tune 1 : lost hope


 私は、今日も広場に来ていた。家にいたって、何もすることがないからだ。家族は、いないと言えば嘘になる。父は戦争で命を落としてしまったが、母はちゃんとこの世に存在している。でも、それが母と呼べるものなのかは分からないけれど。
 父がこの世を去ってからの母は、はっきり言って、変だった。顔からは笑顔が消え、家の中ではあまり言葉を喋らなくなった。暴力こそ振るわないものの、私への態度は冷たいものだ。食事の用意は一切しない。家の中での会話は必要最低限にも満たない。顔を合わせることなど、2週に1度あれば良いものだ。いつもどこかの男の家に外泊しているらしい。そんなだから私は、人から与えられる愛情というものを忘れていった。人間不信にはならなかったが、胸の中には、ぽっかりと大きな穴が空いているようだった。この、やるせないような悲しいような、よく分からない気持ちが紛れるのは、歌を歌っている時だけ。

 幼い頃から歌手を本気で目指していた私は、歌だけは上手で――自分で言うのもなんだけど――今ではそれを生きる為の糧にしている。母は家に一切、お金を置いていない。全て自分の為、自分の好きな物に使っていて、私にはコイン1枚たりともくれた事はない。父が残した財産を使い切るのも、時間の問題だろう。そんなわけだから、私には食べる物を買うお金さえないのだ。なんとかお金を稼がなければと考えた矢先に思いついたのが、歌だった。趣味でもあり、特技でもある。これは良い方法だった。
 広場に、口の広い綺麗なビンを置き――私の持ち物の中でも数少ない“マシな小物”だ――そのまま歌い始めた。身だしなみだけは、人前に整えている。いくら歌を歌うとはいえ、見た目も少しは影響するだろうから。
 ぽつりぽつりと、人が集まってきた。日が暮れるまで休みもとりながら歌い続け、ビンは3分の1ほどコインで満たされた。初日にしては良い出来で、これからの生活に少し自信が湧いてきたので、その日はふんぱつしてケーキを買った。家に帰って1人で食べたケーキは、幼い頃の誕生日のそれより、ずっとおいしくなかった。それでも、これから生きていく事ができるという希望のおかげで、味など気にならなかった。

 私は、今日も広場に来ていた。最近は1日中歌わなくても生活には困らなくなっていた。余ったお金は、洋服代に少し使った後は、母に全て渡している。強制されているわけではない。あれでも一応、自分の母親なのだ。おかしくなる前は、周りの一般的な母親と何ら変わりなく世話してくれていた。父の財産を使い過ぎて破滅していく母の姿など見たくはない。お金を渡しても、母の私への態度は変わらなかったが、最初から期待はしていなかったのでショックは受けなかった。でも1つ、確信した。あの人の心にはもう、私の事など1カケラも残っていないのだ、と。悲しくはないが、胸の中のぽっかりが少しずつ広がっていくような気がした。
 今日は何となくいつもの調子が出ないので、普段より少し早めに切り上げて、広場を後にした。人通りの少ない小道を歩いていると、1人の女性が立っていた。首の肉が驚くほどたるんでいるのに、露出度の高い服を着ている。見た目からして怪しい人物だ。
「綺麗な声で歌うねぇ。お嬢さん」
「あ……ありがとう、ございます」
こんなに間近で言われると、初めてではないにしても、照れる。ちょっと頬が、熱い。
「話す時の声も綺麗だねぇ……羨ましいよ」
そう言うおばさんの目は、いつの間にかギラギラと輝いていた。さっきとは明らかに様子がおかしい。
「あの……キャッ!」
私は、恐ろしくて目をつむった。しばらく経って、恐る恐る目を開けると、おばさんがニヤニヤしながら私の顔をじっと見ていた。
『私に何を……!?』
そこで私は、ある事に気付いた。声が出ない! 確かに口は動いているのに、耳には自分の声が届いてこない。おばさんは私がパニックに陥っているのを見て、笑みを一層深くした。
「あんたには、声を封じる呪いをかけたよ……」
その後の言葉は、一切耳に入ってこなかった。聞こえなくなった、というわけではない。あまりのショックで、頭が声を聞き取るのを拒絶したのだ。おばさんは至極嬉しそうな表情をして、去って行った。引き止めて仕返しをしたり、のろいを解く方法を吐かせようとも思ったが、やめた。相手は恐らく、“魔女”だ。私の記憶が正しければ、“荒地の魔女”と呼ばれていた気がする。もしあそこで逆らえば、殺されていたかもしれない。

