tune 19 : アラジン


 ドンドンと少しあせり気味にノックをする音が聞こえ、私は課題をこなす手を止めて階段をおり、古びたドアノブに手をかけた。ドアを開けると、そこにいたのは、お化粧をして可愛らしいフリルのついたエプロンを着こなし、金色の髪をアップでまとめている女の子。リップをぬった赤い唇と、チークでほんのりピンクに色づいた頬が印象的だ。見れば見るほど完璧で、自分がどんなに質素か思い知らされ、私は急に恥ずかしくなった。こんな可愛い子が、見るからに怪しくて汚いこの城に何の用だろう。
「私をここにかくまって、おねがい!」
何を言っているんだろう、この子は。いつものお客と同じく、まじないをもらいにきたのだと思っていた私の思考は、予想外のできごとで完全に止まってしまった。しばらく経って脳が働くようになり、もう一度よく考えてみる。この女の子は、この城に、自分をかくまってほしいと言っている。可愛くて、敵なんかいるとしたら恋敵くらいであろう魅力を持った、この女の子が。わけがわからなかった。
「あの、どうしてここに?」
今にも城の中に入ってきそうな彼女を押しとどめながら、私はなんとか声をしぼり出した。この騒ぎに気づいたのか、後ろでソフィーさんが慌てて部屋から飛び出してくる音が聞こえる。
「レティー!」
とつぜんソフィーさんが叫び、部屋中の視線は全て彼女へ集中した。彼女が物凄い足音をたてながら猛スピードで階段を駆け下りてきたので、私は驚いて横に飛び退く。二人はひしと抱き合い、久しぶりの再開を味わうかのようにしばらくそのままの状態が続いた。
「あ、の……そんなところで立ち話もなんですし、奥へあがられては?」

 二人はようやく体を離して階段をのぼると、ソフィーさんが椅子を引き、レティーさんはうながされるままそれに座った。私も階段を登り、お客さんのためにお茶を入れることにした。ちょうどポットの湯は沸いていたので好都合だし、このあいだ買ってきたお菓子もあるし、今回のおもてなしは上々だと思った。
「レティー、あんたなんでこんなところに来たの? チェザーリのお店でうまくやってたじゃない。お店の人はいい人だし、お客さんの入りも上々だし」
お茶の入ったティーカップをテーブルに並べて菓子皿を置くと、私はマルクルのとなりの椅子を引いて腰かけた。向かいには、少しきつめに問いかけるソフィーさんと居心地悪そうにしているレティーさん。私とマルクルはあまり状況が飲み込めないまま、二人の会話を注意深く聞いていた。
「店長とけんかしたの。ささいなことだけど、頭にきちゃって。しばらくあそこには戻らないって決めたわ、ちょっと困らせてやらないと気がすまないもの!」
一気にそう言うと、レティーさんはティーカップを掴んであっという間にお茶を飲みほした。ぐびっという表現が正しいくらい、一瞬の出来事だった。
「おかわり、いただけるかしら?」

 レティーさんは姉であるソフィーさんに負けないくらい芯が強く、そしてとても綺麗な人だった。私と同い年くらいなのにお化粧はばっちりで、ちょっと濃い目だとは思うけれどそれがまた彼女にとても似合っていて。働き先のチェザーリのパン屋さんでは、彼女目当てに商品を買いにくる男性客も多いらしい。こんな美少女がいる時にもしハウルが帰ってきたら、どうなるだろう。私がここに来てからは全然だけれど、少し前までは女の子をけっこうナンパしていたらしいハウル。レティーさんを視界に入れた途端、私のことなんて一瞬で忘れてしまうかもしれない。レティーさんだって、いくら今までにたくさんの男の人から告白されてきたのだとしても、ハウルを見ればときめかずにはいられないだろう。そう考えただけで急に気分が悪くなってきた気がする。せっかくの美味しいお菓子もいい香りのハーブティーも、まったく味がしなかった。
「ポートヘイヴン!」
カルシファーの陽気な声が室内に響いた。誰が叫んだのかとレティーさんは周りをキョロキョロ見回し、暖炉でパチパチと燃えていた火の悪魔に気づいた彼女は、嬉しそうに笑いながら立ち上がって駆け寄った。至近距離でじっと見つめられているカルシファーは、その場から動くこともできずにしばらくのあいだ固まっていた。
「やあ、ただいま諸君。、さっきそこの花屋で綺麗な花を見つ……あれ?」
暖炉の前に見慣れない姿があるのに気づき、ハウルは階段を上りきったところで歩みを止めた。彼の手には、さきほどそこで買ってきたのであろう小さな黄色い花が一輪。レティーさんはカルシファーとの見つめあいをやめて、今度は、かわいい黄色を手の中に収めた彼を、食い入るように上から下までじっくりと眺めた。もとからチークで色づいていたピンクの頬が、さあっと鮮やかな朱色へ染まった。予想通りの、反応だった。
「あの、私、ソフィーの妹で、レティーっていいます。チェザーリのパン屋で働いてたんですけど、えと、ちょっと事情があって……しばらくここに置いていただけませんか? 家事とか掃除とか、いちおうできるつもりです!」
小走りで駆け寄り、身長差のため自然と上目遣いになりながらレティーさんは可愛らしい自己紹介をした。ハウルが彼女をここから追い出すとは思えない、だって彼はそんな非情な人じゃ、ないから。でも心の中のどこかで、彼女を今すぐ追い払ってほしいという邪な思いがぐるぐると渦巻いているのを感じた。
「いいよ」
心臓が、どくんと一回、脈打った。

