tune 14 : faint light


 ハウルの言葉は、今もなお私の頭の中に鳴り響いている。あれから彼は私の頬に口づけると、漆黒の羽を広げて緋色の空へと飛びたっていってしまった。私はその場に泣き崩れ、今にいたる。私たちを守ると言っていたハウルの瞳は今までの彼とは別人のようで、とても強い光を宿していた。それほどまでに、彼は私たちを心から大切に思ってくれているのだ。惜しげもなく自分の命をかけられるくらいに。

 ただ守られているだけ、彼の無事を祈るだけ。私は本当にそれでいいのか。しばらく経つと、そう思うようになってきた。彼は私たちを守るために戦っているんだ。だから、なんとかして私たちがこの街から脱出すれば、ハウルの戦う理由はなくなる。カルシファーにそう伝えると、彼は目を大きく見開いた。
「えぇー、引っ越しなんて無茶だ! あっちはからっぽだよ!」
カルシファーは慌てたように反論するが、私は聞く耳持たずにどんどんしたくを進めていく。ハウルを救えるなら、どんな無茶だってしてやる!
『カルシファーも行くんだよ!』
おばあちゃんにスカーフを巻きつけた。外はすごいどしゃぶりなので、そのまま出ては危険なのだ。
「オイラが出たら、この家くずれちゃうぞ。ここでいいじゃないか。ハウルとオイラが守ってるんだ」
『だめだよ……ハウルが戦うのは嫌なの。だからここを離れないといけないの!』
こんなに強く人をどなったのは初めてだ。それに、何かをしたいとこんなに強く思ったのも。私はおばあちゃんをソフィーさんに任せると、カルシファーをスコップですくった。
「サリマンにすぐ見つかっちゃうよ」
『もう見つかってる。』
ソフィーさんはマルクルとおばあちゃんを連れていち早く外に出た。私はスコップを持ったまま、ゆっくりと出口へ向かう。カルシファーはオロオロしながら口を開いた。
「オイラを最後に出しなよ。どうなるか、オイラにもわからないからな!」
言われたとおり、私は体だけ外に出し、スコップを家の中に突き出したまま後ろ向きに歩いた。カルシファーがドアをくぐったとたん、家はものすごい騒音を立てながら崩れ、あっという間にガレキの山と化した。ハウルがくれた、私の部屋や洋服たちがなくなるのは悲しいけれど、彼の命には代えられない。私にとって、彼よりも大切なものなんて……ない。

 雨の中を何かが跳ねる音がした。辺りを見回すと、カブがこちらに向かってくるのが目に入った。そうだ、引越ししたとは言っても扉はまだ荒地に繋がっていたんだし、今私たちはその荒地にいる。戻ってこられる、とはこういうことだったんだ。カブは私があげた傘をまだ持っていて、こちらにさし出してきた。
『ありがとう、カブ。』
私は火が消えそうになって騒いでいるカルシファーをカサでかばいながら、ガレキの中へともぐり込んだ。ちょうど人が入り込めるような隙間があいており、マルクルたちもうしろからついてくる。
 中に入ってみると未だに暖炉は健在で、少し湿っているもののなんとか原型をとどめていた。そこにカルシファーを置いてカサで雨漏りから守ってみるが、彼の炎はいっこうに弱いままだ。マルクルやヒン、ソフィーさんがガレキの中から燃えそうなものを運んでくるが、雨のせいで湿気ているらしく、あまり効果がないようだった。
『ねぇ、お願いカルシファー。お城を動かしてハウルのところまで連れて行って。』
こんな弱々しいカルシファーに頼みごとをするなんて、少しかわいそうな気もするけど。それでも、ハウルを助けるにはこれしかないんだ。彼のためなら少しくらい危険な橋だって渡ってみせる。
「でもここはえんとつがないし……湿ってるしぃ」
『カルシファーならできるよ! だって、すっごく強い力を持ってるもの。』
私がそう言うと、カルシファーは嬉しそうな表情を浮かべてゆらゆらと揺れた。いや、にやけているという表現のほうが正しいかもしれない。けれどやはりやる気だけではどうにもならないらしく、カルシファーの火力はまったく以前と変わりない。
の何かをくれる? オイラだけじゃダメなんだ……目とか……心臓とか」
……いいよ、ハウルのためなら目でも心臓でもなんだってあげる。そう言おうとしたとたん、とつぜんソフィーさんに手で口をふさがれた。見上げてみると、彼女は緊張したような表情で私を見つめていた。

