不可能なくらいにぜんぶメチャクチャになっていて。実際にそんな経験をしてしまったせいか、癒えたと思っていたはずの傷は今でも心の端に残っていて、こうやって、ささいなことで、その存在を思い出させられる。昔の記憶がフラッシュバックするたびに、人というものが、信じるということが、とっても怖くなるんだ。
 それにいくら魔力を持っているとはいっても、魔法使いだって、心は普通の人間と同じ。ハウルだって、もしかしてもしかしたら、レティーさんに惹かれてしまうかもしれないんだ。

「ねぇハウル、レティーさんのこと、どう思う?」
レティーさんが昼食づくりを請け負っているあいだに、わたしは部屋で正面からハウルと向き合っていた。ベッドの上で行儀よく正座をしてぴんと背筋を張っているわたしを、まるで不思議なものでも見るような目でハウルはじっと見つめた。そしてしばらくするとそれは、動揺も隠し事もない、真剣なまなざしになった。
「どうしてそんなことを聞くんだい、もしかして、レティーにヤキモチを?」
ぜったいの信用を置いているはずなのに、ハウルがレティーさんの名前を呼び捨てにしたとき、自分の喉の奥がグッとつまったのがわかった。ハウルは別に変な意味をこめて彼女の名前を呼んだわけではないし、とくべつ気に入っているようなそぶりを見せたわけでもない。それでもギュッと体がこわばって、頭の中がごちゃごちゃして、苦しくなっていく。
「ううん、そんなんじゃ、ない。ただ純粋に、どう思ってるのかなって、気になったの」
とっさについた嘘のせいで、視線が合わせられなくなった。
「ただの好奇心にしては必死だね。目が真剣だった」
「いいから、おねがい、こたえて」
きっと、わたしがやきもちをやいていることに、気づいているに違いない。ハウルが大きくため息をつくのが聞こえた。

「別にが心配しているような感情は持っていないよ」
その言葉の真偽をさぐろうと、わたしはじっと瞳を見つめた。するとなぜかハウルは悲しげな表情を浮かべて少し視線を落とした。そんな彼の表情を見たのは初めてで、胸がチクッと痛んだ。
「だって、レティーさんすごく綺麗なんだもん。ハウルと並んでたら、わたしなんかよりすごくお似合いに見えた。いつか惹かれちゃうんじゃないかって、心配になるよ」
なんとかフォローしようと必死で自然と早口になるが、それはまったくの逆効果のようだった。
「そんなにぼくは信用がないのかな。ぼくの気持ち、に伝わっていなかった?」
「そうじゃない、けど」
実の娘を捨てて新しい家庭で悠々と暮らしている母さんの姿が頭の隅にちらつく。ハウルはそんなことしない、あんたなんかとは違う、そう必死に言い聞かせるけれど、なぜか不安は消えなくて。自分への自信のなさなんかでこんなに気持ちがぐらついてしまうなんてなさけない。あまりに愚かすぎて、涙まで出てきた。
「ごめ、なさい」
ベッドからとびおりて、くつの紐も結ばないまま部屋の外へ走った。

 目を丸くしているみんなの視線をくぐりぬけて、城の外へ駆け出した。ソフィーさんが洗濯物を干し終わってからずっとプレートの色は緑のまま変わっていなかったから、無意識のうちにわたしは湖のほとりにきていた。ここからは、まっ白な洗濯物たちの、風にはためいている様子がしっかりと見える。視線で洗濯ひもをたどっていくとその先に城が見えて、わたしはすぐに湖のほうへ顔をむけた。日の光を反射して輝いている水面を見ていると、今の自分の愚かさを思い知らされるようで、ひどくみじめな気分になった。
!」
しばらくここにいようとその場に座ったのと同時に、とても慌てたふうな声と、芝生の上をいそいで走ってくる音が聞こえた。
「わたし、ハウルのことを信じていないわけじゃないの、でも、どうしても、不安になっちゃう。だって、レティーさんはあんなに素敵なんだもん、二人が並んでたら、どこのカップルよりもお似合いに見えるよ、花なんて、まるでオマケみたいだった」
相手の顔も見ないままに、わたしは思ったことすべてをぶちまけた。少し息を切らせているマルクルはわたしのすぐ横に腰かけると、しばらく息をととのえながら湖をじっと見ていた。魚が小さく跳ねて波紋が広がり、波がこちらの岸にとどいたとき、マルクルはようやく口を開いた。
「だいじょうぶだよ」

