tune 13 : strong resolution


「どうしたの!?」
焦ったように叫び、マルクルがこちらに駆け寄ってきた。強く打った腰をさすりながら、私はヨロヨロと立ち上がる。マルクルは心配そうに私を見上げながら、私の体を支えてくれた。
『ハウルが……。』
またハウルはいなくなってしまった。彼の力を信用していないわけではないけれど、それでも心配なんだからしょうがない。まさか死んでしまうなんてことはないだろうとは思うが、ひどいケガを負って帰ってきたらと思うと不安になる。
 彼は戦争なんて望んでいない。かなりのうぬぼれやだけれどすごく臆病で、強い力を持っているけれどとても弱い。そんな彼がどうして戦いに送られるのだろう。なぜ国は戦争に勝つことばかり考えて、和解しようとは思わないのだろう。偉い人たちの考えることなんて、私にはとうていわからない。戦争をやめるということは、そう安易にできるものではないのかもしれない。それでも、ハウルが戦争に参加するなんてぜったいに嫌だと思った。
、だいじょうぶ?」
私はよほどつらそうな顔をしていたのか、マルクルはオロオロとしたようすで私を見上げていた。心配かけてごめん。でも、不安でしょうがないんだ。私はその場でへたりこみ、マルクルの頭を抱え込んだ。涙が出そうになった。
「……ハウルさんならだいじょうぶだよ。それに、ハウルさんがいない間は、ぼくがを守るよ!」
なんでこの城の住人はこんなにもあったかいんだろう。ハウルにカルシファー、ソフィーさん……そしてマルクル。ここに来るまで、これほど心が満たされた経験なんてなかった。
「わ、苦しいよ!」
マルクルのそんなくぐもった声が聞こえたが、私はしばらくそのまま彼を抱きしめていた。

 夕食の準備をしている間も食べている時もお風呂に入っている時間も、ずっとずっと不安だった。マルクルのおかげで少しは楽になったけれど、彼が帰ってくるまでこの気持ちはおさまりそうにない。けっきょく、私が連れ帰った荒地の魔女のお世話はソフィーさんに任せてしまった。ソフィーさんは自分から申し出てきて、私に早く休みなさいと言ってくれた。
 部屋に戻って髪を梳かしていると、ゆっくりとドアが開かれた。そこには、犬のヒンを連れたマルクルが、悲しそうな表情を浮かべて立っていた。
「……心配しなくても平気だよ。前にも2・3日、戻ってこないことがあったもん」
まだ気にしてくれていたんだ。こんな小さな子を不安にさせて、私はいったい何をしているんだろう。しっかりしなさい、
『ありがとう、マルクル。……おやすみなさい。』
が元気になるんだったら、ぼく何だってするよ。おやすみ、
マルクルの言葉にあまりに驚いて、私は一瞬呆気にとられてしまった。それからじわじわと嬉しさが湧いてきて、頬が紅潮する。頑張らないと。そう思った。

、起きて!」
マルクルが私の部屋の外で、慌てたような声で叫んでいた。私は目をこすりながらベッドをおり、靴をはいて扉を開ける。するとマルクルが階段を駆け上がってきて、下ではヒンがくるくると走り回っていた。
「変な人がきた!」
マルクルに手を引かれるまま私は階段を駆け下り、身長差のせいか、こけそうになりながらもドアへと急いだ。ドアをゆっくりと開けると、柔らかな日の光が差し込んできた。さきほど起きたばかりの私には少し眩しくて目を細めた。
!」
一瞬、自分の目をうたがった。私の目の前で歓喜の叫びを上げた人物が、本当に誰だかわからなくなったかと思った。
『お……かあ、さん。』

 やっぱり声は出なくて、それを不思議に思ったのか、母さんは怪訝な顔をして近づいてきた。背後では、この騒がしさにおどろいたソフィーさんが起き上がっているらしかった。
「まあ、声が出なくなってしまったの!? かわいそうな……。急にいなくなって心配してたのよ」
そんなの嘘に決まってる。心配しているんだったら、なぜ探しているという手配をしなかったんだ。ふつうならこういう場合、血眼になって探すのが親というものだ。自分の子がいなくなったというのに目の前にいる私の母親は少しもやつれたようなようすはなく、むしろ最後に見たときよりも生き生きしているような雰囲気だ。
「いったいどんな所で生活しているの? ちょっと上がらせてもらっていいかしら?」
母さんは返事も聞かず、ずかずかと城へと入っていった。私はため息をつき、常識のなっていない彼女の後を追う。
「あら、えーと……あなたは?」
の母です。娘がお世話になっております」
「そうですか。私はこの家の掃除婦で、ソフィーといいます」

