No.138 : Conflict


 クラピカの気迫がほんの少し緩和する。センリツの言葉で、自分がどれほど取り乱していたのか自覚したようだった。
 とはいえ仇がすぐ隣にいる状況で完全に切り替えられるはずもなく、胸の内で起きる葛藤をなんとか押し留めているだけに過ぎない。

「……五年前」
クラピカの冷たい声色にはどきりとする。
「緋の目のクルタ族を虐殺した時。既にお前はリーダーだったのか?」
そう言って彼は団長に視線を向けた。クラピカ自身そうだと確信してはいるだろうが、それでも、もし実際に目の前で肯定などされたら――そんなの心配は別の形で現実となる。
「それがウボォーを殺した鎖か」
先の言葉などはなから耳に入っていないかのように団長が問いを返した。クラピカがぐっと喉を詰まらせるのがわかる。
「ウボォーは最後になんと言っていた?」
なおも自身の問いを優先させる団長に、クラピカは限界寸前だった。
「……覚えていないな」

「ウソだな。だろ? お仲間さん」
そう言って団長は助手席に視線をやった。センリツの返事はなかったが、もともと答えなど求めていないのだろう。彼の唇は柔らかく弧を描く。
「気持ちはわかる。オレも同じだ。お前に話すことなど何もない」
クラピカの顔が歪んだ。
「クラピカ、挑発だ! 乗るな!」
ミラー越しに異変を捉えたレオリオがあわてて叫んだ。その甲斐あってなんとか踏みとどまったものの、クラピカの身体は依然、怒りにわなわなと震えている。
 これほどの屈辱を受けてもなお、ゴンとキルアのため耐え忍ぶ彼の姿に、は胸が苦しくてたまらなかった。

▼ ▼ ▼

 リンゴーン空港に到着した五人は車を停め、飛行船に乗り込んだ。もうすぐここへパクノダがやってくる。彼女を人質交換の中継役として利用するのだ。
 少しして、着信があった。すぐさまクラピカは携帯電話を耳にあてると、係留している飛行船に乗り込むよう指示を出す。パクノダが空港に着いたらしい。
 通話を横で聞いていたは彼の顔を見上げて息を飲んだ。柔らかだった瞳の色が、ゆっくりと鮮やかな紅へ染まっていく。それが制御不能の興奮によるものか、来たる取引に向けての準備なのかはわからなかった。

 飛行船の入り口近くに向かうと、パクノダは約束どおり一人でやってきていた。センリツから、他の足音の存在も隠し事の心音も告げられることはない。
「確認する。旅団員パクノダ本人だな?」
クラピカの問いにパクノダが同意する。確認のため視線を送られたが頷くと、最後にセンリツの言葉がその事実を裏付けた。

 紅い瞳がパクノダと団長を捉える。クラピカの小指から伸びた鎖が団長へと向かっていった。
「お前たち二人にそれぞれ二つ条件を出す」
尖った楔の先端が心臓に狙いを定める。だが、クラピカはそのまましばらく言葉を詰まらせた。
 団長を無力化するだけでは旅団の動きを止めることはできない。かといって、ここで取り決め外のことを行えばゴンとキルアの命はない。

 クラピカは自身の悲願達成とゴンたちの奪還を天秤にかけていた。しかし、それを見守るの胸にはわずかな不安すらない。私はいい仲間を持った――そう皆の前で言った彼の顔が忘れられないからだ。
 そして思案の末、クラピカは仲間を選んだ。

 今後、一切の念能力の使用を禁ずること。そして仲間との接触を断つこと。それが団長に課せられた条件だった。
「これを飲むかどうかはお前が決めろ。パクノダ」
「……ええ、構わないわ」
命こそあれ、旅団の頭としてはほとんど終わりも同然だ。それでも彼女は、旅団は、団長の身を優先するという。目的のために仲間さえ切り捨てる非道集団とは思えない選択だった。

 楔の先が団長の胸に潜り込み、心臓に巻きついた。これから彼は二つの約束に縛られて生きていくことになる。
「次はお前だ、パクノダ」
新たな楔が左胸めがけてまっすぐに伸びていった。
 クラピカは、ゴンとキルアを小細工なしで解放すること、そして自身についての情報を漏らさないことを条件としてあげた。
「異存がなければお前にも鎖を刺す」
「オーケーよ」
迷う間もなく返事がある。少しして、鎖がパクノダの身体を貫いた。

 取り引きは驚くほど順調だった。クラピカが今後の動きについてパクノダに指示を出す。仲間の元に戻り、人質交換の旨を伝えること。0時までにここへ帰って来ること。
 パクノダはそれを二つ返事で了承した。仲間に行き先を告げることなく、一人で来いという制限をものともしていない。あまりの従順さにクラピカがギリと奥歯を噛みしめる。

「交渉は成立ね」
そう言ってパクノダは踵を返した。本当に何の異論もないらしい。すると耐えきれなくなったクラピカがとうとう動いた。
「なぜ、何も聞かない?」
規則正しい足音が止まり、パクノダが振り向く。その顔からはなんの感情も読み取れない。一方、クラピカの顔は苦悶に歪んでいた。
「理不尽な取り引きだと思わないのか」
パクノダは何も答えない。
「私が本当に団長を還すと思うか?」
圧倒的優位な場所にいながら、彼の心情は全くの不安定だった。

 これまで、相手は心無い賊なのだと認識していたからこそどこまでも非情でいられた。しかしパクノダは今、仲間の命を第一に動いている。どこからどう見ても血の通った人間の振る舞いだ。
 クラピカはそんな彼女を意のままにして平気でいられるほど、冷酷な心を持ち合わせてはいなかった。