tune 11 : ordinary word


 やさしい夢をみた。どこにいたとか、何をしていたとか、そういうことではなくて。何かにふんわりと包まれているような、あたたかい夢だった。こんなに安心して眠ったのは、すごく久しぶりだなと思った。
 目を開けると、そこには整った綺麗な男性の顔があった。男の人なのに、そこらの女の子よりも綺麗な顔立ちをしている。今はすやすやと眠っていて、そしてあどけない表情を浮かべていて可愛い。そういえば、自分から添い寝をしてくれるよう頼んだんだということを思い出した。急に恥ずかしくなって顔をそむけようとするが、身動きがとれない。
「おはよう、
ハウルは寝起きだというのにとても綺麗な笑顔を浮かべた。朝早くからこんなに優しくほほえまれて、私はもうどうしたらいいのかわからなくなってしまう。
『お、はよう。ハウル。』
やっぱり、声は出ない。あれは夢だったんだ。もう気にすることはない。ハウルがいっしょに寝てくれたおかげか、心がすごく軽くなった気がする。
「もう少し……」
ハウルの眠そうな声が聞こえたかと思うと、私を抱きしめる腕の力が強くなった。
『ハウル……。』
彼はすでに二度目の眠りについていて、安らかな寝息を立てていた。また起こしてしまうのも気が引けるし、今日は何か予定があるわけでもない。私は赤い頬をしたまま、彼の腕の中で意識を手放した。

「ハウルさん!?」
マルクルのあわてたような大声が目覚ましがわりだった。目をこすりながらドアへと視線を向けると、大きく口を開けたまま動かないマルクルの姿があった。ハウルが私を抱きしめたまま起き上がったので、必然的に私も体を起こす。
「ハ、ハウルさん……に何を……」
こちらを指差しながら、マルクルはやっとのことで声をしぼり出した。ハウルを見上げてみると、彼はいつもどおりににこにこと笑っていて、焦ったようすはまったくない。私はというと、未だに手が腰に回されているせいで、心臓がバクバクいっている。
「何って、添い寝だけど。それがどうかしたのかい?」
「添い寝!」
マルクルは大きく目を見開くと、なんだかフラフラとした足どりで一階へと戻っていった。けっきょく、何をしに来たんだろう。
「お子様には刺激が強すぎたみたいだ」
そう言ってハウルはクスクスと笑っているが、私にはたまったもんではない。ただでさえ緊張しているというのに、そんなことを言われたらもう、相手に心臓の音が聞こえてしまいそうだ。ハウルの息が、かすかに、耳にかかる。
「朝食の用意ができたみたいだよ」

「やあ諸君。おはよう」
「おはようございます……ハウルさん。も」
マルクルは私たちを見るなり、頬をパッと朱に染めてドギマギとあいさつをしてきた。さっきのことを気にしているんだろう。それは私にも言えることで、こころなしか頬が熱を持ってきた気がする。私もあいさつをしようと口を開いたが、何を言っていいのかわからなくなってしまった。ハウルは私たち二人の反応を見て、声を殺して笑っている。
「おはよう、。どうしたの。熱でもあるの?」
ソフィーさんは心配そうに私のひたいに手を当てるが、熱などあるわけがなく、首をかしげてテーブルへと戻っていく。ハウルの笑いがいよいよ本格的になってきた。
「……さあ、食事にしようか!」
ジロリと睨むと、ハウルは話題をそらした。
 今日の朝食はやっぱりソフィーさんの手作りで、いつもどおりベーコンエッグがついていた。ハウルもいるせいか、前の朝食よりもおいしく感じる。ハウルがそこにいるだけで、今まで無色だった世界が急に色を持ち始めるのだ。

