tune 5 : strange feeling


 ハウルの部屋のドアをいきおいよく開けると、部屋の主はびっくりした表情をして、こちらに振り向いた。私は持っていた紙に走り書きをすると、ハウルに近寄って、見せた。
『家が動いてる!』
ハウルはそれを見てふきだした。
「気づかなかったのかい?」
ハウルは笑いをこらえながら、今まで読んでいた本をたたんだ。ハウルにとっては、私のすべてが面白いらしい。いつも笑ってばかりいる。
『今、お風呂のそうじをしようと思って窓を開けたの。そうしたら、外の景色が動いてたのよ!』
ハウルの表情が少し変化した。あせったような、そんな顔。
「まじないには触らなかっただろうね?」
ハウルは立ち上がり、目の前までやってきて、私の両肩をつかんでたずねた。いつもの彼らしくなく、なんだか慌てているような声色だ。首を横に振ると、彼は大きく息を吐いて脱力し、私のほうにもたれかかってきた。また、頬が熱くなる。
「ならいいんだ。……風呂場はそうじしないでくれないか。大事なものがたくさんあるんだ」
息が、首筋にかかる。頬の温度がみるみる上昇していき、心臓の音が早くなる。なんで、ハウルはこんなことをしても平気なのだろう。私はすごく、緊張してしまうのに。よく聞こうと努力していないと、ハウルがさっき言ったことも耳に入らないくらい、今の私はボーッとしている。
『……うん』
そう口を動かしてうなずくと、ハウルはゆっくりと私から離れた。心臓のドキドキが、しだいに落ち着いていく。それと同時に、ハウルの温もりも少しずつ薄れる。安心したような、寂しいような、変な感覚。
「また赤くなってる。りんごみたいだ」
また、笑った。ハウルが笑うたびに、私は胸が痛くなる。笑い方を忘れてしまったから、気軽に笑みを浮かべられるハウルがうらやましいのだろうか。でも、妬みとはなにかが違う気がする。もっと、それよりも複雑な、何か別の気持ち……。
 そこまで考えて、またあの考えに行き着いた。違う。私はハウルのこと、特別だなんて思ってない。ハウルは、優しくてあったかくて、弱い。ただそれだけ。それ以外の感情は、ない。
『私、おそうじしなきゃ。お風呂以外。ね』
私は走り書きをした紙をハウルに渡し、部屋を飛び出て階段を駆け下りた。

 暖炉の前に置いてあるソファにこしかけて、目の前にいるカルシファーをじっと見つめた。
「どうしたんだ。ハウルに何かされたのか?」
カルシファーは気軽に声をかけてきたが、私の頭の中はいろいろな考えでいっぱいだった。無意識のうちに体が動き、気がついた時にはカルシファーのために薪を持ってきていた。
「さんきゅ」
カルシファーは新しい薪につかまって嬉しそうにしながらも、私の様子がおかしいことを心配しているようだった。なんだか、自分が悪いことをしているような気になってきた。自分の思い違いかもしれないのに、そんなことで悩んで人に心配をかけて。そのくせ、何があったのかと聞かれたら黙っている。最低だ。
『なんでもないの。ただ、ハウルに「お風呂はいじるな」って注意されただけ』
「なんだ。……ハウルに何かされたら言えよ。今は逆らえないけど、いつかオイラが仕返ししてやるからな」
紙を取ってきて急いでペンを走らせると、カルシファーはそう言った。彼の心遣いが、なんだか嬉しい。
『だいじょうぶ。ハウルは悪いことなんてしないもの。……それより、この家って動いているのよね?』
「そうだよ。オイラが動かしてるんだ!」
私はものすごく驚いた。カルシファーは、お湯を沸かしたりフライパンを温めたりするだけだと思っていた。それが、この家を動かしている? 理解するのに、数秒かかった。
『ほんとうに? すごい!』
そう書いた紙を見せると、カルシファーは自慢げな笑みを浮かべた。本当に、すごいと思う。カルシファーは、よほどすごい力を持っているんだろう。
『すごいすごい!』
「なんだかにそう言われると照れるな」
炎でも、照れたりするんだ。また1つ新しい発見をした。カルシファーは、見た目は炎だけど、人間と同じように心を持っているんだ。笑ったり、照れたり。内面は、私たちと何も変わらない。なんだか、カルシファーと話して心が軽くなった。さっきまで悩んでいたことも、今はあまり気にならなくなった。
『ありがとう、カルシファー』
そう、とびきり丁寧に書いた。

