No.136 : Substitute


 迷いなく進むキルアの背中を見つめながら、センリツは奥歯を噛み締めた。キルアはクラピカの代わりに旅団の前へ姿を現わそうとしている。
 旅団が現時点で存在を認識している人数は二人。真っ先に飛び出したゴンと、身代わりのキルアでひとまず帳尻が合う。ここで旅団の警戒を一旦落ち着かせ、再度奇襲の機会を伺うことが今できる最善の策だった。

「もう追っかけないから許してください!」
両手を挙げ、抵抗の意思がないことを示しながらゴンが言った。
「またこのコ?」
想定が外れたのか、キョトンとした顔でシズクが零す。その場の空気が緩んだのもつかの間、マチは相変わらずの冷たい視線をビルの陰に向けた。
「他にもいるだろ」

 すっかり覚悟はできていた。キルアはクラピカの横を通り抜け、何食わぬ顔で旅団たちの前へと姿を見せる。
「何の用だ? もうあたしらに賞金かけてるマフィアはいないよ」
至極鬱陶しそうにマチが言った。彼女もまた、潜んでいるのは鎖野郎≠セと踏んでいたようだ。

 キルアは心の底から驚いた顔を作ってみせる。演技は得意だ。
「え、ホント!? どうして!?」
それからしばらく無音の間があった。真偽を測りかねているというよりは、これからどうするか決めあぐねているようだった。

 そのとき、マチの片眉が小さく動く。
「そういえばもう一人はどうしたんだ」
のことか、とキルアは瞬時に思い至る。これについても考慮済みだった。
「……あいつはアジトの方を張ってる」
もちろん真っ赤な嘘だが、時間稼ぎにはなるはずだ。すぐそこに潜んでいるクラピカへ意識を向けられてはならない。この場における最優先事項だ。
 マチは再び思案したのち、逆十字のコートの男に視線をやる。
「どうする団長」
やはり読み通り彼は旅団の頭だった。キルアはちらりとその顔を見上げる。

 底の見えない深い黒がゴンとキルアを一瞥した。彼の瞳からは何の感情も読み取れない。想定外の追っ手に対する驚きや、子どもに手を煩わされる苛立ち、そんなものが一切存在していないのだ。

「捕まえろ」
直後、マチが動いた。一瞬で二人の背後に回ると、慣れた手つきで両手を拘束にかかる。その間にも団長と呼ばれた男は携帯電話でどこかに連絡を取り始めた。
「――フィンクス。ベーチタクルホテルまで来てくれ。それと、もしアジト周辺にネズミがいればそいつもだ」
キルアは内心、しめた、と思った。彼の言葉は十中八九センリツの耳に届いている。行き先を伝える手間が省けたというものだ。

「……でもここで始末した方がいいんじゃない?」
突然、物騒な提案がキルアの背後から投げかけられた。嫌な汗が背中を伝う。前回はたまたま運が良かったが、彼らの前評判から言えば、今度こそあっさり実行しかねない。
 しかし男は悩むどころか、眉ひとつ動かさず口を開いた。
「いや。鎖野郎とどこかで繋がりがあるなら生かしておく方が便利だ」
あれだけ隠し通したかった関係に命を救われるとは皮肉な話だ。ひとまず、この場で殺される可能性が消えた事実にキルアはこっそり安堵する。
「ただの勘をそんなに信頼されてもねェ」
マチが呆れたように肩をすくめた。

▼ ▼ ▼

 は気配を殺したまま、必死でクラピカの腕を引いていた。彼の横顔は、今にも旅団の前に飛び出して行ってしまいそうな剣幕だ。
 ただでさえ憎い仇が仲間を連れ去ろうとしているなど、正気でいられないのも無理はない。しかしゴンとキルアが命がけで残してくれたチャンスを潰せば全てが終わる。心は痛むが、ここはなんとしてもクラピカに耐えてもらわなければならなかった。

 ゴンたちを引き連れた旅団の姿が遠ざかる。それと入れ替わるように背後から足音がした。
「あまり近づくと奴らの警戒網に引っかかるわ」
相変わらずの穏やかな声でセンリツが言った。
「……くそっ」
クラピカが歯痒そうに悪態をつく。そんな珍しい姿にたじろぎつつも、は彼の腕を決して離そうとしなかった。どれだけ嫌がられようと、結果的にこれが本人にとっての最善だと信じているからだ。

 とはいえ、クラピカの身体には依然としてとてつもない力が込められている。下手をすればごと引きずられてしまいそうだった。
「クラピカ、焦りは禁物よ!」
センリツのたしなめにクラピカの顔が歪む。
「わかってる!」
そうは言うものの、言葉に気持ちが伴っていないことは誰の目から見ても明らかだ。
「わかってないわよ! あなたの無謀な追跡がこの事態を引き起こしたのよ! 」
センリツは声を荒らげた。今のクラピカは完全に冷静さを欠いている。たとえこのまま新たな作戦を実行しても、思うような結果は得られないはずだ。

 やり場のない怒りでクラピカの身体はワナワナと震えていた。センリツは毅然とした瞳で彼の顔をのぞき込む。
「旅団を止められるのはあなただけなの。二人の決意と命を無駄にしないで」
これまでとは打って返って、穏やかな口調だった。すると毒気を抜かれたクラピカはぐっと言葉を詰まらせる。そして全身に込められていた力がゆっくりと抜け、血走っていた緋の目はいつもの榛色を取り戻した。
「……すまない」
クラピカは苦しそうに眉根を寄せながらセンリツを見つめる。そして今度は、必死で腕を掴むの手にそっと触れた。