「どうしたんだい、。そんなにボーッとして」
ハウルはおもしろいものでも見ているかのように笑いながら、私を眺めている。ふたたびソフィーさんの手が伸びてきて、私のひたいにぴったりと合わさった。
「やっぱり熱はないわね。。ほんとうに、どうしたの」
ソフィーさんは眉毛を八の字に曲げて、真剣に私のことを心配しているようだった。私が首を横に振っても、まだ信じていないようで、怪訝な表情を浮かべている。熱なんか、ないのに。ハウルのせいなのに。
「君たち。それ、素でやっているのかい?」
ハウルはすでに朝食を食べ終わっていて、テーブルに肘をついて笑いを堪えながらこちらを見ていた。するとソフィーさんは立ち上がり、彼のもとへつかつかと足を運ぶ。
「ハウル! テーブルに肘をつくなんてお行儀が悪いわ!」
「いいんだよ。もう食べ終わってるからね」
ソフィーさんの説教でさえも嬉しく思っているのか、バツの悪そうな表情一つせず、ハウルはさらりと受け流した。呆れたように大きなため息を一つはいたソフィーさんは、さきほどより少し元気のなくなった足どりで自分のイスへと戻っていった。

「さあ、今日は忙しいぞ。引越しだ!」
また今日もソフィーさんに朝食の準備を任せてしまったので、その代わりのお皿洗いをしていると、後ろからハウルの元気な声が聞こえた。引越しなんか初めてで、どんなことをするのか今からすごく楽しみだ。
「ほら、。皿洗いなんて魔法で済ませてしまうからいいよ」
それならいつもそうしてくれればいいのに。そんな文句が頭の中に一瞬浮かんだが、それでも引越しのワクワク感には勝てず、その言葉が口に出ることはなかった。
「やあ、君がカブだね」
泡のついた手を洗ってハウルのもとに向かうと、彼はスーツ姿をしている背の高いカカシとお話をしていた。そのカカシが動いているということに対しては、カルシファーで慣れたのか、あまり気にならなかった。
『こんにちは。』
メモにそう書いてみせると、カカシ……カブは、あいさつをするかのように少し体を動かした。炎だけでなくカカシとも会話ができるなんて夢みたいだ。

「君にもややこしい呪いがかかっているね。我が家族はややこしい者ばかりだな」
ハウルはみんなをぐるりと見回した。ややこしい、とはいったいどういうことなんだろうか。それに、カブにも呪いがかかっているなんて、驚きだ。これも何かの縁だと思った。
「君はここにいてもらわなきゃならないな、魔力が強すぎる」
ハウルがそう言った瞬間、私は彼の服のそでを掴んでいた。カブ一人だけを置いていくなんて、そんなのかわいそうだ。呪いだってかけられているのに。ハウルを見上げると、彼は困ったような表情を浮かべた後、にっこりと優しくほほえんだ。
「心配しなくてもだいじょうぶだよ、。また帰ってこられるからね」
帰ってこられる? それは、もう一度お引越しをするということだろうか。ハウルの言っていることの意味がわからず、私は首をかしげた。カブは、心配してくれてありがとうとでも言うように、その場で二回、ぴょんぴょんと飛んだ。
 私は物置と化している部屋に走っていき、一本の古びたカサを持ってきた。カブのスーツの色と同じ色のカサだ。
『外にいたら雨にぬれるでしょう? これ、使ってください。』
相手はカカシだし、手を横に開いているのでカサをさしても体に届かないしで、効果はないかもしれない。それでも、何かしてあげたいと思った。ここに、一人で残ってくれるんだから。
 カブにカサを渡すと、彼はぺこりとお辞儀をしたように思えた。

