No.146 : Turn


 舞台袖に並んだ参加者たちが司会の案内に合わせて次々とカーテンの向こうへ消えていく。その度にの心拍はじわじわと早まった。今すぐにあの集団に加わらねば、取り返しのつかない事態を迎えそうな予感がしてならない。
 しかし横を伺い見ても、二人が立ち上がる気配はなかった。キルアは何か思案しているようだったし、ゴンに至ってはこのまま待ち続けることに対して揺るぎない意志を感じる。のこめかみにじっとりと汗が滲んだ。
「くくく……」
背後から噛み殺したような笑い声が聞こえた。が振り返ると、短髪を立てた黒いスーツの男が机に伏せてこちらを見ていた。

「ひゃあっ!」
予想より至近距離にあった髭面には思わず悲鳴をあげた。その素直な反応にほんの少し傷ついたようで、男の視線が一瞬床に落ちる。しかしすぐに持ち直し、彼は不敵な笑みを浮かべてみせた。
「あいつらだめだな……てんで話にならない」
そう言って男は列の方を指で差す。もそれを目で追うと、壁に沿うようにできた長い列の周りで、キョロキョロと辺りを伺う者たちが数人散らばっているのが見えた。
「ゲームの前提知識があって普通に頭を働かせれば、順番を競う意味などないことに気付きそうなもんだが」

 嘲笑を浮かべる男の言葉にはどきりとした。行動に移していなかったとはいえ、心の内は彼らと同じ不安でいっぱいだったからだ。とたんに頬が熱を持ち、心臓がばくばくとうるさくなる。
「……この選考会で三十二人も合格者は出ない」
隣でキルアが呟いた。十年以上もクリア者がいないゲームのプレイヤー枠を一度に上限まで埋めてしまうことがどれだけ不自然か――落ち着いて考えれば至極簡単なことだった。しかし周りの雰囲気に飲まれ、まんまと心を乱されてしまったは自分の情けなさに奥歯を食いしばる。
「見込みがあるのは開始直後に動いた数人と、即座にカラクリを見抜き、こうしてゆっくり集中しているオレたち……」
そう言って男は満足げにほくそ笑んだ。

 まとめて優秀扱いされていることに引っかかったものの、ここでわざわざ水を差すのも違う気がして、は出かかった言葉を飲み込んだ。
「なァ、そっちのボウズ」
男がゴンに同意を求める。先ほどから一言も発さず、どっしりと構えている様に惹かれたようだった。

「オレは……もし自分が主催者だったら、集めた人たちの実力は一通り見ておきたいだろうなって思っただけだよ」
大したことではないというニュアンスでゴンが言う。しかし、あの状況で冷静な判断を下せること自体が既に上出来なのだ。
「ガッハッハ。ボウズ、オメーの勝ち!」
男はゴンの答えに大口を開けて笑った。そして満足げな笑みをたたえたまま席を立つ。遠くで、司会が次の挑戦者にステージへ上がるよう促す声が聞こえた。
「まだ小さいってのに大したもんだ。オレはプーハット。よろしくな」
そう言ってステージへ向かうプーハットの背中をはぼんやりと眺めていた。審査に焦る気持ちはすっかり無くなったものの、自分の未熟さを改めて突きつけられた気がして身体がどんよりと重い。

 そのとき、情けなく腑抜けていたを強烈な衝撃が襲った。キルアがおもいきり背中を叩いたのだ。は小さく呻き声をあげると、涙目でキルアを見た。
「まー気にすんなよ。結局は受かったもん勝ちなんだし」
キルアはいたずらっぽく笑いながらそう言い、わずかに距離を詰める。そしてますます笑みを深めながら、親指で後ろを指し示した。
「それにあーいう奴に限って落ちたりすんだよな」
絞りきれていない声量はきっと本人の耳に届いている。は痛みのことなどすっかり忘れて、ハラハラしながらプーハットの姿が見えなくなるのを見守った。

 長かった行列はいつの間にか消えていた。控えの挑戦者が中へ入るたび、司会の呼びかけが会場内に響く。ぽつりぽつりと一人ずつ席を立つ流れに乗って、ついにキルアが動いた。
「んじゃ、先に行くぜ」
彼の顔には一片の恐れもない。
「頑張って!」
「おう」
キルアはゴンの声に右手を上げて応えると、ゆったりした足取りでステージに向かっていく。彼が落ちる未来など考えられなかったが、それでも応援したい気持ちが溢れてやまないは、脳から降りてきた言葉をそのまま彼に送った。
「っ、落ち着いてね!」
遠くの背中が大きく揺れ、噴き出す声がする。
「どの口が言ってんだよ」
笑い混じりのそんなぼやきが聞こえて、の顔は一瞬で朱に染まった。

 キルアの姿が見えなくなると、は大きく深呼吸をした。一連のやりとりで緊張は和らぎ、ずっと霞みがかっていた頭の中もほどよく晴れている。向かうなら今がちょうどいいタイミングのような気がしたのだ。
ならきっと受かるよ」
今にも席を立とうとしている空気を感じ取ったのか、ゴンが言った。ハッと振り向くと、お互いに目が合う。彼の熱意を受け取るにはそれでもう十分だった。