 ソフィーさんはすでに起きていて、母さんと対面していた。私は急いで城に入ってドアを閉め、母さんと正面から向き合った。どうしていまごろ訪ねてきたの? そんな瞳を彼女に向けた。
「聞いて! 私、再婚することにしたのよ。とっても素敵な方を見つけたの! あの人が死んでから、あなたに構ってあげなくてごめんなさい。私、悲しさでどうかしていたのよ。おかしくなっていたの。でももうだいじょうぶ。また昔みたいにあなたのことを考える余裕ができたの。お金のことも心配いらないわ。だから新しいお父さんと私と、いっしょに暮らしましょう?」
母さんは幸せでしょうがないというような表情を浮かべて、早口で説明した。こんなによくしゃべる母さんを見たのは初めてかもしれない。

 誰が、行くもんか。自分の娘がいなくなってもひょうひょうと贅沢に暮らしている母親の元になんて。新しい父さんはどんな人かまったくわからないけれど、今の母さんが惚れるような人になんて興味ない。私はすぐに首を横に振った。
「そう……。残念ね」
母さんは悲しそうな表情を浮かべ、うつむきながらそう言った。こんなにあっさりと引きさがるなんて、はなからどうでもよかったに違いない。断って正解だった。
「じゃあ母さんはもう行くけれど……がんばるのよ」
形式だけの母の言葉に、私は適当にうなづいた。本当に心配しているわけがない。私には、母の感情が手にとるようにわかった。それが嬉しくもあり、悲しくもあった。
 母は兵士の運転する乗り物に乗り、別れ惜しむような表情を浮かべて去って行く。私は外まで出て彼女を見送り、大きなため息をついた。母さんなんて、しゃべろうがしゃべらまいがどっちでも同じだ。どうせ愛情なんて与えてくれないのだから。

 目の前をたくさんの人々が通り過ぎていく。みんなそれぞれ大きな荷物を抱えており、この街から逃げるのだろうということがわかる。それほど戦争が激しくなってきているのだ。昨日の夜の空襲を思い出し、私は身震いした。
 この場にずっといてもしょうがないので、私は家の中へと入ろうとした。すると、さきほどとはうってかわって元気のないマルクルが玄関に立っていた。
『マルクル……どうしたの?』
「あの女の人が言っていたでしょ? いっしょに暮そうって」
どうやらマルクルは、私が母さんの元へ行ってしまうと思ったみたいだ。冗談じゃない。あんな人のところになんて、死んでも行くはずがない。
、行かないで! ぼくが好きだ! はハウルさんのことが好きなのかもしれないけど、それでものこと愛してる!」
マルクルはそう叫ぶと、私をちっちゃな腕で抱きしめた。それは、抱きしめるという表現が正しいのかどうか危ういほど可愛らしいものだったのだけれど。
 嬉しいと同時に、驚いた。ブレスレットをくれた時も思ったけれど、この子って、マセてる。ハウルの影響なんだろうか。

 マルクルは顔を上げて、私の言葉を待っているようだった。
『私もマルクルのこと好きだよ。大好き。どこにも行かないよ、ぜったいに。』
“愛してる”の部分をはぐらかしたせいかまだ少し不満そうな彼のほっぺに、腰をかがめて唇を押し当てる。すると、マルクルは唇がふれた部分を手で押さえて真っ赤な顔になり、フラフラとした足どりで暖炉の前のイスにへたり込んでしまった。その後ろでは、ソフィーさんが笑いをこらえているようだ。テーブルの周りにあるイスに腰掛けている、荒地の魔……おばあちゃんは、「青春だねぇ」などと言いながらどこからか手に入れた葉巻をすっている。私は急にはずかしくなり、マルクルと同じように頬を赤くした。

 食事も終わり、私はいつもどおり皿洗いをしていた。昨日、おばあちゃんのお世話をソフィーさんに任せてしまったので、そのぶん今日の夕食作りをしたのも私だ。私はぼんやりとハウルのことを考えながら、背後にも耳を傾けていた。新聞を読んでいるマルクルと、葉巻をすっているおばあちゃんの声が聞こえる。
「でも……優勢だって」
「そんなの信じるのは若いやつらだけだよ」
そう言っておばあちゃんは大きく息を吐き出した。すると葉巻のなんともすさまじい匂いが部屋いっぱいに広がり、ヒンが苦しそうに鳴くのが聞こえた。
「おかしいわ。カルシファーがちっとも燃えない」
暖炉の前で薪の管理をしていたソフィーさんが小さく唸った。母さんが帰ってから、なんだかカルシファーのようすはおかしいのだ。
「マルクル、窓を開けて」
とうとう耐えきれなくなったのか、ソフィーさんは換気をすることに決めたようだ。やっと綺麗な空気がすえると密かに安心したのもつかの間。おばあちゃんがゆっくりと口を開いた。
「開けない方がいいよ。カルちゃんの力が弱くなっているからね。奴等が入ってくるよ」
おばあちゃんの忠告が聞こえていないのか、マルクルはそのまま窓を開けてしまった。するととつぜん、遠くで何かが爆発する音が聞こえた。遠くといっても、この町内であることは確かだ。……戦争が始まったのだ。

