tune 6 : attractive place


 洗濯物を取り込んで城の中へと入ってみると、今までとはまったく違う光景が広がっていた。家具は綺麗に整頓されており、ホコリなどは一つもない。クモの巣が除去されて、床もピカピカだ。とてもいい気持ちになった。テーブルの上がすっきりしているのを見るだけで、なんだか幸せな気分になる。……でもなんだか、今日はもう疲れた。他の部屋のそうじは明日でいいや。その旨を伝えると、マルクルもなっとくしたようだった。彼もまた、私と同じようにヘトヘトなのだ。
「そういえば、昼食をとっていなかったね。疲れているだろうし、僕が作るよ」
そう言って作ってくれたハウルの料理は、おなかが減っていたこともあいまって、ものすごくおいしかった。でも、気を使って料理を作ってくれるくらいなら、そうじを手伝ってくれたほうが嬉しいんだけどな。そう思ったけれど、そうじ嫌いな彼のことだ。ぜったいにその期待には応えてくれないだろう。

 昼食兼夕食も終わり、後かたづけも済んだ。昼間たくさん働いたせいか、すぐにウトウトし始めてしまった。マルクルも同様に、眠たそうに目をこすっている。ゆいいつ、そうじに参加していないハウルだけは、未だに元気なままだ。
「僕はこれから出かけてくるよ。るすばんをよろしく。
まだ寝る時間にしては早いと言っても、今からでかけるなんて、少しおかしい。いや、怪しい。しかし私が聞こうとする前に、ハウルはさっさと出て行ってしまった。
『ハウルは、どこへ行ったの?』
「……」
マルクルは答えようとはしなかった。ハウル本人が言おうとしなかったので、行き先を明かしてもいいのか迷っているんだろう。私はマルクルを悪者にしてまで聞きたいわけではないので、それ以上しつこくは追求しなかった。
『おやすみ、マルクル。』
「おやすみなさい。
マルクルは申しわけなさそうな表情を浮かべると、階段を登って自室に帰って行った。
 それを見送ると、疲れがどっと押し寄せてきて、ものすごくまぶたが重くなった。私はベッドへ倒れ込むように、深い眠りに落ちた。

 声が、聞こえる。誰かが会話しているみたいだ。気になって仕方がない。目が冴えてしまって、もう寝ようにも寝られなくなってしまった。
 うっすらと目を開けると、青い服を着たおばあさんがいた。見たことのないおばあさんだ。お客さんが何人もたずねてきて、その対応に追われながらも、マルクルはそのおばあさんと会話している。
「あ。、起きたんだ!」
小さい女の子への対応を終えて、マルクルは階段を上りながら声をあげた。ついでに、おばあさんの視線もこちらに向く。
「あら、この城には女の子もいたのね。……用心しないと魔法使いハウルに心臓を食べられちゃうわよ?」
おばあさんは、おどかすような調子でそんなことを言った。心臓を食べる? ……ハウルが!?
「変なことに吹き込まないで下さい。ほら、すでに信じかけてる……」
そう言うと、マルクルはちらりと視線をこちらに向けた。冗談……だったんだ。なんだか急に恥ずかしくなって、顔が火照ってきた。
「ごめんなさいね」
おばあさんはそう言って、ドアの色を変えながら、家に入ったり出たりをくり返していた。ドアの色によって出る場所が違うというこの家のしくみが、面白いんだろう。マルクルはパンとチーズなどを取り出しながら、朝食の準備を始めている。おばあさんはそれに気づくと、階段を登ってきて、テーブルの上に置いてあるバスケットの中身を確認し始めた。
「ベーコンと卵もあるじゃない」
「ハウルさんかじゃないと、火は使えないんです」
そうなんだ……? そんなこと、全然知らなかった。でもよく考えてみると、私がここに来てまだ2日しか経っていない。この家のしくみについての私の知識は……今来たばかりのこのおばあさんと、まだあまり変わらないんだ。そう考えると、少し悲しい気持ちになった。
「それじゃ、私がやってあげるわ」
おばあさんはそう言って卵とベーコンを持ち、カルシファーへと近付く。私、やります、と伝えようとすると、おばあさんは私を気づかって「いいからいいから」と言った。私はおとなしく、料理の様子を眺めることにした。
「さあカルシファー、頼みますよ」
「やなこった! オイラは誰の指図もうけないよーだ!」
カルシファーはそう言って舌を出した。私には、そんなことしなかったのに。なんでだろう。それでもおばあさんは、あきらめるどころかニヤリと笑ってカルシファーをやり込めようとしている。
「そんなこと言うと水をかけちまうよ」
だめ、それだけはだめ! 私はいつのまにかベッドから飛び下りて、おばあさんの腰にしがみついていた。
「冗談よ冗談。素直でかわいい子ね」
おばあさんはそう言って私の頭をなでた。その時の笑みは本当に優しくて、カルシファーに水をかけるなんてひどいこと、本気でしようなんて絶対に思わない人の顔だった。私は急にはずかしくなって、おばあさんからパッと手を離した。
「しょうがないな。に免じて、火、使わせてやるよ!」
カルシファーはため息をついてから、本当に“しょうがないな”という感じでそう言った。いいこだねぇ、とおばあさんは言って、カルシファーにフライパンを乗せ、ベーコンを一切れ、焼き始めた。
「ちくしょう。ベーコンなんて焦げちまえ」
そうとう、他人に指図されたりいいように使われるのが嫌なのか、カルシファーはせめてもの反抗として、そんなことを言っていた。だがおばあさんはそんなこと、気にも留めていない。おばあさんのほうが、何枚も何枚も上手みたいで。
「バカなことはおよし」
その一言で片付けてしまった。

