tune 2 : given love


「起きたんだ」
優しい、声がした。全く悪意なんてない、気分を落ち着かせてくれるような、声。おそるおそるふとんから顔を出すと、目の前に、兵士を追い払ってくれた、あの青年が立っていた。私は一瞬、ホッとしたかのように肩の力を抜いたが、すぐにあわてて表情を引きしめた。この人は、魔法使い。油断すれば、今度こそ殺されてしまうかもしれない……。
まただ。また、生きたいという気持ちが溢れてきた。どうして、なんで。その時、青年の手が、ゆっくりとこちらに伸びてきた。
嫌だ、死にたくない、まだ生きたいの。もう一度、歌いたいの……助けて!
 優しく、ひたいに何かが触れた。青年の、手だった。
「熱は、ないみたいだ。でも、顔色が悪いな」
私は、青年があごに手を当てて考え込んでいるのをじっと見つめた。この人は、魔法使い。なのに。頭の中がぐちゃぐちゃにこんがらがって、“なのに”とか“なんで”という言葉が、ぐるぐるとめぐった。いつの間にか、青年は料理を始めていて、私を殺すつもりなど、全くないようだった。私はあっけにとられてしまって、そのまま、じっと料理の様子を見ていた。

 青年がミルクを手に取った時、ドアの開く音がして、フードをすっぽり被った……おじいさん……いや、子供……ううん、やっぱりおじいさん、が階段を登ってきた。手にはカゴを持っている。買い物でもしていたんだろう。
「ハウルさん、帰ってたんですか!」
おじいさんは、やけに子供らしい声で喋ると、ハウルというらしい青年にかけ寄った。
「いいよ、僕がやるから」
そう言ってハウルは、手伝いたそうなおじいさんの申し出をやんわりと断ると、再び料理を始めた。おじいさんは荷物をそばに置き、こちらにゆっくりと近付いてきた。
「へぇ……ハウルさん、また女の子を連れ込んだんですか……」
おじいさんはそう言いながら、私を品定めでもするかのように、じろじろと見た。……あれ、ヒゲがない。
『ねぇ、ヒゲが……。』
「僕はマルクル。あなたの名前はなんていうんですか?」
『それよりも、ヒゲ……。』
「名前は?」
ヒゲ……。私はヒゲの秘密が知りたいんだけど、このマルクルというおじいさん……少年? ……は、全くこちらの様子に気付いていない。この呪い、歌を歌えないってこと以外にも、いろいろ不便なんだな。これからの生活への不安が、今まで以上に重くのしかかってきた気がした。

「マルクル。そのお嬢さんは、ヒゲのことを気にしているみたいだよ」
ベッドサイドのテーブルに、できたてのスープが置かれた。おいしそうな……それでいて、なんだか懐かしいような香りが漂ってくる。野菜たっぷりの、健康に良さそうなスープだった。
 私は、いきおいよく声の主へと顔を向けた。なんで、わかったんだろう……私の、言いたいこと。
「なんでわかったんだっていう顔、してるね。……わかるさ。君の顔に全部書いてある」
そう言ってハウルは小さくふきだした。私は、自分の考えていたことがハウルに筒抜けだったとわかったとたん、嬉しいと思うよりも、恥ずかしいと感じてしまって……今、顔が真っ赤になっていると思う。
「僕も一応、魔法使いなんだ。まだ、見習いだけど。だから、これも魔法なんだ」
そう言ってマルクルはあごに手をかざし、動かしてみせた。すると、あごからはヒゲが生え、たちまち、おじいさんのような出で立ちになった。マルクルは、そのまましばらくヒゲを出したままでいたが、再びあごの方に手を持っていって、一瞬のうちにそれを消してしまった。
 私は、手品でも見ているような気分だった。マルクルがフードを後ろに下ろすと、そこには、どこにでもいそうな普通の少年の顔があった。私には、こんな小さな少年が魔法使いだということに驚きを隠せなかった。
「さて、じゃあそろそろ君の名前を教えてもらおうかな」
私は、ギクリとなった。どうしよう、私は言葉を喋ることができない。かといって黙っていれば、自分だけ名前を名乗らない失礼な奴だと思われてしまうかもしれない。私は、無視するつもりはないの! なんとかその旨を伝えたいが、そんなこと、ジェスチャーで伝わるはずがない。
 がっくりと肩を落とした私の目の前で、ハウルの手が動いた。あの、兵士たちを退散させた時のように。ハウルの手に吸い寄せられるように、ペンと紙が宙をゆっくりと飛んできて、音も立てずに私の目の前で静止した。これに名前を書け、ということだろうか。ペンと紙をつかんでハウルの顔を見ると、彼は笑顔でうなずいた。