 マルクルはわたしの顔をしっかりと見て、まるで泣いてるこどもをなぐさめるようにゆっくりとした優しい口調で言い、そして、少しだけ笑みを浮かべた。その様子があまりにも大人びていて、そのときばかりは、彼がわたしよりも年下だということを忘れてしまっていた。
「ハウルさんはよりもレティーを好きになったりなんかしない。だって、が城に来てからハウルさんは他の女の子といっさい関わらなくなったよ。こんなこと今まで一度もなかったし、あんなに幸せそうなハウルさんを見たのは初めてだもん。それに、」
マルクルの口の端が、少しだけ上がった。
「もし万が一ハウルさんがちょっとでも心変わりなんかしたら、ぼくがを幸せにするから心配しないで!」
本人は本気で言っているんだろうけれど、わたしは、こみ上げてくる笑いを抑えることはできなかった。ばかにされたのかと思ったのかマルクルは拗ねて頬を膨らませてしまい、たちまち、さきほどまでの大人っぽさはどこかへ吹き飛んでしまった。腕を引いて、ふりむいた彼のひたいに小さくキスをする。
「ありがとうマルクル、だいぶ楽になったよ。だいすき」
彼の頬が、さぁっと鮮やかな朱に染まった。

「おやおや、ぼくの可愛い愛弟子くん。ぼくが、なんだって?」
ふざけた口調と芝生を踏みしめる足音が聞こえ、マルクルは弾かれたようにうしろへふりむいた。頬の赤みはすっかりと消えていて、少し表情がこわばっているようにも見える。
「ハウルさん、聞いてたんですか!」
「ほら、ここからはお子様立ち入り禁止だ。昼食の準備ができたみたいだから城に帰りなさい」
マルクルのとなりまで来るとハウルは彼の目線に合わせるように腰をかがめて、有無を言わさぬ口調できっぱりと言った。昼食が楽しみなわけでもないだろうに、マルクルは、まるで師匠の命令は絶対だ、というくらいのスピードで城のほうへ駆けていく。しばらくのあいだ風が草を揺らす音ばかりが聞こえていたが、とつぜん背後からハウルに抱きしめられて、小さく声をあげてしまった。
「ぼくが自分の弟子にまで妬いているのをは知らないだろう?」
耳元で囁かれ、一瞬で体がこわばる。自分の呼吸が妙に大きく聞こえるのがイヤで、音を小さくしようとがんばったものだから、とても息苦しくなってしまった。緊張で脈は速くなるし、ほっぺたはまるで焼けるように熱いし。なんだかくらくらしてきた。
「わたし、ハウルにふさわしいくらい、キレイになるね」
となりに並んでもお似合いに見えるくらい、ハウルみたいに、道を歩いていたらみんながふり返るくらい。
「いや、もうじゅうぶんだ、」
ハウルの腕の力が強まった気がした。
「今でさえ某国の王子の対応におわれてるってのに、もしこれ以上美しくなられたら、ぼくが困る」

 城に戻ってきたときにはみんなとっくに昼食を食べ終わっていて、そしてなぜかレティーさんの姿がなかった。どうやら、わたしたちが湖にいるあいだにお店の店長さんがレティーさんを迎えに来て、店に帰ってきてほしいと必死で頭を下げたらしい。店長さんが懲りてくれれば帰るつもりだったレティーさんは、どこか吹っ切れたような表情で帰っていったそうだ。
 数日して、以前にも聞いたことのあるドンドンとあせり気味にノックをする音が、和やかな昼食を中断させた。席をたってドアを開けると、そこには、嬉しそうな笑みを顔いっぱいに浮かべたレティーさん。その表情は、また店長とケンカをしてきたにしては晴れ晴れとしすぎている。
「聞いて! あたし、運命の人に出会ったの。あんなにドキドキしたのは生まれて初めて!」
どこかで聞いたようなせりふだと思った。目の前のレティーさんはチークをのせた頬をさらにピンク色に染めて、嬉々とした表情で身を乗り出してくる。その勢いに圧されて、わたしはゆっくりとうしろに尻餅をついた。
「あたし、結婚することになったのよ!」
レティーさんの衝撃的告白に、こちらへむいていたみんなの目が一瞬で点になった。どうやらレティーさんは惚れやすい人らしく、城から帰っていったあとも何度か運命的な出会いを経験したそうだ。わたしは今までの疲れがどっと押し寄せてきて、数日寝込んだ。

今まで悩んでいたわりに、こんなコメディな締めでいいの、て感じです。マルクルの告白は、冗談だとうけとられている模様。不運。