 なんで私がこんな目に合わなければいけないのか。今まででも十分、酷い道を辿って来たはずなのに。なのになんで……。でもそれよりも、私は、自分自身に腹が立って仕方がなかった。なんであそこで気が付かなかったのか。十分怪しい外見だったのに。それに、“荒地の魔女”の噂は、少なからず、私の耳に入ってきていた。おぼろげではあるが、姿形でさえ、うっすらと想像できるほどだ。それなのにこんな事になってしまったのは……これから先への希望が見えて油断していたからだ。情けない。更に、今はその“希望”さえも失ってしまった。声が出ない。たったそれだけの事だけど。戦争で死ぬ事に比べれば、はるかにどうでもいい事かもしれない。目は見えるし、音も聞こえる。それに、自由に動きまわる事だってできるし、何より、生きている。……でももう2度と、歌を歌う事はできない。1番大事なものを奪われたと同時に、生きる全てを失ってしまったような気がした。

 その日、私は家に帰らず、無心でひたすら歩いた。どこへ行くでもなく、ただ、もくもくと。声を失った事による絶望で、何も考えられなくなっていた。しかし、杖をついた老人に話しかけられた時、少し意識がハッキリした気がする。
「お嬢ちゃん、今日はもう、歌わんのかい? 私は、いつもおまえさんの歌が楽しみだったんじゃが……」
そう言って老人は、うっすらと表情を曇らせた。私の歌が認めて貰えたんだ……。でも、もうその期待に応える事は、できない。私は視界がぼやけるのに気付いて、慌てて頭を下げると、路地裏へと走った。老人は疑問符を浮かべていたが、私にはそれに構っている暇などなかった。あんな所で泣けば、注目の的になってしまう。そうすると老人に迷惑をかけるし、何より恥ずかしい。お礼を言う事さえできない私は、逃げるしかなかったのだ。

 人通りの少ない路地に来ると、少し落ち着いた。空はもう綺麗な紅色に染まっていて、周りは少し薄暗いけれど。でも、何とも思わない。どうせ私にはもう、恐れるものなどありはしないのだ。つい、さっき。生きる気力を失ってしまったのだから。
 目の前が一瞬、まっ暗になった。自分が誰かとぶつかってしまったと気付いたのは、数秒経ってからだった。私は反動で尻餅をついていて、目の前には手が差し伸べられていた。大きくて、ゴツゴツした、手。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
その手につかまって立ち上がると、国の兵であるらしい男の人が、笑みを浮かべて立っていた。彼の横には、仲間らしき人も立っている。
「なんと、まだまだお若いお嬢さんだ! どうですか、一緒にお茶でも……」
なんだ、こいつ。兵のくせに、職務中にこんな事を言うなんて。仮に、さきほど仕事が終わったのだとしても、初対面の女の手を引っ張って、有無を言わさず連れて行こうとするのは、どう考えても悪い事だ。悲鳴を出すか断るかしたいところだけど、あいにく声が出ない。人通りが少ないため、こんな所で起きている私のピンチになんて、気付いてくれる人はいない……。と、その時。私の右肩に、ポンと手が置かれた。兵士の男達は動きを止め、後ろへと振り向いた。そこに立っていたのは、こんな薄暗い路地裏には不似合いな、金髪の青年だった。彼は穏やかな表情を浮かべていて、とても……綺麗だった。

「悪いね。僕の連れなんだ」
青年はそう言って笑みを浮かべるが、兵士達は私の手を離そうとはしなかった。私の肩に置いてある手とは反対の手が、何やら動き始める。すると、離れようともしなかった兵士の手がすんなりと動き、そのまま兵士2人は体の向きを変えて、青年の手の動きに操られるように奥へと去って行った。私は、すぐに確信した。この人は、魔法使いだ、と。

「大丈夫?」
青年は優しい笑みを浮かべた。私はすごく安心してしまって……腰が抜けた。どうしてだろう。あの男達に連れて行かれそうになった時、本気で“怖い”と思った。私の思考全てが“危険だ”と告げていた。もう、恐れるものなんてないはずなのに……。
 だめだ、魔法使いにスキを見せてはいけない。体にそう言い聞かせるが、足に力が入らない。全身がぐったりとしているし、声も出ない。私は怖くて仕方がなかった。もう、どうなってもよかった、はずなのに。

 目を開けると、まず第一に、天井が視界に入った。勢い良く起き上がると、ふとんが胸からずり落ちた。明かりが控えめに、灯ってい……。そこで私は、頭の中が真っ白になった。ここは、どこだ。それしか考えられなくなった。私の家は、こんなふうじゃなかったはずだ。その時、階段を誰かが降りてくるような音が聞こえた。私の体は無意識のうちにこわばった。なんだか、カタカタと震えてしまう。私には、もう、怖いものなど、ないんだから……。そう言い聞かせるが、私の体の震えは止まらない。それどころか、恐怖がどんどん大きくなっていく。階段を降りきった何者かが、こっちに近付いてくる。私は耐え切れなくなって、ふとんを頭からいきおいよくかぶった。

初めてシリアスに挑戦。次回もまた読んでくださると嬉しいです。