 お風呂はそうじをしてはだめといわれたので、まずは洗濯をすることにした。カゴを持って外へ出ようとすると、マルクルがやってきて、ドアの色を変えてくれた。色ごとに、どこへ出るかが決まっているらしい。なんだか楽しいしくみだ。
 ドアを開けると、目の前には湖が広がっていた。空は気持ちがいいほど晴れていて、絶好の洗濯日和だ。気分が良くなってカゴを持ったまま駆け出すと、マルクルもカゴを持ってついてきた。湖のふちまで走り、そこにカゴを置くと、私たちは洗濯をはじめた。
 持ってきたものをすべて洗い終わると、今度は干す作業だ。どこにどうやって干そうか考えていると、マルクルがどこからかロープを持ってきた。これを城に結び付け、端をどこかに固定すればよいのだ。
 私はロープを持って城の中に入ると、ちょうどこれを結びつけるのにいい場所を探した。すると、窓の近くに、ロープを結べそうな部分を発見した。しかし私の背では足りないところにあり、背伸びをしてもまだ十数センチ差がある。あきらめて、踏み台を取ってこようと引き返したとたん、何かに勢いよくぶつかった。ハウルだった。
「だいじょうぶかい? 
鼻をぶつけてしまったので少し涙目になって見上げると、ハウルが心配そうな面持ちで立っていた。私の手から、ロープがするりとすべり、床にどさりと落ちた。
「これを結べばいいんだね?」
ハウルはそう言うと私の返事を待たず、ロープを結び付けてしまった。苦労していた私とは対照的に、いとも容易く。
『あ、ありがとう』
まともに顔が見られない。せっかく平気になったかと思ったのに、また恥ずかしくなってくる。でも、それだけだ。前よりは、いくらか気分が軽い。カルシファーのおかげだ。
「こちらこそありがとう。。洗濯、ごくろうさま」
そう言うくらいなら、自分で洗濯ぐらいすればいいのに。そう思ったが、どうせ何を言っても自分ではやらないんだろうな。掃除だってさぼるくらいだし。
「じゃ、がんばって」
ハウルはそう言うと、自室へと戻っていった。そこで私はあることに気がついた。なんでハウルはここに来たのだろう。何か用事があったわけではなさそうだ。……もしかしたら、私を助けに来たのかもしれない。だが、ハウルの部屋には窓がない……。深く考えていても仕方がない。私は考えるのをやめ、窓を開けて、ロープをそこから下へおろした。

 洗濯が終わった。青い空の下に、綺麗になった洗濯物たちがはためいていて、すごく清々しい。空の青と洗濯物の白が対比していて、なんだか綺麗だ。しかし城の中に入ってみると、一瞬にして気分が萎えた。そうだ。洗濯は終わったけど、掃除はまだまだできていないのだ。
 私たちは、いったん物をすべて外に出し、壁や天井を綺麗にすることからはじめた。ものすごい重労働の末、ようやく部屋から物がなくなった。
 私はまず、カルシファーの周りにある灰をかき出すことにした。何日、放置しているんだろう。灰が山のように積まれていて、今にもカルシファーに覆いかぶさりそうだ。
『これに、つかまってて。すぐ終わるから』
カルシファーはその紙を見て、しぶしぶではあるが納得してくれたようで、私の用意した缶に大人しく入ってくれた。
「早くしてくれよ!」
どこにいようが、やはり彼は元気で、私を早く早くと急かした。私が急いで灰をかき出している間もずっと、カルシファーは私を急かし続けている。
「カルシファー、をいじめないでやってくれないか」
ハウルが苦笑いを浮かべながら二階から降りてきた。カルシファーは私を急かすのをやめ、ハウルの方を向いた。
「いじめてるわけじゃなくて指導してやってるんだ!」
「ならいいんだけど」
私は二人がしゃべっている間もずっと灰をかき出していたので、すぐに暖炉のそうじは終わった。カルシファーを移し変えてやると、彼はとても嬉しそうにしていて、なんだかこっちまでいい気分だ。
「カルシファー、さっそくお風呂に熱いお湯を送ってくれ」
カルシファーはさっそく仕事を頼んでくるハウルに文句を言っていたが、逆らうことなどできはしないので、しぶしぶ折れていた。
『もうお風呂に入るの?』
前に書いた紙が残っていたのでそれになにげなく書き、ハウルに見せると、彼はクスッと笑って口を開いた。
「一緒に入るかい?」
頬が、沸騰するかと思った。冗談だとはわかっているけれど、これでびっくりしない女の子などこの世にいないだろう。タチの悪い冗談だ。ハウルはまた私の反応を楽しんでいるようで、クスクスと笑っている。私は、何も気にしていないふりを装って、そうじを再開した。もう、とっくにばれているのだけれど。

 何時間か経って、ようやく壁や床はピカピカになった。だがこれで終わりではない。まだ家具を城の中に運び込む作業が残っているのだ。私は半ば、うんざりしながらテーブルを持ち上げた。
「貸して」
ハウルの声だ。顔を上げると、ハウルが目の前に立っていて、私の持っているテーブルに手を掛けていた。私がテーブルから手を離すと、ハウルは片手を動かして、魔法で家具を城に運び入れた。そんなことができるんなら、最初からそうしてよ。私は、そんな気持ちでいっぱいだった。
が頑張ってるのがかわいいから、つい言い出せなかったんだ」
そう言っている間も、家具は魔法によってどんどん城に吸い込まれていく。なんだか、家具を必死で運び出していた自分たちがバカみたいだ。ハウルの言葉に照れるひまなどなく、疲労感がどっと波のように押し寄せてきた。最後にイスが一つ、城の中へと消えていき、リビングの大掃除は終わった。

ハウルさん、セクハラ疑惑浮上。