No.162 : Gemstone


 岩壁に囲まれた空間から出ないこと。二週間以内に件の男、ビノールトを倒すこと。ゴンたち三人に課せられた条件は、ビスケの目から見た今の彼らの力量ぎりぎりの線を攻めたはずだった。
 しかし嬉しい誤算と言うべきか、彼らはビスケの予想以上の成長速度を見せた。休息の片手間に軽くあしらわれていたはずの攻撃は、いまや回避必須の脅威となってビノールトを襲っている。体力を回復している暇などない。ビノールトの顔に薄く滲んでいた余裕の色が完全に消えた。

 ビスケは若き可能性の塊を眺めながらうっとりとため息をついた。意志の強さと底知れない力を秘めたゴンはダイヤモンド、冷静さと天賦の才を持ち合わせたキルアは最高色のサファイアを連想させる。単なる興味本位で介入したつもりだったが、とんでもない原石を見つけてしまったものだ。
 そしてあらゆる面で二人には遠く及ばないものの、それでも腐らず目の前の試練に臨むの姿勢はじゅうぶん半貴石と言っていい。シトリンが長い年月を要して鮮やかに変化していく様を間近で見られるなんて、とビスケは人知れず心踊らせていた。

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 ビノールトのハサミを大岩で防ぎながら、隙を見て攻撃に転じる。いかに彼の斬撃が鋭いといえど、岩を切り裂くほどの威力はないらしい。ゴンの機転で生まれた戦法は、いつのまにか周囲に岩の密林を作り出していた。
 敵の動きを封じつつ自らの身を隠せるこの環境は、まさにゴンたちの独壇場だ。キルアはビノールトの後方めがけて小石を投げると、それに気を取られた彼の背中に向かって走り出した。罠と気づいた瞬間薙ぎ払われたハサミをギリギリで避ける。その直後、ゴンの拳が大岩を砕き、無数の破片がビノールトを襲った。
 向かいでゴンのタイミングに合わせて囮のオーラを練っていたは、爆音を聞いて急いで岩の上に飛び乗った。そして息を飲む。今まさにキルアの拳がビノールトの顔面へ叩き込まれようとしていた。
「だめだ! キルア!」
ゴンの叫び声にキルアが動きを止めた。それを好機と見たビノールトが体に力を込めて起き上がる。キルアはその場から慌てて飛び退いた。

「なんで止めたんだよ、ゴン!」
顔をしかめながらキルアが言う。ゴンの制止がなければほぼ確実にこの課題は終わりを迎えていたはずだ。するとゴンは爽やかに笑って口を開いた。
「だって、なんかもったいないなーと思って」
平常心のだけでなく、眉尻を釣り上げていたキルアまでもがきょとんと目を見開く。
「まだ時間はあるし、一人で圧倒できるようになるまでやろうよ。今のオレたちすっごく調子いいもん!」
ゴンは興奮気味にそう言って拳を握った。

 突然の提案だが、もこれには大賛成だった。三対一の勝負に勝ったところでそれほど多くの経験値は見込めない。そして中でもとりわけ自分の功績はほんのわずかで、この状態のまま修行を完了とすることに恐怖すら感じていたからだ。
「くくく……」
嘲るような低い笑い声が聞こえた。
「バカが。今度はこっちが攻める番だ」
そう言ってビノールトは血走った目でゴンたちを見据える。しかしゴンは眉ひとつ動かさず、相変わらずの清々しい笑顔を向けた。
「うん! でもおじさんだいぶ動きが鈍ってるし、今日は休んで明日からにしようよ!」
脅しに怯まないどころか身体への気遣いまで見せられて、ビノールトは言葉を詰まらせる。もはや完全にゴンのペースに飲まれていた。

 大岩にもたれて目を閉じながら、は密かに胸をなでおろした。気持ちの面では全く問題ないものの、身体の方はすでに限界寸前だったのだ。このタイミングで休息を提案してくれたゴンには心の底から感謝した。
 そこから数秒もしないうち、はほとんど気絶に近い感覚で瞬時に深い眠りに落ちた。それでもゴンたちと同じく全開のアンテナは健在のようで、ビノールトが奇襲の姿勢を見せたとたんに目が覚める。朦朧としながら彼を確認すると、悔しそうに顔をしかめながら諦めて座り直しているところだった。

 結局ビノールトが不意打ちを狙ったのはその一回が最後だった。この攻防が一晩中続くのではないかと恐れていただったが、それも杞憂に終わる。翌朝を迎える頃にはすっかり体力も回復し、万全の状態で対戦に臨むことができた。
 とはいえ戦闘で善戦できるかは別問題だ。ビノールトとの戦力差がみるみる縮まっていく二人に対して、のそれは気が遠くなるほどに緩慢な変化だった。

 それでも全く成長がないわけではない。あっという間に切れてしまうスタミナを小まめな休息で回復しつつ、二人よりも多くの時間と戦闘回数を費やした結果、三日遅れでようやくビノールトとの戦力が横に並んだ。
 真っ先に課題をクリアしたキルア、同日の夕方に方が付いたゴンがの行く末を見守る。今回の流れはこれまでにないほど順調だった。
 次々に繰り出される斬撃をくぐり抜け、ビノールトの懐に飛び込む。そして残り少ない渾身の力を右腕に集中し、彼の薄い腹めがけて振りかぶった。