tune 10 : bad dream


 ハウルは魔法で私たちの分身を作り、自らの身といっしょにおとりになって敵をひきつけてくれた。そのおかげで私たちは墜落することもなく、順調に城へと向かっている。心の中ではハウルのことが心配で心配でたまらないけれど、私にはみんなを無事に城まで連れて帰るという使命がある。私は雑念を全てふりはらって、無心で操縦を続けた。
 どのくらい経っただろうか。辺りは霧に包まれていて、少し薄暗い。指輪の光が指している先に、うっすらと何か影のようなものが見えてきた。そちらに向かうのにつれて、影がはっきりと輪郭をもち、細かなところまで識別できるようになった。……城だ。

 そこで安堵の息をはいたのもつかの間。この乗り物を止める術がないのに気づいた。ブレーキのようなものは見当たらないし、説明もうけなかった。ソフィーさんたちは異変を察知したのか、衝撃にそなえて乗り物にしがみついた。私たちごと、乗り物はそのまま城の口の中へと吸い込まれた。
 ものすごい衝撃が私の体を襲った。耳をつんざくような音が鼓膜を揺さぶり、そしてしばらくたって静かになった。目を開けると、乗り物の破片がそこかしこに散らばっていて、なんとも悲惨な光景が広がっていた。みんな、ケガはないらしく、私はほっと安堵の息をはいた。
 立ち上がってホコリをはらっていると、バタバタと大きな足音をさせながら、息を切らせたマルクルが飛び込んできた。
「だいじょうぶですか!」
「ええ、なんとか……」
ソフィーさんの返事を聞いて安心したように胸をなでおろしたマルクルだったが、この場に一人足りないのに気づき、辺りをキョロキョロと見回した。
「あれ? ハウルさんは……」
「ハウルは私たちを逃がすために、おとりになってくれたの……」
辺りにどんよりとした空気が流れた。重苦しい沈黙。マルクルはがっくりとうつむいてしまっている。ハウルは、だいじょうぶなんだろうか。いくら彼でも、相手は師匠であるサリマンさんの手下だ。自信ありげに笑ってはいたけれど、あれはもしかしたら私を安心させるために演じていただけかもしれない。今ごろ、どこで何をしているんだろう。ケガをしていなければいいけど。ちゃんと、帰ってくるのかな。
 不安でたまらなかった。一度、ハウルがいなくなってしまった時を想像してみたけれど、息が詰まりそうだった。彼の存在は、想像だけでも私に大きな影響を及ぼすほど、重要になっていたのだ。
 私はいつの間にか夕食を食べ終わっていて、いつの間にかお風呂を済ませていた。ずっとハウルのことを考えていたせいで、自分が何をしていたかの記憶がない。そして、寝ようにもハウルの安否が気になってしまって目が冴えてしまう。私はふとんの中で目を閉じて、またハウルのことばかり考えていた。

 ドアの開く音がした。次に、足音。階段をゆっくりと上っていくようだ。ハウルが帰ってきたのだと私は確信した。こっそりとベッドから抜け出して靴をはくと、足音をたてないように慎重に階段を上った。すると、暗闇の中に何か黒いものが落ちているのに気づいた。拾ってよく見てみると、それは私の手のひらよりも大きい、漆黒の羽根だった。数段先にも落ちており、どんどん奥へと続いているようだ。ハウルのものかもしれない。私は自然と急ぎ足になっていた。
 ハウルの部屋のドアを開けると、前に見た時とは少し違った光景が広がっていた。魔女よけの小物がごちゃごちゃしている点は同じだが、明らかに違うのは、奥に大きな穴が空いているということだ。しかもそれは人が立ったまま通れるほどに広く、奥まで続いている。ここにはいないので、もしかしたらハウルは奥にいるのかもしれない。私は覚悟を決めて、穴の中へと足を運んだ。