「マルクル、おばあちゃんをお願い! お店を見てくる!」
『私が行きます!』
私は皿洗いをやめて手を洗い、今にも走り出そうとしているソフィーさんの行く手をふさいだ。ソフィーさんが行くよりも、私が向かうほうがいくらか速いだろう。私は窓を急いで閉めて中庭に駆け出した。ひどいありさまだった。城の周辺は無事なものの、周りは一面火の海だ。あちこちで爆発が起こり、いつここが吹っ飛ぶかも時間の問題のように思えた。夜だというのに紅蓮の炎のような色をした空を見上げると、こちらに飛んでくるいくつもの爆弾が目に入った。その中に、爆弾とは違った何かが見える。心臓が、嬉しさと緊張で高鳴った。ハウルだ。
『ハウル!』
出るはずのない声をしぼり出すように、せいいっぱい叫ぶ。彼はこちらに向かってくる爆弾にしがみつき、ものすごい勢いで庭に墜落した。彼のおかげで爆弾は不発に終わり、私たち全員無事だった。

『ハウル!』
もう、はずかしいとかみんなが見てるからとか、そんなこと考えられなくなっていた。ハウルが帰ってきたんだ。彼に駆け寄って抱きつくと、今までの不安がふっとぶのを感じた。ハウルのぬくもりが伝わってきたとたん、涙が溢れそうになる。しかし今までずっと待ち望んでいた感動の再開も、長くは続かなかった。サリマンさんの手下が、庭に侵入してきたのだ。
 私たちは急いで城に戻り、いきおいよくドアを閉めて鍵をした。ハウルは暖炉に向かい、すぐにカルシファーの異変に気づいた。
「カルシファーしっかりしろ」
ハウルがカルシファーに手をかざすと、今まで弱々しかった炎がとつぜん大きく強くなった。カルシファーは薪につかまりながらおばあちゃんを指さした。
「そのばあちゃんがオイラに変な物を食わせたんだ!」
ハウルはそれにはふれず、おばあちゃんにゆっくりと向き直った。

「マダム。それはサリマン先生からのプレゼントですね?」
「あら、ハウルじゃない。珍しいわね、私から逃げないなんて……。あんたとはゆっくりお話ししたかったのよ」
おばあちゃんは大きく息を吐き、葉巻の煙をハウルに吹きかけた。しかしハウルは嫌そうな表情一つ浮かべず、灰皿代わりに自分の手を差し出した。おばあちゃんはみじんもためらわずに葉巻をハウルの手に押し付ける。
「私もですマダム。しかし……今はその時間がない」
ハウルはそう言うときびすを返し、ドアのあるこちらに向かってくる。そして、いつになく真剣な表情で私の両肩をつかんだ。ハウルの綺麗な色の瞳が、私のそれを射る。
はここにいろ。カルシファーが守ってくれる。外は僕が守る」
そう言ってハウルはドアに手を掛けた。行っちゃ嫌だ。せっかく帰ってきたのに、もう行ってしまうの? 本当の本当に平和主義者なあなたが、どうして戦わなければならないの? 
『まってハウル! 行かないで!』
私はとっさにハウルのうしろから抱きついた。行っちゃ嫌だ。子供みたいなすごくワガママな奴だと思われてもいい。私は腕の力を強めた。
「次の空襲がくる。カルシファーも爆弾は防げない」
ハウルはそう言って私の腕を解き、こちらに向き直った。私は彼の顔を見上げながら、こぼれそうな涙をなんとか押しとどめる。視界が、ゆらゆらと揺れた。
『お願い。逃げようよ、いっしょに……。』
ハウルは困ったような表情を浮かべながら私の頭をなでる。瞬きをすると、二滴のしずくが頬を伝った。空襲は怖い。けれどハウルがいなくなるほうが何倍も、怖いよ。行っちゃやだよ。けれど、ハウルの意思は揺るがない。彼の瞳はいつの間にか、さきほどの強い光を宿していた。
「なぜ? 僕はじゅうぶんに逃げた。ようやく守らなければならない者ができた……君だ」
心臓が、跳ねた。

さんの母は名前変換しないことにしました。