No.159 : Unsolved


 驚いて目を瞬かせるの視線がキルアのそれとかち合った。この状況でポカンとしている彼女の思考が理解不能すぎて、キルアは頭を抱えたい衝動にかられる。
「さすがにそれはヤバいだろ」
油断すると声が裏返りそうだった。急に激しく動き始めた心臓が煩わしくて、キルアは忌々しげに眉根を寄せる。沸騰した血が頭にのぼり、視界がぐらぐらと揺れ始めている気さえした。

 は少し悩んだあと、霧が晴れたようにパッと顔を上げた。
「あぁ! 大丈夫だよ。重ね着してるから」
そう言ってのんきに笑いながら、は下の裾を引っ張り出してみせる。上着の下から色違いの布が覗いた。
「なんだ……」
キルアはそれだけ言ってのろのろと後ろに両手をついた。あれだけ煩わしかった身体中の熱が嘘のように引いていく。しかしその代わりにどっと疲れが押し寄せて、キルアは特大のため息をついたのだった。

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 薄々勘づいてはいたが、案の定、の服を手渡しても事態は変わらなかった。
「えーと……」
自分の体を見下ろしながらは二の足を踏んでいた。ゲームのキャラクターとはいえ、目の前で苦しそうにしている少年の姿を簡単にプログラムと割り切ることはできない。しかし、いくらなんでも今後しばらく肌着で生活というのは――ゴンとキルアの今の姿が己と重なり、の背筋がひやりとする。
「なに悩んでんだよ」
頭の上にごくごく軽い衝撃があった。見上げると、キルアの拳が乗っているようだ。
「付き合いきれねーよ、こんなの」
キルアは呆れ顔で少年の父親を指さした。床に突っ伏して泣いている姿は最初の懇願から少しの変化もない。

「さっきからずっと同じセリフの繰り返しだもんね」
ゴンが苦笑する。ゲームのセオリーという観点から五回という数字にわずかな可能性を見ていたが、それもあっけなく崩れ去った。断言こそできないものの、これ以上は明らかに望み薄だ。
「……やっぱりそうだよね」
はしょんぼりしながら頷いた。

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 いつまでも要求の止まらない山賊たちに頭を下げて、彼らの住処を後にする。頂の集落を出れば、あとはひたすら下り坂だ。
「くっそー。なめやがって」
家が見えなくなったところでキルアが悪態をついた。
「ほんとに身ぐるみはがされちゃったね」
そう言ってゴンが苦笑する。自主的に動いたとはいえ、結果だけ見れば山賊と遭遇した場合のごく一般的な末路そのものだ。
「……まぁでも、まだ怪物が残ってるか」

 キルアの言葉にの眉がピクリと震えた。先ほどは目の前の悲劇でいっぱいいっぱいだったが、本来楽しみにしていたのはこちらなのだ。モヤモヤとした気持ちはすっかり晴れていき、自然と足取りも軽くなる。
「楽しみだな」
の口から思わずそんな言葉が漏れた。
「言ったな? んじゃ、お手並み拝見させてもらうぜ」
キルアがニヤリと口の端を上げた。すると向かいのゴンも一緒になって挑戦的に笑う。
「修行の成果、見せてもらうよ」
なんだか自信満々に見せてしまった――二人の高すぎる期待値に気後れしてしまいそうなだったが、ともに急勾配を疾走する爽快感が不安な気持ちをみるみる消し去っていく。

 森を抜けるとそこは見渡す限りの岩石地帯だった。点々と星が浮かぶ空の下、煉瓦色の大地が地平線まで続いている。
「怪物もだけど他プレイヤーの不意打ちにも気をつけなきゃね」
崖を滑り降りながらゴンが言った。地面から突き出した巨大な岩の塊はそこかしこに死角を作っている。待ち伏せして奇襲するには最適の地形だ。
「行くぜ!」
「おー!」
音頭を取るキルアに続き、ゴンとが右手を上げる。新境地に胸躍らせながら一歩を踏み出した瞬間、三人の視界を異形の生物が埋めつくした。

 振り下ろされた打撃を間一髪のところで回避する。身構える隙もない。砕け散った無数の石つぶてが足元を掠めた。
「いきなり出るレベルの敵がこれかよ!」
青ざめた顔でキルアが叫ぶ。ゲームで最初に遭遇するモンスターといえば、無力で愛嬌のある小型のものが一般的だ。しかしいま現在三人を取り囲んでいるのは、武器を携えた全長十メートルはあろうかという一つ目巨人の群れ――いっそ清々しいほどに王道とは真逆の展開だった。
「う……人型か」
は人知れずそう言って口元を押さえた。そしてすぐさま左へ跳躍する。今の今までいた場所が一瞬のうちに抉り取られていくさまが横目に見えた。

 回避ばかりでは先に進めないと、隙を見てゴンが攻撃に転じた。しかし三人の中で一番の威力を誇る打撃にも関わらず、巨人の体には痕一つ残らない。このままただ闇雲に打数を重ねても、無駄に体力を消耗するだけなのは明白だった。
 そのとき、キルアの頭に一つの可能性が浮かんだ。モンスターの分布についてはいささか疑問が残るものの、やはりゲームならではのセオリーも存在しているのではないか――巨人の棍棒を回避したキルアはそのまま右腕を伝って駆け上がり、その巨大な眼球めがけて渾身の蹴りを繰り出した。

 すると次の瞬間、身体への攻撃ではびくともしなかったあの巨人が、棍棒を放り出して呻き声を上げながら白煙に包まれた。そして最後には一枚のカードだけが残る。
「ビンゴ! 目が弱点だ!」
キルアはそう言うとバインダーを呼び出し、器用にカードを収集しつつ残りの巨人の始末を始めた。