「あ、ハウルさんおかえりなさい!」
マルクルの嬉しそうな声が聞こえた。チン! という音がして、ドアの色が黒に変わり、ハウルが入ってくる。なんだか、寝ている間しか離れていなかったはずなのに、妙に懐かしいような、嬉しいような気持ちになった。階段を登ってくるハウルに、マルクルはせわしなく話しかけている。
「ハウルさん、おかえりなさい。王様から手紙が来ていますよ。ジェンキンスにもペンドラゴンにも」
じぇんきんす? ぺんどらごん? ハウルの別名なのかな。……やっぱり私はこの城のこと、ハウルのこと、まだなんにも知らないなと痛感した。ハウルの持っている別名でさえ、わからない。
「ただいま、。どうしたんだい? そんな浮かない顔をして。僕がいなくて寂しかった?」
私は、反射的に頷いてしまった。ハウルの質問の内容を、まったく聞いていなかったのに、だ。ハウルは面食らったような顔をして、次の瞬間には嬉しそうに笑っていた。
「僕もがいなくて寂しかったよ。ただいま」
ハウルに、抱きしめられた。なに、なんなの? ハウルは、私のこと、好きなの? それとも、私の反応を見て楽しむため? もしかして、誰にでもこんなこと、できるの?
『おかえりなさい。』
嬉しいような、心の中がもやもやしているような、変な気分だ。私、ハウルのこと、好きになっちゃったんだろうか。声が出ないはずなのに、ゆいいつ私の言葉が通じる彼を。

 ハウルは私から腕を離すと、暖炉の方へと歩いて行った。そして、おばあさんにいいように使われているカルシファーをじっくりながめた。
「カルシファー、よく言うことを聞いているね」
に免じて働いてやってるだけだ!」
そんなに、人に使われるのが嫌なのかな、カルシファーは。私だったら、誰かを助けられたら、嬉しいけどな。
「……それでも、誰にでもできることじゃないな。あんた誰?」
「あ……。あたしゃ、ソフィーばあさんだよ。ほら、この家の新しいそうじ婦さ」
ソフィーというらしいそのおばあさんは、老人とは思えないほど元気のいいしゃべり方だった。私も、あんなおばあさんになりたいな。
「それは誰が決めたの?」
「もちろんあたしさ、こんな汚い家、見たことないからね。リビングだけは綺麗にしているようだけど、他は全然だね」
このおばあさ……ソフィーさんは、初対面の人にも全然物怖じしない、ハキハキとした明るい人だった。同性の私から見ても――おばあさんだからかもしれないけど――嫌味なところや媚びた口調のない、気持ちのいい女の人だと思えた。私にはない、いいところがたくさんある。でも、羨ましいと思うと同時に、不安になった。もしこの人が、ハウルを奪ってしまったら……。違う。“奪う”という表現は正しくない。ハウルは、誰のものでもないんだから。

「貸しなさい」
ハウルはそう言うと、ソフィーさんの手からフライパンを取った。ソフィーさんからベーコンと卵を受け取り、慣れた手つきで料理をしている。卵なんて、片手で割れちゃうくらい。殻は捨てずに、カルシファーに投げて与えている。
「うまい、うまい」
炎だから、だいたいなんでも食べられるのだろう。それに、ごみを捨てる手間も省ける、というわけだ。ハウルは、マルクルから皿を受け取り、次々にベーコンエッグを盛りつけ始めた。
「みんなでオイラをいじめるんだ」
「ソフィーさんもどうぞ」
いじめられているわけではないと思うけど、あっさりとその言葉を無視されているカルシファーが、少しかわいそうだった。同情して、新しい薪を持ってきてあげると、彼は嬉しそうに笑った。
「やっぱりオイラの気持ちをわかってくれるのはだけだ!」
「あんまりそいつを甘やかしちゃいけないよ」
冗談っぽく、ハウルがそう言うのが聞こえた。

「はい、
『ありがとう。ハウル。』
ハウルは次々にパンを配っていき、ついに朝食の準備が整った。
「諸君、いただこううまし糧を」
「うまし糧!」
マルクルはそう言うと、すごい勢いで犬食いを始めた。いつものことながら、ものすごい光景だと思う。ソフィーさんもそれを見て、苦笑しているみたいだ。
「教えることがたくさんありそうね」
ハウルはマルクルから視線を外し、ソフィーさんのほうを見た。正確には、ソフィーさんのポケットを。
「で、あなたのポケットの中の物は何?」
ハウルに指摘されて、ソフィーさんは自分のポケットをごそごそとあさり始めた。出てきたのは、赤い紙切れ。
「何かしら」
「貸して」
ソフィーさんの手からハウルの手に移ったとたん、テーブルの上に焼印が落ちた。一瞬のできごとだった。みんな驚いて、それを凝視している。
「あぁ、焼きついた! ハウルさん、これ……」
「とても古い魔法だよ。しかも強力だ」
マルクルとハウルは、それが何かよく知っているようだった。魔法使いに、何か関係があるのだろう。
「荒地の魔女ですか?」
それを聞いたとたん、体がぞわりとした。あの時のことを、思い出したのだ。露出の高い、黒い服。垂れ下がってたるんだ、太い首。そして、呪いをかけて去っていった時の、気味の悪い高笑い。……でも、もしあの時、荒地の魔女が私に呪いをかけていなかったら、私がハウルに会うことはなかっただろう。マルクルにも、カルシファーにも。そして、この家に住む、なんて幸せなことも。そう考えると、私は荒地の魔女を恐れるどころか、彼女に感謝したほうがいいんじゃないかとさえ思うようになった。声が出ないのは不便だけど。大好きな歌が歌えないのは悲しいけれど。でもこの城には、歌を歌えることよりももっとすごい魅力があるんだ。

ようやく映画本編に突入です。