tune 15 : magic kiss


 ヒンはときおりこちらにふり返りながら前を歩き、私はその後に続く。するとすぐに行き止まりに行き着き、それは私たちの歩みを阻んだ。しかし指輪の光が指しているんだから、この先に何かあるに違いない。案の定、岩肌に立てかかっている大きなガレキを力いっぱい倒すと、城にあったはずの、あのとびらが現れた。
『ここに……入れってことだよね?』
それしか考えられない。私は指輪の光に導かれるまま、ドアを開けて一歩を踏み出した。視界はぜんぶまっ暗で、なんだか粘液のなかを歩いているような感覚だった。うしろではヒンが覚悟を決めてこちらに向かってきている。しばらく進むと、いつの間にか簡素な小屋にたどり着いていた。外を見て驚いた。ここは、ハウルが子供のころ、夏に一人で来たというあの小屋だった。
 辺りの暗さから、今は夜なんだということがわかる。空を見上げると無数の流れ星がまっ暗な空を切り裂いていた。こんなにたくさんの流れ星を見たのは初めてだ。そんな感動に浸っていたその時、地面に落ちては消えていく流れ星の光によって、幼い少年の姿が浮かび上がった。誰か、なんて考えなくてもわかる。子供のハウルだ。
『ハウルの……子供時代?』
今の私の頭の中にはハウルのことしかなくて、少しでも彼の近くに寄ろうと夢中で走った。
 ハウルはたくさんの流れ星の中の一つを受け止め、それと言葉を交わしていた。その間も、辺りには無数の流れ星が地面にぶつかっては消えている。しばらくしてハウルはそれを飲み込み、自分の胸を抱え込んだ。そしてそこから現れたのは、なんとカルシファーだった。彼は未来と寸分違わない外見で、ハウルの手の上に赤い光を灯していた。私は、カルシファーとハウルが契約を交わす瞬間を見てしまったのだ。
 その時とつぜん指輪が弾け飛び、地面が急に闇と化した。私はひずみにのみ込まれながら、力のかぎり叫ぶ。声は出ないけれど、それでも。
『ぜったい行くから……待ってて! 未来で待ってて!』
ハウルが一瞬、こちらにふり向いた気がした。

 またあの暗闇の中を私たちは進んでいた。ヒンを先頭にして、私は駆け足でその後を追う。どうしてだろう、さきほどから涙が止まらない……私は一日に何度泣けば気がすむんだろう。視界がにじんで前が見えづらいけれど、それでも私は必死に走った。
 扉を開けてすぐ、目の前にいた人物に駆け寄って漆黒の羽根をかき分けると、愛しい顔がそこに現れた。
『待たせちゃってごめん。ハウルは……ずっと待っててくれたんだよね。ほんとに、ごめん。』
一呼吸おいて、彼にそっと口づける。
『私をカルシファーのところへ連れていって。』
ハウルは素直に私たちを足へ乗せると、漆黒の羽根を広げて大空へと舞い上がった。

 床だけになった城は、ふらふらとした足取りで今もなお歩き続けていた。崩れないのが不思議なくらいにボロボロで、マルクルやソフィーさんたちは床にうずくまっている。ハウルは私たちを乗せたままゆっくりと城の上に着地し、それと同時に体中の羽根が飛び散り、黒髪の青年に戻っていく。マルクルは私の元に駆け寄り、いきおいよく抱きついてきた。
が死んじゃったらどうしようって思った……」
『心配してくれてありがとう……ただいま。』
マルクルの頭を優しくなでてやると彼はだいぶ落ち着いたようで、今度は視線をハウルへと移した。
「……ハウルさんは、だいじょうぶなの?」
『うん。だいじょうぶだよ。』
安心したマルクルが肩の力を抜いたのを確認すると、私はおばあちゃんの元へと向かった。おばあちゃんは未だにカルシファーを握っていて、私が近づくと怯えるように後ずさりした。
「あたしは何も知らないよ! 何も持ってないよ!」
必死に叫びながら首を横に振り、胸に抱えたカルシファーを隠すようにうずくまるおばあちゃん。私はおばあちゃんの前に腰を下ろし、彼女の瞳を真剣に見つめた。
『おばあちゃん、ねぇお願い。』
「そんなに……欲しいのかい?」
『うん。』
おばあちゃんは少しのあいだうつむいて考えこんでいたが、しばらく経って顔を上げると大きく息をはいた。
「しかたないねぇ……。だいじにするんだよ?」