 穴の内部はくねくねと曲がりくねっていて、その先には別れ道があった。私は直感で左に進み、立ち止まった。何かの息遣いが聞こえる。ハウルに、違いない。
「ハウル……いるの?」
返事は、ない。
「ねぇ」
しかしハウルはそこにいる。必ず。私は、自分がいま声をとりもどしているということよりも、ハウルの安否のほうが気になって仕方がなかった。
「ケガ、してるの? 苦しいの? だいじょうぶ?」
「来るな!」
突き放すような、そんな声だった。こんな彼の声を聞いたのは初めてだ。しかしそう易々と帰るわけにはいかない。階段に落ちていた羽根……それは、彼のケガのひどさをものがたっている。傷ついたまま放っておくなんて、できない。
「私、ハウルを助けたいの。呪いを、解きたいの!」
「自分の呪いも解けないお前に?」
ショックだった。彼にそんなことを言われたからではなく、それが事実だということが。そうだ。私は自分の呪いさえ解くことができない。解く術を知らない。そんなただの小娘が、どうやって他人を呪いから解放することなどできよう? 不可能だ。そんな言葉が私の頭の中を埋めつくしていく。でも。
「あなたを愛しているの。大切なの。だから……」
あなたを呪いから解放させられるんだったら、私の呪いなんて解けなくていい。あなたを助けることができるのなら、何だってしてみせる。しかしその言葉は、彼本人によってさえぎられた。
「お前などにこの苦しみがわかるか……」
「っ……ハウル!」
彼は私の呼び止める声に振り向きもせず、闇の中へと消え去ってしまった。洞窟の中に、今にも泣きそうな私の叫び声が響く。
 残ったのは、漆黒の羽根とむなしい喪失感。

 私はいきおいよく飛び起きた。夢……だったのだ。あまりの安堵感のせいで力が抜け、ゆっくりと後ろに倒れてしまった。枕がボフッという音を立てる。夢で、よかった。私は大きく息をはいた後、弾かれたようにふたたび起き上がった。ハウルは無事なの? 帰って、これたの? 心臓がバクバクする。あれは夢だったんだと心の中で自分に言い聞かせても、また同じことが起こってしまいそうで、恐い。でも彼の安否を確かめないと、気になって眠ることなどできない。
 私は靴をはいて、夢の時と同じように、そっと階段を上った。黒い羽根は、落ちていない。しかし油断はできない。ぐうせん羽根が落ちていないだけで、これから先の展開がどうなるかはわからないのだから。

 震える右手を左手で押さえながら、私はハウルの部屋のドアをゆっくりと開けた。ノックをするだなんていう考えは、その時の私の頭にはまったく浮かばなかった。おそるおそる部屋を覗き込むと、漆黒の髪がランプの明かりでゆらゆらと光っていた。
? どうしたんだい、こんな夜遅くに」
彼の優しい声を聞いたとたん、腰が抜けた。ずるずるとその場にへたり込んでしまい、ドアノブから手が離れる。ハウルはびっくりして読んでいた本をデスクに置き、私の目の前まで来てしゃがみ込んだ。
「恐い夢でも見たのかい?」
私はゆっくりとうなづいた。ほんとうに恐かった。夢の中のできごとがすべて現実になるのではないかという不安でいっぱいだった。しかし実際に部屋に来てみれば洞窟などなく、ハウルも元気そうだ。あまりのギャップに驚いてしまって、そして嬉しくて。ホッとした瞬間に涙腺が緩み、涙がぼろぼろと溢れた。
「泣き虫だなあ、は」
そう言ってハウルは私を抱き上げ、ベッドの横にあるイスに座らせてくれた。ベッドに座ったハウルは私の頭を優しく撫でてくれて、しだいに涙は収まっていった。こういう時は、妹扱いでも嬉しい。私ってワガママだ。

「落ち着いたかい?」
ハウルの優しい問いに、私はすぐうなづいた。しかし、じゅうぶん満足なはずなのに、なぜかこの部屋が名残惜しい。まだここにいたいと思った。このぬくもりから、離れたくない。
『ここで寝ても、いい?』
ハウルは目を見開いた。まさか、ヘンな意味にとられてしまったのかもしれない。私はなんとか伝えようと頑張ったが、その動きはハウルに制された。ヘンな意味じゃないってこと、わかってくれたみたいだ。
「しょうがないな」
そう言ってハウルはベッドの端に寄り、私の入るスペースを空けてくれた。そこで、急に頬が熱を持った。なんて大胆なことを言ってしまったんだろう、私は。ヘンな意味じゃないにしても、一般の常識から考えれば、少し異常なお願いだったに違いない。いいよと言ってくれたことがとても嬉しいけれど、すごく恥ずかしい。
「どうしたんだい?」
もう、どうにでもなれと思った。靴をぬいでベッドに上がり、ハウルの横に収まると、そっと上にふとんが掛けられる。横を見るとハウルの顔がすぐ近くにあって、わかっていたはずなのにすごくびっくりした。自分の心臓の音が今にも聞こえてきそうだ。でも夢でのできごとに怯えていた時とは違って、心地よい緊張感だった。
「おやすみ、
ハウルの優しい匂いに包まれて、私は深い眠りへと落ちていった。

キングズベリーのほうのも城だし、ハウルのも城だし、もう!