No.140 : Dress


 クラピカが倒れたのはそれからすぐのことだった。皆が一堂に会して言葉を交わした直後、突然気を失ったのだ。大きく傾いた体が間一髪レオリオに支えられる。腕の中の彼はいつのまにか苦しげな浅い呼吸をくり返していた。
 そのまま飛行船がヨークシンに到着しても、クラピカは目を覚まさなかった。本当ならばすぐにでも医者に見せたいところだが、そう簡単にはいかない。いくら取り引きが成立したとはいえ、残った旅団がこのまま大人しくしている保証はないからだ。
 人目を避けたうえ足のつかない隠れ場所といえば、候補は一つしかなかった。

 ゼパイルは面識のないクラピカを快く受け入れ、自ら進んで布団を貸してくれた。そしてレオリオたちが寝床を整えている間にも、傍らに水を張った洗面器やタオルが準備される。
「何から何まですまねェな」
水に浸したタオルを絞りながら、視線は向けずにレオリオが言った。するとゼパイルはくすぐったそうに口の端を上げる。
「なぁに、困ったときはお互い様さ」

 クラピカはそのまま丸一日以上眠り続けた。途中センリツが治癒効果のある演奏を施してくれたが、容態に変化はなかった。彼女の話によると、単純な疲労や病気の類ではないからだという。
 外傷はもちろん高熱以外の症状もないため、周囲はただただ見守るほかない。は不安そうな顔で甲斐甲斐しくタオルを交換していたが、あとは任せろというレオリオの言葉に甘えてゴンたちとともに別室へと戻ることにした。心配は残るものの、彼の言うとおり人手は十分すぎるほど足りている。

「――クラピカの熱、このまま下がらなければいいのにね」
部屋に戻るやいなや、ゴンがポツリとこぼした。あまりに自然な口ぶりだったので、つい流れで同意しかけたキルアだったが直前でハッとする。
「っ、お前何言ってんだよ!?」
素っ頓狂な声をあげるキルアの横で、もまた度肝を抜かれていた。しかし当のゴンはケロリとした顔で小首を傾げる。
「だってさ、起きたらまた旅団を追いかけて行っちゃいそうでしょ?」
十分に可能性のある意見だった。ゴンはさらに続ける。
「オレ、クラピカはもうあいつらと関わらない方がいいと思うんだ」

 この点に関してはキルアとも同感だった。旅団が単なる人面獣心の悪ではないとわかった以上、クラピカの復讐には計り知れない苦痛が伴うはずだ。今回目の当たりにした彼の表情を思い返すと、もはやその背中を押す気にはなれない。
「……確かにそうかもな」
キルアはそう言って天井を仰いだ。
 そもそも、なりふり構わず、どんな犠牲をも厭わない非情さが彼には欠けている。もしかすると念能力の考案当初はそのつもりだったのかもしれないが、少なくとも、ゴンたちを仲間と語ったあの瞬間からは――。

「……って、旅団と言えば」
そう呟いたかと思うと、キルアはすぐさま部屋の隅にあったパソコンの電源を入れた。しばらく間があり、慣れた手つきでタイピングをこなす。
「あれ。てっきりオレらに懸賞金でもかけてるかと思ったけど」
クラピカはもちろんのこと、報復の矛先が自分たちに向いていてもなんらおかしくはない。しかし今のところネット上にその痕跡はないようだ。拍子抜けしたキルアはモニタから視線をはずし、ゆっくりと両手を後ろについた。

▼ ▼ ▼

 公に情報収集していなくとも、水面下で自分たちを捜索している可能性は十分にある。念のため、極力外を出歩かない方向でゴンたちは計画を進めた。
 実際にオークションへ赴くのはゴン、キルア、、ゼパイルの四人で、レオリオとセンリツにはクラピカの容態を見ていてもらうこと。会場へはタクシーで向かうこと。そしてドレスコードの表記こそなかったものの、さすがに平服ではまずいというゼパイルの助言により、三人分の正装が彼の手によって準備された。

 黒のタキシードを着たゴンとキルアが互いの姿を見比べていると、遅れて着替えを終えたが別室から戻ってきた。何の変哲もない黒のシンプルなドレスだったが、ゼパイルの見立ての賜物かの雰囲気によく馴染んでいる。
「ほー……これはなかなか……いでっ」
上から下までねっとりと眺め回していたレオリオの膝裏に軽い衝撃があった。しかし振り向いてみても犯人の姿はなく、レオリオは怪訝な顔で小首をひねる。

「わぁ……なんか大人っぽくてみとれちゃった!」
ゴンの褒め言葉は相変わらずストレートで嫌味がなかった。は恥ずかしそうに、しかし嬉しそうにはにかんで礼を言う。少し離れたところにいるゼパイルは己の選択に間違いはなかったと満足げだ。

 ゴンはそのまま興奮冷めやらぬ様子でとなりのキルアに同意を求めた。しかしキルアはどうにも煮え切らない返事をしながらふいと視線をそらす。コメントがないのはもはやいつものことだったが、そんなことなど知らないレオリオはキルアの左腕をしつこく小突いた。

「……馬子にも衣装だな」
ようやく絞り出された言葉にレオリオの顔が歪んだ。おいそれ褒めてねーぞ、という心の声が表情に滲み出ている。レオリオが恐る恐るに視線をやると、想像に反して至極嬉しそうな顔をしていた。
「少なくとも不自然ではないってことだよね……よかったぁ」
本人が十分満足していることに外野がとやかく言うのは野暮というもの。それでいいのか、というつっこみはレオリオの頭から人知れず消えていった。

平常運転。