 城の外に出ると、綺麗な青空が視界いっぱいに広がった。白い雲がゆっくりと流れ、山の向こうへと消えていく。心地よい風が頬を撫で、辺りに青々と茂っている草花を揺らした。やわらかい日の光が水面に反射して、キラキラと輝いている。
 ハウルは地面に白い線を引き始めた。地面に不思議な模様が描かれていき、しばらくして彼は動きを止めた。
「よし、できた。カルシファー、いいよ!」
ハウルが城に向かって大きな声で叫ぶと、城がゆっくりと模様に向かって動き出す。これをすべてカルシファーが動かしているんだと思うと、彼を尊敬せずにはいられなかった。城はゆっくりと進行し、模様の上まで来ると大きな音をたてて動きを止めた。
 今度は城の中に入り、私たちはテーブルの上に座らせられた。こんなお行儀の悪いことをするのは初めてだったが、これからお引越しするんだということを考えると、そんなのは気にならなかった。
 ハウルは白いチョークで床にまた模様を描き始め、最後にちょんちょんと線を入れると、満足げに立ち上がった。
「よし、じょうできだ。そこから降りないでね」
ハウルは私たちに念を押し、暖炉に近づいてカルシファーを持ち上げた。これから何が起きるんだろう。しだいに私の心臓の鼓動は速さを増していった。

 そこからは、驚きの連続だった。ハウルが模様に手を伸ばしたかと思えば、そこからなぜか風が巻き起こるし、カルシファーの炎は大きくなるし。気がつくとすでに風は収まっていて、カルシファーも元の大きさに戻っていた。あっというまの引越しだった。
「引っ越し終わり。もう降りていいよ」
ハウルは綺麗な笑みを浮かべて私に手を差し伸べてくれた。そんなことしなくても、一人で降りられるのに……。心の中でそんな言い訳をしてみるが、嬉しいという気持ちを止めることはできなかった。
「ほら、こっち」
ハウルは嬉々とした表情でそのまま私の手を引っぱり、階段を駆け上がる。ハウルの部屋の前に来ると、隣にもう一つドアがあるのに気づいた。引越しの前には、ここに部屋なんてなかったはずだ。
「開けてみて」
そう促されて、私は素直にドアを開けた。そこに広がっていたのは、女の子らしい家具の並んだ、ちょうど一人が住めるほどの大きさの部屋だった。ハウルを見上げると、彼は笑顔でうなづいた。
 感動が、体中をかけめぐった。こんなに素敵な部屋をプレゼントされたのは初めてだ。むしろ、プレゼントを貰うということ自体がすごく稀で。この感動をどう表現すればいいのかわからない。気の利いたお礼が、見つからない。
『ありがとう。』
そんなありきたりな言葉しか紡ぐことができない自分をひどく呪った。これだけのものをプレゼントされて。たくさん人に迷惑をかけて。その見返りが「ありがとう」の一言だけだなんて割が合わないに決まっている。期待はずれに、違いない。

 さっきまで嬉しい気持ちだったはずなのにいつのまにか気分は沈んでいて、しだいに視界がぼやけてきた。ここで泣いてしまってはハウルに迷惑をかけてしまう、そう自分に言い聞かせるが、体は正直だった。涙が次々と頬を伝い、真新しい木の床へと吸い込まれていく。
 なんでこう、自分はダメなんだろう。小さなことを一々気にして、ヘコんで。そうしてまた周りに迷惑をかけて。最低な、悪循環。
 いったいどれくらいの貯蔵があるのだろう、と思うくらいに涙はとめどなく溢れてきて、自分でも驚いた。その時、ヒヤシンスの匂いがほのかに香った。
「泣かないで、。僕は、ただ君を喜ばせたいだけなんだ。お返しとか、お礼とか。そんなこと気にしなくていい。君が喜んでくれるだけで、じゅうぶんなんだから」
ハウルの、私を抱きしめる腕の力が強くなった。彼はなぜこれほどにも私を理解してくれるんだろう。どうしてこんなに素敵なんだろう。
 涙はいつのまにかひいていて、ハウルのことが私の頭の中を占拠していた。彼の影響力はすごい。私を泣かせるのもなぐさめるのも、思いのままなんだから。ハウルはゆっくりと腕を離して、私の頭を優しくなでてから、無邪気に笑った。
「他にもまだまだ見せたいものがあるんだ。さあ、行こう!」

悩んで解決、悩んで解決、の繰り返し。