tune 3 : wonderful gift


 目が覚めると、まだ早朝だった。この家の主たちは誰も起きておらず、外からの雑音も聞こえない。もうひと眠りしようと目を閉じるが、十分すぎるほど睡眠をとったため、まったく眠る気にはならなかった。
 目をこすりながらベッドを降りて、くつをはいた時、昨日からおふろに入っていないことに気付いた。急に気持ちが悪くなり、耐えられなくなった。
 この家にいるのは男ばかりで、その中でゆいいつの女である自分が、一日ではあるが、おふろに入っていないなんて! いくら昨日は衰弱していたんだとしても、なんだか許せなかった。
「早起きだな、
カルシファーの声がした。私はペンと紙を持って、彼の傍へと近寄った。
『おふろに入りたいの! ……お湯、沸かしてくれる?』
紙をカルシファーに見せると、彼は少し悩んでいるようだった。小さなうなり声が聞こえる。
『どうしたの?』
耐えきれなくなって、ペンを走らせた。
「オイラの独断で動いていいのか、悩んでるんだ」
『もし怒られちゃったら、全部私のせいにしていいから! それに、ハウルはそんなに心のせまい人じゃないわ。』
ずいぶん長い文章を書いたので、手が疲れてしまった。ペンを置いて紙を見せると、カルシファーは、すぐになっとくしてくれた。

 私はバスルームの場所を聞くと、待ちきれなくなって駆け出した。しかしバスルームへ向かうとちゅう、私はあることに気付いた。替えの服がない! 今まで着ていたものをまた着るなんて、あまり気持ちのいいものではない。そう悩みながらも、いつの間にかバスルームに到着してしまった。服のことは諦めて、ため息をつきながらドアを開けると、そこにはものすごい光景が広がっていた。
 本など、風呂場にはふさわしくないあらゆるものが、そこらじゅうに散乱しており、バスタブは奇妙な色に染められている。そういえば、私が使ったベッドのある部屋も、すごく散らかっていてホコリまみれで汚かったような……。
 こんなおふろに入って、本当に綺麗になるんだろうか。というか、こんな状況では、はっきり言って、入る気もおきない。私はとりあえず、バスタブとその周辺だけをなんとか綺麗にしてお湯を張った。本や、その他のものには、手をつけなかった。触れれば今にも崩れてしまいそうだったからだ。
 少し綺麗になると、それなりのおふろに見えるようになった。私は服を脱ぎ、体を洗ってお湯につかった。何かを浮かべたりしたいところだけど、私はここに住まわせてもらっている身だ。そんな贅沢はできない。
 すっかり温まったところでお湯から出て、置いてあったタオルで体を拭いた時、すぐ近くにカゴが置いてあるのに気付いた。木を編んで作られた、私のひざくらいの高さのカゴだ。中を見ると、何か布みたいなものと、小さな書き置きが入っているのが見える。“用”。小さな紙に、そう書いてあった。紙の下にある布を手にとって広げてみると、まっ白いワンピースが姿を現した。用。そして、白いワンピース。これは、私のためにハウルが用意してくれたものなのだろう。私でさえ考えつかなかったことを、あっさりと予測していたなんて。嬉しいと思うと同時に、ものすごくびっくりした。

 ワンピースは、なんでだと思うくらい、私にぴったりのサイズだった。丈はひざより少し長いくらいで、ノースリーブ。体にピッタリとしたデザインで、とても可愛いワンピースだ。少し露出が多い気がするが、上に何か着れば気にならないだろう。今まで着ていた服を代わりにカゴに入れ、私はバスルームを後にした。

 部屋に戻ってみると、この部屋の汚さがよりいっそう気になった。テーブルの上には物が山のように積まれていて、引き出しから布がはみ出したままなのにむりやり閉めてあるし、そこらじゅうにホコリが被っている。更に、天井のすみにはクモの巣まで。私は、絶対に今日そうじをしてやろうと深く決意した。

 おふろに入って時間が経ったにもかかわらず、まだ起きるには少し早い時間らしく、誰も降りてこない。私はカルシファーの上にフライパンを置いて、ハムエッグを三つ焼いた。野菜をきざんでサラダを作り、オレンジジュースも自作した。
 準備がすべてできた頃、マルクルが寝ぼけまなこでのろのろと降りてきた。まだまだ眠そうで、目をだるそうに擦っている。
『おはよう、マルクル。』
口を動かしてあいさつをしてみる。声は出ていないけれど、これくらいなら伝わったようだった。
「おはよう、。……あれ? 服が昨日と違う!」
気付いてもらえたことが嬉しくて、私はその場で一回、くるりと回った。ワンピースの裾が、ひらりと舞う。
「すごく似合ってるよ! もしかして、ハウルさんから?」
私が小さくうなずくと、マルクルはまるで自分のことのように、誇らしげな表情を浮かべた。
『そういえば、ハウルは?』
ゆっくりと、口の動きで伝わるように言ってみた。マルクルはしばらく考え込んでいたが、少し経ってからパッと顔を上げた。
「ハウルさんなら、まだ寝てるよ」
なんとか伝わったらしい。私は、また嬉しくなって、階段を駆け上がった。マルクルは私がハウルを起こしに行っているんだということを、言われなくても気付いているようだった。なんだか、ここに来てから、嬉しいことばかりだ。