 おばあちゃんから手渡されたカルシファーは今にも火が消えそうなほど弱っていて、ここまで耐えたのが不思議なくらいだった。自分が水をかけたということを思い出して、私は少し良心が痛んだ。
……オイラくたくただよ」
言葉の通り、今の彼からはいつものような元気が感じられない。こんな弱々しい彼から心臓を取ってしまったら、いったいどうなってしまうのだろう。
『ねぇ、心臓をハウルに返したら……カルシファーは死んじゃうの?』
「……ならきっとだいじょうぶさ。なんせ、オイラに水をかけてもオイラもハウルも死ななかったんだから」
それを聞いて安心した。ハウルを助けることができても、カルシファーがそのかわりに死んでしまったら、それはすごく悲しいことだから。
 私は覚悟を決めると、カルシファーを手に乗せてハウルの元へと向かった。マルクルやソフィーさんが息をのんで私を見つめているのを背中で感じる。ハウルの横に膝をつき、カルシファーを両手で抱えた。
『やってみるね。どうか……カルシファーが千年も生きて……ハウルが心を取り戻しますように。』
祈りながらそっとカルシファーをハウルの胸に置くと、そこからまぶしいくらいに光があふれ出した。ハウルの心臓が、ぶじ体に戻ったに違いない。その証拠に、カルシファーは一筋の炎となって天高く上っていく。
「生きてる! オイラ自由だ!」
こんな元気の良いカルシファーの声を聞いたのは久しぶりだった。

 私は大きく息をはき、その場に座り込んだ。カルシファーが生きているということは、ハウルも生きているということで。もう彼のことは心配いらない。
 しかしとつぜん床が震動したかと思うと、城は足がもげて板だけの状態で急な斜面を滑り始めた。どんなに考えても解決法など浮かぶはずがなく、私は途方にくれてしまった。その間も城の床はどんどん坂を滑り落ちていく。
「カルシファーの魔法が解けたんだ!」
私とマルクルはハウルの上に覆いかぶさり、きたる衝撃に耐えようと身を固めた。ソフィーさんは反対側で、おばあちゃんをかばっている。
 板が岩にぶつかる衝撃が直に伝わってきて、そこにいるだけで疲労してくる。いつ振り落とされるかわからない。もしかしたら床が割れてしまうかも。そんな不安が頭の中でかけめぐった。
 黒いスーツを着たカカシが、城の進行を防ごうと飛び下りるのが見えた。しかし勢いのついた城はそうかんたんに止まるわけがなく、カカシの足でもある棒はどんどんすり減って短くなっていく。
「カブ!」
自分の叫びが、耳に届いた。すごく懐かしい響き。私は、もう何年も自分の声を聞いていないような感覚に陥った。

 気づけば城の進行は止まっており、目の前にはずいぶんと足の短くなったカブの姿があった。彼は以前よりもぐったりとしており、まったく動こうとしない。私は立ち上がって彼を抱き寄せた。
「カブ! 死んじゃやだよ、まだちゃんとお礼も言ってないのに……」
瞳から溢れた涙が、カブの顔に落ちる。また泣いてしまった……そう後悔しながら、私は彼に口づけた。するとカブの体はとつぜん跳ね上がり、ただのカカシがしだいに何かへと変化していく。それは、金色の髪をした若い青年だった。品の良さそうな服を着ているところを見ると、どこかの貴族だろうか。
「ありがとう、! 私はとなりの国の王子でジャスティンといいます。呪いでカブ頭にされていたのです」
夢かと思った。自分の目の前に立っている人がとなりの国の王子様で、私は彼に今口づけた。……なんて恐れ多いことをしてしまったんだろう。いまさらになって、後悔が波のように私を襲った。
「おや……良い男だねぇ」
おばあちゃんは、カ……ジャスティンさんを見て頬を染めながらそう呟いた。確かに彼はかっこいいし、すごく優しそうに見える。なんだか私も頬が熱くなってしまった。
「愛する者にキスされないと解けない呪いだね!」
妙に嬉しそうなおばあちゃんの言葉に、私は自分の耳を疑った。愛する者に、キス? その部分に驚いて、聞き間違いではないかと思ったほどだ。しかしジャスティンさんは否定しようとはせず、むしろ嬉しそうに綺麗な笑みを浮かべた。
「そのとおりです。が助けてくれなければ、私は死んでいたでしょう」
彼の笑顔が、まぶしい。お礼を言おうとして顔を見上げるけれど、なんだかすごくはずかしくて目をそらしてしまった。頬が、まるで火がついたかのように熱くなる。さっきのおばあちゃん以上の赤さだろうなと思った。

「……ねぇ、ジャスティンさん」
「ジャスティンでいいよ。そう緊張しないで」
王子様を呼び捨てにするなんてとも思ったが、どうせずっと“カブ”などと呼んでいたんだし今更だろう。言われたとおり、ジャスティンと呼ぶことに決めた。よし、お礼を言おう。
「じゃあ……ジャスティン。えっと、ありが……」
「うるさいなぁ。なんの騒ぎ?」
私の体は即座に反応した。いきおいよく振り向くとそこには、起き上がって顔をしかめているハウルの姿。それを見ただけで、ジャスティンへのお礼は私の頭から一瞬にして消え去ってしまった。なんだか言葉では言い表せない、いろいろな気持ちが一斉に湧き出てくる。
「ハウル!」
彼に駆け寄って、力いっぱい抱きついた。かすかに香るヒヤシンスの匂いがなんだかなつかしい。彼のぬくもりが伝わってきて、すごく安心できた。
「声が出るようになったんだね。。綺麗だよ」
「ねぇハウル。ずっとずっと言いたかったことがあるの。……大好き」
声が出るようになったら、ぜったいに言おうって決めてた。もしかしたらふられるかもしれない、なんていう不安は今の私の心の中には存在しない。なんだか、次にくる言葉がわかるような気がする。
「僕もだ」
ハウルはにっこりと笑って、私を抱きしめ返してくれた。

