tune 4 : beautiful smile


 私は、しばらくハウルを抱きしめていた。ほのかにバラの香りがする。……昨日、ハウルがしてくれた時のように、不安が取り除けられればいいんだけれど。
「ハウルさーん……」
マルクルが現れた。ドアを開けたまま、こちらを凝視して固まっている。ただでさえ恥ずかしいのに、さらに頬が熱くなるのを感じた。
「気がきかないな。マルクル」
「す、すみません!」
ハウルの一言で、マルクルは顔を赤くしてあわてて駆けていった。誤解をまねくようなことを言うから、マルクルはそれを信じてしまった。もう!
 私は腕を離すと、ハウルをじろりと睨んだあと、ベッドを離れ……ようとした。とたんに、ハウルに手首を掴まれた。
「そのワンピース、着てくれたんだ。……似合ってるよ」

 思考が一瞬、止まった。振り向いたさきには、今まで見てきた人たちの中で一番だと思えるほどの、美しい笑顔が咲いている。金色の髪の毛がサラサラとすべり落ち、窓なんかなくて日の光が差し込んでいるわけでもないのに、金色が光り輝いて見える。
 こんなきれいな笑顔を、私は見たことがない。見る機会もなかったし、美しい笑顔をもった人も、いなかった。

 もしかしたら、父さんが戦死する前は、母さんもこんなふうに笑っていたのかもしれない。でも、母さんが変わってしまったショックが大きすぎて、幸せだった時の記憶がおぼろ気になってしまっている。
 とても素敵なひとが、私にワンピースをくれた。そして、似合っていると言ってくれて、きれいで素敵な笑顔を浮かべている。私は今、世界で自分が一番幸せだと思った。こんな経験は初めてだった。

『ありがとう。』
ショートしそうな頭を意地でフル回転させ、私はなんとか口を動かした。これは、ワンピースをくれたことと、それを着た私を誉めてくれたことの両方に対しての言葉だ。
 頬が、熱い。なんだか、ここに来てからというもの、私のほっぺたはすぐ赤くなってしまう。ハウルのせいだ。
「こちらこそ、素敵な抱擁をありがとう」
今度は、なんだか、からかうような笑みだった。私はさっきのことを思い出し、くらくらしながらドアへと走った。私ってば、なんて大胆なことをしてしまったんだろう。自分から、ひとを抱きしめるなんて!
 ドアを開ける私の後ろでは、ハウルがクスクスと笑っていた。

 一階に降りると、テーブルについていたマルクルと、ばっちり目が合った。マルクルはしばらくこちらを見ていたが、少し経ってから頬を朱に染めてうつむいてしまった。ハウルがあんなことを言うから、誤解されたままなのだ。
 その時、階段を誰かが降りてくる音が聞こえた。誰か……なんて、考えなくてもわかる。ハウルだ。
「やあ諸君、おはよう」
ハウルはそう言うと、私のほうにちらりと視線を向けた。頬が、ボボッと熱くなる。
「おはようございます、ハウルさん」
マルクルはすぐにあいさつを返し、ニコッと笑みを浮かべた。その時ハウルはマルクルのほうを向いていたのに、しばらく経ってから再び私に視線を移した。なんだか、じっと見られると、緊張してしまう。
からのあいさつはないのかい?」
ハウルは、意地の悪い笑みを浮かべていて、私をからかっているみたいだ。ここ最近、優しくされた経験もなかったが、からかわれたのも初めてだ。

『おは……よう。』
なんとかこらえて口を動かし、オレンジジュースを一気に飲みほした。マルクルは、ハウルがイスについてもないのに私がいきなり食事を取り始めたので、目を丸くしておどろいている。
「ごめんごめん。すぐに赤くなるが、あんまりかわいいから、つい」
……反則だ。人のこと、かわいいなんて言って、そんなきれいな笑みを浮かべるなんて。そんなことされたら、私、ハウルのこと……。
 私はハッと気がつくと、頭を数回、軽く振った。いま、なんて思った? 私が、ハウルを……? 違う。絶対、違う。今まで悲劇続きでそんな対象がいなかったから、相手が誰でもそんなふうに思ってしまうんだ。優しくされて、舞い上がってるだけだ。
 私は何度も自分に言い聞かせた。するとしだいに、そうかもしれない、と落ち着いてきた。でも、なんでこんなに必死なんだろう、と少し疑問が残ったのだけど。

「うん、おいしい」
ハウルはそう言って、私の作った料理をどんどん平らげていく。マルクルも負けじと、次々に料理に手をつけていった。もともとそんなに作っていなかったため、すぐに朝食はなくなった。朝からよくそんなに食べられるなあ、と私は感心しながらオレンジジュースに口をつけていた。
『いつもこんなに食べているの?』
紙とペンを取ってきて、書いてみせると、ハウルは首を横に振った。マルクルは、私たちの会話を聞きながらオレンジジュースを啜っている。
「今日は、が作ってくれたからだよ。いつもこんなに食べるわけじゃない。……おかげでお腹いっぱいだ」
……この人は。いつも私が喜ぶことばかり口にする。それが本気なのか、お世辞なのかがわからないくらい……。
「ほんとうだよ。そんな疑うような目をしないでくれないか」
いつの間にか、私はハウルを怪訝な表情で見ていたらしい。彼は苦笑いを浮かべてこちらを向いている。私は洗いものをするためにイスから立ち上がった。
「ハウルさん、をいじめないでやってくれませんか」
「いじめているわけではないよ。つい構いたくなるんだ」
そんな会話が、背後から聞こえた。ハウルがクスクスと笑っているのがわかる。私は顔が熱くなるのを感じながら、それをごまかすようにゴシゴシと皿を洗った。

 皿を洗い終わってから改めて部屋を見回すと、あまりの汚さにため息が出た。なんでこんなになるまで放っておいたのだろう。本人たちは全く不潔ではないのに、部屋がこの状況とは、どういうことだ。……考えていても仕方がない。やるぞ!
 リビングはとてもひどいありさまなので、まずはおふろを本格的に綺麗にすることにした。今度自分が入る時に、いい気持ちで入りたいからだ。
 風呂場には、がらくたに見えるものから、難しそうななにかの本まで、さまざまなものが置かれていた。この家はお風呂とトイレが同じ部屋にあって、中を覗いてみると……すごいことになっていた。
 風通しをよくしようと、窓を開けた。すると、外の景色が動いて見える。目の錯覚かと思い、何度も目をこすってみるが、外の景色はあいかわらず動き続けている。錯覚では、ないみたい。私は、風呂場を飛び出した。

マルクルは未だに誤解したままなのですが、すでにそのことはすでに忘れられているよう。