か。いい名前だ」
私の書いた文字を見て、ハウルはそう言った。歌でなら、褒められたことなど数えきれないほどあるけれど、名前を褒められたのは初めてで、なんだか誇らしいような気分になった。お礼を言うことはできないので、笑顔を浮かべようと頑張った。でも、笑うのなんて久しぶりで、どうしていいのかよくわからない。笑い方を忘れてしまったみたいだ。
「ゆっくりで、いいよ」
ハウルは、私の頭にポンポンと手を置いてくれた。もうずいぶん、こんなに優しくされた経験がない。胸の中にぽっかり開いた穴が、少し、埋まっていくような……あったかい気持ち。
 あまりにホッとして、目が潤んだ。周りの景色がゆらゆらとゆれて、じわっとにじむ。あわててうつむくと、ふとんの上に、瞳からぽたぽたとしずくがこぼれた。耳に、自分の泣き声の幻聴が聞こえる。笑い方は忘れてしまったのに、泣き方だけは、はっきりと覚えている。こんな悲しいことって、ないよ。
 でも今は、なんとかして笑いたいと思えるような人に出会えた。それがすごく嬉しくて、涙が止まらない。

 ハウルは優しく私を抱きしめてくれて、泣き止むまでそのままでいてくれた。マルクルは私たちを見て、恥ずかしそうに目をそらして向こうを向いてしまった。いくら魔法使いと言っても、まだまだ子供だから。私は目が赤くなるほど泣いてしまったので、腫れたまぶたを隠そうとしたけれど、その時、ハウルにスープを勧められたので、手を止めた。私がスプーンを取ろうとすると、ハウルはそれをやんわりと制した。
「僕が食べさせてあげる」
私の頬は、一気に熱を持った。目の前では、金髪の美青年が笑みを浮かべている。私なんかで、いいんだろうか。いや、いいはずがない。私はもう一度スプーンへと手を伸ばしたが、ハウルが先にそれを取ってしまった。
「いいから」
結局、私はハウルに食べさせてもらうことになった。嬉しいけどすごく恥ずかしくて、頬が熱い。風邪でもないのに。大人しく食べていると、赤い頬をハウルに笑われて、ますますほっぺが熱を持ってしまった。

 私はどうやら少し体が弱っているらしく、安静にしていなければいけないとハウルに言われた。たぶん、精神的なものが原因だと私は思う。それから、面倒な呪いがかかっている、とも言われた。ハウルは私の呪いのことを最初から知っていたみたいだ。しかし解き方はわからないらしい。でも、いつまででもここにいていいと言われたので、少し安心した。
 ハウルは自室で休むために、2階へ上がっていってしまった。マルクルも、何かあったら自分を呼ぶように言うと、自分の部屋へと戻っていった。私は2人がいなくなったのを見計らってから起き上がると、ぐるりと部屋を見回した。この、ごちゃごちゃした部屋にはとても興味があるのだ。
 ふと、ハウルが料理をする時に使っていた炎が目に入った。なんだか、普通のものとは違うような気がする。私はベッドから降りて靴をはくと、その炎にそっと近付いた。
「なに見てんだよ」
喋った。……炎が。魔法使いの家なんだからこんなこと珍しくはないんだとは思うが、やっぱり少し驚いてしまった。まじまじと見つめてみると、炎は少し焦っているようだった。
『あなたの名前は? 私は。』
私は、急いでそう書いた紙を炎に見せた。なんだか、炎と会話するのなんて、ワクワクする。
「オイラはカルシファー。ハウルのせいでここに縛り付けられてるのさ」
私はカルシファーが言っていることの意味がわからず、首をかしげた。炎はじれったそうに、説明をしてくれた。ハウルとカルシファーは何かの契約をしているそうだ。……あまり詳しいことはわからなかった。
「ハウルとオイラの契約の秘密を見破ったら呪いは解けるんだ。そしたらあんたの呪いも解いてやるよ」
私は耳を疑った。もう2度と声を出す事などできないと思っていたのに、呪いを解く方法があるなんて! でも、契約を見破るなんて、どうしていいのか想像がつかない。とりあえず今は……物凄く嬉くなった私は、カルシファーに薪を持ってきてあげた。彼の周りにある薪が、もう残り少なくなっていたのだ。
「お前、いい奴だな」
そう言ってカルシファーは少し笑った。炎でも、笑うんだ。新しい発見をして、私はもっと嬉しくなった。
 こんな素敵な家でこれから生活できるなんて、夢みたいだ。今までみたいに歌は歌えないけど、それでもいいような気がしてきた。そりゃあ、未練はまだまだあるけれど。でもカルシファーは条件を満たしてくれれば呪いを解いてくれるって言ってるし――本当なのかはわからないけど――、マルクルも私に良くしてくれるし、なにより、ハウルがいる。優しくて……あったかい。そして、頼りになる。
 この時、私はハウルのことを完璧だと思っていた。

今回は、キャラとの出会い&その他もろもろ編。