No.161 : Master


 少女は名をビスケット=クルーガーというらしい。可憐な見た目からは想像もつかないが、歳はなんと五十七歳、そして三人の師匠であるウイングのさらに師匠だというのだから驚きだ。
「どう? これなら教わるのに何の不足もないわよね」
ビスケが得意げに胸を張る。もともと彼女の人柄に惹かれ始めていたにとって、尊敬するウイングの師匠という点は決定打だった。
「じゃあ、ぜひ――」
心から嬉しそうなの口は何者かの手に塞がれる。
「勝手に決めんな」
不機嫌を隠そうともせずキルアが言った。むき出しの敵意を浴びながら、ビスケは小さく笑みをこぼす。
「なかなかガンコだわね。ま、好きだけどそーゆーコ」

 キルアの度重なる反発などまるで効いていないようだった。ビスケはバインダーを呼び出すと、その中から一枚のカードを取り出してみせる。
「でも、これを見てもまだ余裕でいられるかしらね」
そこに書いてあったのは、黒い毛玉の写真とランクDの文字だった。目で追うことすら不可能だったモンスターにも関わらず、レアリティはそれほど高くない。キルアは静かに奥歯を噛み締めた。
「ここには、このカードを簡単にゲットできるプレイヤーなんて他にも山ほどいる。その中に邪悪な奴がいて、もし今の時点で遭遇すれば……あんたたち、死ぬよ」

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 は目の前の光景を息をするのも忘れて見つめていた。――最初に異変に気づいたのはビスケだった。何者かが自分たちを尾けている。彼女はそう言うと、何も知らないふりをしてただの子どもを演じるよう三人に命じた。彼女の指示どおり二手に分かれ、時間を置いて戻ってみると、自分たちを尾けていたらしい男がビスケと一対一で対峙していた。
 は一瞬、なにが起きたのかわからなかった。決してよそ見などしていないはずなのに、気づけば男の身体は宙を舞っていた。背中にビスケの拳が入り、彼の口から溢れたおびただしい量の血が地面を赤く染める。男は重力に従って地に伏すと、そのままわずかに痙攣を繰り返した。

 ビスケは小さく唸ると、男の姿を一瞥する。
「もしあいつをカード化するなら、入手難度はDってとこだわね」
三人の間に緊張が走った。まさに先ほどの彼女の言葉どおり。ビスケとともに行動していなければ、今ごろあっさり殺されていたことだろう。もはや自分たちに残された道は決して多くない。
「ビスケさんは……」
「ビスケでいいわよ。でも、どうしても何かつけるならビスケちゃまでお願いっ」
ゴンの言葉を遮り、見たこともない満面の笑みでしなをつくるビスケだったが、響いたのはすっかり心酔しているだけである。キルアが半眼で小さく息を吐いた。
「ババアで十分だろ」
言い終わらないうちに彼の身体ははるか彼方へ飛ばされていく。すでにお決まりとなった展開で、ゴンとの顔にもはや心配の色はなかった。

 ひとまずの危機は脱したところで、ゴンたちは互いにゲームプレイに至った経緯について明かしあった。
 ゴンの目的は、父親・ジン=フリークスの居場所について手がかりを見つけること。対してビスケの探し物は、指定ポケットカード・ブループラネット。このゲーム内にしか存在しない、希少な宝石なのだと彼女は言う。
 少しの間があり、ゴンは意を決したようにビスケを見つめた。
「もしも、宝石を探すって目的を後回しにしてもいいなら――」
これからゴンが続けるであろう言葉はおそらく自分の願いと同じ。は期待に息を飲んだ。
「オレたちに念を教えてください!」
「……だからさっきからそう言ってるでしょ」
神妙な表情のゴンに対して、ビスケはほんの少し呆れ顔だった。

 ずいぶん遠回りはしたものの、ビスケが信用に足る人間であることが三人の中で確かなものとなった。ゴンの懇願に異を唱える者はもういない。
 ビスケは自身の胸に手を当てると、三人の顔を見回した。
「ただし、あたしはウイングみたく甘くないわよ。覚悟はある?」
「はい!」
ゴンの威勢のいい返事に満足したビスケは隣のに視線を移す。
「はい! えっと、よろしくお願いします!」
負けず劣らずの声量にビスケは思わず目を瞬かせた。残るは、出会った当初からずっとつっかかってばかりのキルアだ。
「……そっちは?」
「大丈夫」
間髪入れずに返事がある。表情は相変わらず冷めきっているが、彼なりの踏ん切りがついたのだろう。ビスケの口角がわずかに上がった。
「ん。じゃあさっそく始めるか」

 ビスケはそう言うと先ほどの男に歩み寄った。彼が激しく咳き込んでいる様を気にも留めず、手持ちのカードを全て献上するよう命じる。そして渡されたカードを自分のバインダーに収めると、ビスケは彼に取引を持ちかけた。
 ゴンたちの攻撃を二週間かわし続けることができれば身柄を解放、ダウンまたは逃亡すれば殺す――相当な自信があるのだろう、男は悩むまもなく承諾した。