、自分の身を犠牲にするのはよしなさい。人を守ろうと思うのは良いことだけれど、あなたが身を捨ててハウルを助けたって、彼は喜ばないわ。むしろ、これから先ずっと自分を責め続けるでしょうね。……カルシファーも、そんな危険なこと言わないの! が死んでもいいの?」
「じょ、じょうだんだよ。そんなに怒るなよぉ。オイラだってが死ぬのは嫌だ」
ソフィーさんは強烈だった。カルシファーはなんだかぺこぺこと謝っていて、悪いことをしたわけでもないのに少しかわいそうだ。マルクルはというと、おばあちゃんにつきそいながらこちらのやりとりを心配そうに見つめている。
「これならどう……?」
ソフィーさんはそう言って自分のおさげをカルシファーに差し出した。せっかくのばしていた髪なのに……それに、髪は女のいのちだ。ほんとうにいいんだろうか。私はそれを止めようとするが、すぐに彼女の手に制された。
「私の髪のほうが長いんだし、適任でしょう?」
ああ、このひとはやっぱりすごい。どんなことがおきても冷静に対処できるし、言うことに説得力がある。ほんとうに、すてきなひとだと思った。
 カルシファーは焔の手をのばしてソフィーさんのおさげを切り取って食べ始めた。するとどんどん火力は強くなり、炎の大きさが増していく。
『すごいよカルシファー!』
いつの間にか、城は走り出していた。

 荒地を駆ける城からはいらない部品がどんどんこぼれおちていき、最後にはとてもシンプルな形になっていた。道案内役のカブに導かれ、私たちはハウルのもとへと向かう。床に開いた穴からソフィーさんは身をのり出し、歓喜の声を上げた。
「すごいわ!」
「目か心臓をくれればもっとすごいぞ!」
カルシファーはまだこりていないようで、そんなことを言った。のり出していた体を元に戻して、彼に視線を向けながらソフィーさんは大きくため息をついた。
「あなた、また……」
「心臓? 心臓があるのかい?」
呆れぎみの彼女の言葉は、おばあちゃんの声にかき消された。さきほどよりもすごくイキイキしており、別人かと思うような声色だ。おばあちゃんはカルシファーに視線を向けると、目の色を変えていきおいよく彼に掴みかかった。
「ハウルの心臓だよ!」
「や、やめろ!」
私はおばあちゃんを止めようと駆け出したが、老人とは思えないほどの力で振り払われる。カルシファーが怯えて声をあげるが、おばあちゃんはとうとう彼を掴み上げてしまった。

「おばあちゃん! ダメよ、それを離して!」
「これはあたしんだよ!」
おばあちゃんはソフィーさんの言葉には耳を貸さず、カルシファーは自分のものだと言い張った。マルクルと私があたふたしながらそのようすをただただ見つめていると、とつぜんカルシファーが大きく燃えあがった。おばあちゃんが苦痛の声を上げる。
「熱い!」
そうは言うものの、カルシファーをあきらめるのは惜しいらしく、おばあちゃんは彼を手放そうとはしない。しかしこのままではおばあちゃんが燃えてしまう。どうすればいい……。
「やだ! あたしのだよ!」
おばあちゃんは泣きそうになりながら叫んだ。彼女の手は今でもカルシファーを掴んでいて、離そうとなんてぜったい考えていないようだった。
 その時、彼女のうしろに古びたバケツを見つけた。雨漏りのせいで水がたまっているようだ。私は駆け出してそれを引っつかみ、おばあちゃんもろともカルシファーへと水をぶちまけた。しかしすぐに、自分がやったことの重大さに気づいた。火は消えておばあちゃんは助かったけれど、それはつまり。この城の動力を失ったということだ。
 城は大きく揺れ、変な音をたてながらふらふらとした足取りになった。いろいろな部品がどんどん崩れていき、ついに床に亀裂が走る。それは私とソフィーさんたちを分けるように広がり、とうとう城はまっぷたつになってしまった。
!」
『マルクル!』
私がいるほうの城はゆっくりと傾き、大きく開いた谷へとのみ込まれていく。そのとき私は、最後に一度だけハウルに会いたかったな、なんて思っていた。

 目の前には、城の残骸が無残にも広がっていた。自分が生きていたことはすごく幸運だったがしかしこの状況では素直にそれを喜ぶことなんてできない。それに呆然とするとともに、さきほど自分がしでかしてしまったことを思い出した。カルシファーはいつか、自分が死ねばハウルも死ぬと言っていた。なんてことをしてしまったんだ、私は。あんなに彼を守ろうと必死だったくせに、自分の手で……。大切なものを一気に二つも失って、泣かずにいられるわけがなかった。これが夢なら良かったのに。またあの時みたいに目覚めてよ。
 でもこれは現実らしく、いくら願っても状況は何も変わりなかった。私はこれからどうすればいんだろう。ハウルはいないし、ソフィーさんたちともはぐれてしまった。泣きながら途方にくれていると、とつぜん、ヒンがさかんに鳴き始めた。
『ヒン、どうした……。』
彼に視線を向けようと顔を上げると、指輪から発せられる光に気づいた。この指輪は、ハウルがくれたものだ。ということは、まだハウルは生きているのかもしれない!
 嬉しくなって力いっぱい抱きしめると、ヒンは苦しそうな声を上げた。ゆっくりと手を離してやると、しっぽを振りながら、光の差すほうへ私を案内でもするかのようにゆっくりと歩いていく。私は涙をふいて立ち上がった。
 泣いているひまなんてない。ハウルを助けるんだ。

連載の中で、この話が一番書きにくかった!