「これ、に。さっきそこで見つけたんだ、小さいけど綺麗だろう?」
気がつくと目の前に可愛い黄色が差し出されていて、そのむこうにはこの花に負けないくらいのハウルの笑顔があった。ちゃんと目線を合わせるようにしゃがんでくれていて、それだけで十分彼の優しさを感じられた。
「わ、きれい……これってフリージアですよね?」
とつぜん横からレティーさんが現れて、小さな黄色をじっと覗き込んだ。至近距離で見てもやっぱり彼女は綺麗で、まつげの長さや目の大きさまで完璧だった。ふわりと香水のいい香りまで漂ってきて、このフリージアに全くひけをとらない魅力がある。
「そうだよ。レティーは花が好きなんだ?」
「ええ。特にこの花が一番好き」
二人はなんだか気が合うらしく、顔を見合わせて楽しそうに笑っている。ハウルとレティーさんが並ぶと周りから羨まれそうなほど綺麗で、私なんかよりずっとサマになっていると思った。この二人がいればフリージアなんて色あせてしまって、彼女達の引き立て役でしかない。こんなに近くにいるのに、まるで自分が舞台の観客のように思えてすごく惨めな気分だ。
「どうしたんだい、具合でも悪いの?」
心配そうなハウルの顔が急にアップで目の前に現れて、あまりに驚いたので椅子から転げ落ちそうになった。視界の端に、おまけのようにさっきの黄色が見える。
「ううん、なんでもないの、ただフリージアに見とれてただけ……」
とっさにうそをついた。
「そうか、そんなに喜んでもらえるなんて嬉しいよ。ほら、にプレゼントだ」
手渡される時にちょっとだけ指先が触れて、そこから体中に熱が広がったかのような感覚に陥った。気づけば自分の手の中にフリージアが収まっていて、まるで私を見上げるみたいに花びらを広げている。
「ありがと、ハウル。うれしい」

 なるほど自分で言っていただけあって、レティーは料理もそのほかの家事も掃除もほぼすべてこなせた。城内の働き手が三人になったので毎日の仕事はすごく楽になり、掃除はいつも完璧で部屋は常にぴかぴかだった。とても明るい性格のレティーはあっという間にこの城にも住人にも馴染み、いつの間にかまるで家族の一員のようになっていた。
「あ。、私が洗うわ」
「うん、ありがとう」
お皿を洗おうとめくり上げた袖を元に戻し、私は流しを離れて椅子に座った。レティーはとても気立てのいい子で、みんなに好かれるのもわかる気がする。しかし、カルシファーが彼女にも頭を下げるのには驚いた。
「ねぇ、
「なに?」
お皿同士がぶつかりあうカチャカチャという音と、スポンジが皿を擦る音が妙に大きく感じる。水の入った小さな花瓶に差してある黄色いフリージアを、私はじっと見つめた。ハウルが魔法をかけてくれたので、普通より数倍長持ちするだろう。
「ハウルさんって素敵な人よね。かっこいいし、優しいし」
「……そう、だね」
やっぱりくると思った。前々から覚悟はできていたはずなのに、いざその時になると心臓がバクバクいう。ハウルは誰が見てもかっこよくて、どんな人に対しても優しくて。彼が猫かぶりをやめないかぎり、心を奪われる女の人は後を絶たないだろう。
「私ね、初めて男の人に対してドキドキした気がするの。今までどんな人を見ても何も感じなかったけど、ハウルさんだけは違うの」
ああ、彼女も恋をしてるんだなあと思った。ただでさえ綺麗だった瞳がますますキラキラと輝いていて、最初に会った時よりもいっそう可愛く見える。こんなに魅力的な子に言い寄られたら、いくらあのハウルでも、気持ちがぐらつくかもしれない。彼の中での優先順位が、大きく変動してしまうかもしれない。
「うん、しょうがないよ、だってハウルってば……素敵なんだから。」
なんでハウルは私のだって、言えないんだろう。ソフィーさんが彼女の姉だから、そのことで遠慮してるの? レティーとあまりにも深く付き合いすぎて、ここで諦めてしまえるくらいの情が生まれた? まさか本当はハウルのことを好きじゃない?
 違う、自分に自信がないんだ。

映画では、ソフィーの妹はレティーだけなんでしょうね、たぶん。