 二階に上がってみたものの、ハウルの部屋がどこにあるのかはわからない。しかしあてずっぽうで最初のドアを開けてみると、ベッドの上に金髪がちらりとのぞいていた。きっと、ここはハウルの部屋だ。開けた後にするのは変な感じだけど、いちおう、ノックをしておいた。つい、忘れていたのだ。
 ドアをゆっくりと閉めてベッドに近寄ると、やはりそこにいたのはハウルだった。私が部屋に入ってきたことになど気付いていないようで、ぐっすりと眠っている。なんだか、起きている時とは違って、あどけない表情をしていて、可愛いと思ってしまった。部屋をぐるりと見回すと、ものすごくごちゃごちゃしていた。奇妙なものがあふれていて、なんだか不思議な感じのする部屋だ。散らかっているのか、そういうインテリアなのか、よくわからない。
 そこで私は、本来の目的を思い出した。自分はハウルを起こしに来たのだった。早く降りなければ、せっかく用意した食事が冷めてしまう。暖めなおすこともできるけれど、できたてを食べてほしいのだ。
 『起きて』と言葉をかけたいところだが、それは叶わない。私は、ハウルの体を揺さぶった。
「う……ん」
ハウルは小さく唸り、寝返りをうった。綺麗な金色の髪が、サラサラと揺れる。
『起きて、起きて。』
ハウルがうっとうしそうに眉根を寄せた。……もしかしたら、これは私のわがままなのかもしれない。私は急に不安になった。ハウルは別に、できたての朝ごはんなんかどうでもよくて、すごく疲れていて、まだまだ眠っていたくて……その安眠を妨害するなんて、私はジャマ者以外の何者でもないではないか! ハウルにうっとうしがられたり、嫌われたりするなんて、ぜったいに嫌だ。私はハウルを起こそうとするのをやめ、ドアへと向かった。
「行かないで、
ドアノブに手をかけた時、ハウルの声が、聞こえた。寝ぼけているわけではなくて、完全に目覚めているようなトーンだ。
『起きてたの?』
紙とペンを忘れてしまったので――起こすだけなら言葉を使わなくても十分だと思ったからだ――代わりに口をゆっくりと動かした。
「ああ。僕を必死に起こそうとしているが、おもしろくて」
起き上がりながらそう言って、ハウルは笑った。なんだか、あんなに頑張っていた自分がバカみたいだ。急に恥ずかしくなって、頬が一気に熱を持った。

『すごい部屋ね。』
いきなり話題を変えたので理解できないだろうと思っていたが、どうやらハウルには伝わったようだった。
「全部、魔女よけさ」
そう言うハウルの顔は、さきほどより少し暗いように見えた。
『どうしたの?』
私はベッドの傍に寄りながら、ゆっくりと口を動かした。ハウルはいつの間にか、うつむいてしまっている。
「……怖いんだ」
ハウルはぽつりと言った。私は頭の中が、一瞬まっ白になった。……怖い? あの、ハウルが? その衝撃は、私を無言――もとから声は出ないけど――にしてしまうほどだ。
 私の中でのハウルのイメージは、優しくて、あたたかくて、そして強いという、なんともカンペキなものだった。しかしそんなハウルが、部屋中を魔女よけの小物で満たすほどに何かを恐れている。信じられなかった。
「怖いんだ。いつか荒地の魔女が襲って来るかもしれない……ほんとうはいつも怯えてるんだ。だからこれは全部、魔女よけなんだ」
ふだんとは全く雰囲気が違う彼の姿は、どこか母性本能をくすぐるものがあった。私は、ベッドのふちに座ってハウルを抱きしめた。昨日、彼が私にやってくれたように、優しく。
 カンペキだと思っていたハウルが実はとても弱いんだと知った時、ものすごく驚いたけれど、幻滅はしなかった。むしろ、嬉しかった。なんだか、私の手の届かない場所にいた彼が、近くに感じられたような気がしたんだ。

ハウルは以前抱きしめたときにこっそりと身体のサイズを測っていた疑惑。