の気持はわかったでしょ。あんたは国に帰って戦争でもやめさせなさいな」
短くなった髪の毛を心地良い風に揺らしながらソフィーさんは言う。ジャスティンはこちらにちらりと視線を向けると、口の端を上げた。ハウルの、私を抱きしめる力がなぜか強くなる。
「そうします。そして戦争が終わったらまたうかがいましょう。心変わりは人の世の常と申しますから」
おばあちゃんの顔がパァッと輝いた。
「おや、いいことを言うね。じゃあ……私が待っていてあげるわ」
ジャスティンさんは苦笑いを浮かべている。おばあちゃんは惚れっぽい人だなあと私は思った。
 空を見上げると、透き通るような青が視界に飛び込んできた。雲がいくつか浮かんではいるものの、さきほどまで雨が降っていたとは思えないくらいに晴れている。今までハウルを助けるのに必死で、気づかなかっただけだろうか。

「カルシファーだ!」
マルクルの声が響き、みんないっせいに空を見上げた。一筋の青い光が、まっすぐこちらに向かってくる。それは私たちの目の前まで来ると、ゆっくりと静止してフワフワと宙を舞った。
「おいらも一緒に連れていってくれよ!」
ハウルが私を抱きしめたまま立ち上がった。
「戻ってこなくてもよかったのに」
そう言っているハウルの顔は、少しも嫌そうなようすではなく、むしろ帰ってきてくれて嬉しいという感情をむりやり隠しているような雰囲気だった。素直じゃないハウルが可愛くて、自然と笑みがこぼれた。
「あれ……が笑ってる」
マルクルが叫んだとたん周りの目が一斉にこちらを向いたので、ものすごくはずかしくて私はハウルの胸に顔をうずめた。みんながクスクス笑っているのが聞こえる。
「オイラ……みんなといたいんだ。……雨もふりそうだしさ!」
カルシファーははずかしそうにもじもじしている。一度出て行ったのにまた帰ってきたことが、少し引っかかっているんだろう。私は顔を上げて立ち上がると、彼をゆっくりと手に乗せた。
「私の呪いを解いてくれたの、カルシファーだよね?」
「そうだよ。だってはオイラとハウルの契約を見抜いたからな。ついでにソフィーの呪いも解いてやったぜ」
彼はどうってことないというような調子で言っているけれど、それはとてもすごいことだし、声が戻ってすごく嬉しい。
「……ありがとう、カルシファー!」
感動のあまり、私は手の上の彼に口づけた。すると彼はフワフワというよりフラフラと宙をさまよい始め、周りで大爆笑が起こった。

「それでは、私はここで失礼します」
礼儀正しくジャスティンはおじぎをした。別れるのがなんだかつらいけれど、彼はとなりの国の王子様なのだ。世間は彼の行方不明で騒いでいるらしいし、早く戻ったほうが国のためにも彼自身のためにもいいだろう。心の中でそう言い聞かせて私は自分を納得させた。
「いつでも遊びにきてね。私たちを助けてくれて、ありがとう」
王子様が私たちの元に訪れることなんて、できるのかどうか疑問だけれど。……もしかしたら王様や偉い人たちが黙っていないかもしれない。けれどジャスティンはにっこりと笑ってうなづいてくれた。
「喜んでうかがうよ……がいるからね」
とつぜん頬に触れた、やわらかい感触。それが彼の唇だとわかったのは、ハウルに強く抱きしめられてからのことだった。ハウルがやきもちを焼いているんだと思うと嬉しくて、私は彼にキスを送った。

 ジャスティンの助言のおかげか、それからすぐに戦争は終わり、街には平和が戻った。ハウルが戦いに出かけることもなくなり、城も綺麗に修復された。
 ソフィーさんは毎日おばあちゃんの世話におわれていて、カルシファーはあいかわらず暖炉でパチパチと燃えている。ヒンは元気よく庭中を駆け回っており、そしてマルクルは早くハウルに追いつこうと、与えられた課題と仕事を必死にこなしていた。私はというと、自分であの花畑をつくろうと魔法を猛勉強中だ。講師はもちろんハウルで、すぐ甘えてきてなかなか練習にならないけれど、充実した毎日をおくっている。
 空飛ぶ城から風にのって届けられる歌は、いつのまにか街一番の人気曲になっていた。

ここまで読んでくださってありがとうございました!