No.134 : Reliable


 二人が袋の中身をきれいに平らげてから少しすると、キルアの右ポケットが震えた。すぐさま携帯電話の画面を確認したキルアは、見慣れない番号に息を飲む。ついでに目に入った画面端の時計は、前回の通話からちょうど五分後の時刻を示していた。キルアはと顔を見合わせ、頷く。

 電話の向こうから聞こえてきたのは落ち着いた女性の声だった。クラピカの仕事仲間だという彼女は、電話口のキルアに左を向くよう指示をよこす。隣で耳をすませていたも一緒に振り向くと、密集したビルの内の一棟に背の低い人影が見えた。
「ケータイ切って。すっごい小声であたしに何か命令してみて」
突然そんな指示が届く。意図がわからないながらも、キルアは言われたとおり通話を終了した。

「……右手上げて」
雨音にかき消され、すぐ隣にいるですら注意しなければ聞こえないほどの声量だった。しかし数十メートルは離れているにも関わらず、その女性は即座に右手を掲げてみせる。
「すっげー地獄耳」
相手に全て筒抜けであることもすっかり忘れて、キルアがぽろりとこぼした。特殊な技能など何も持ち合わせていないはもちろん、これまで幾度となく非凡な才を見せてきたキルアですら驚かずにはいられない出来事だった。

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 クラピカの依頼でやってきたというその女性は名前をセンリツというらしい。小柄な体型と柔らかなつば広の帽子、ゆったりしたポンチョ様の装いはまるで森の妖精のようだった。
 そして温かく穏やかな語り口がそうさせるのか、たったいま会ったばかりの彼女に対してすでに親愛の情が溢れてやまないことには気づいた。
「キルアくん、ちゃん。これからよろしくね」
耳元を真綿で包み込まれるような心地の良い声だ。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
そう言っては小さく頭を下げた。そして彼女と引き合わせてくれたクラピカに心の中で感謝する。

 雨が地面を叩く音だけが辺りに満ちている。センリツは耳に手をあて、静かに目を閉じた。キルアとは息をひそめてその様子を見守る。
「……たしかにあの敷地内で話し声がする」
センリツの言葉に空気がピリッと引き締まった。
「足音からみて人数は五、六人。女もいるわね」
迷いなく次々と解析を進めていくセンリツの姿には感動さえ覚えた。何のリスクも犯すことなく一方的に相手の動向が掴めるのだ。
 先行きの暗かった作戦に光明が見え始めた。しかしそれと同時に、胸の隅に生まれた小さな異物感がの表情を曇らせる。

「こちらとは反対方向に向かってるわね」
センリツはそう言うと、アジト方面に向かって歩き始めた。キルアとも黙ってそれに倣う。
「すげーな。オレも結構鍛えてる方だけど全然聞こえねー」
「そういう能力だから」
キルアが感心と悔しさの入り混じったため息をつくと、センリツはおかしそうに笑った。

 旅団はどうやら、ほんの少し早歩きする程度の速度でアジトから遠ざかっているようだった。近付きすぎても離れすぎてもまずい。キルアとはセンリツのペースに合わせて後を追った。
「……キルアくんってもしかして殺し屋さん?」
前振りも何もなく投げかけられた質問にキルアは目を丸くする。
「元だけど……なんでわかんの」
耳だけでなく鼻も効くのかと考えかけたものの、現実的ではなかった。足を洗ってからかなりの月日が経っている。

 至極不思議そうな顔で見てくるキルアにセンリツは小さく笑みをこぼした。 「足音よ。こんなに近くにいてもエスティントだもの」
聞き慣れない言葉にキルアが戸惑っていると、音楽用語でとても小さいという意味なのだとセンリツが補足した。
「ああ……」
ようやく腑に落ちたキルアはセンリツから視線を外す。
「クセになってんだ、音殺して歩くの」

 さらりとかわされた二人のやりとりには舌を巻いていた。改めて思い返すと、背後からこっそり忍び寄られて驚かされた経験は一度や二度ではない。
「すごい技術よ。クラピカがあなたを頼る気持ちもわかるわね」
センリツはそう言って柔らかく目を細めた。キルアの口角がむずむずと小さく震える。
「……ま、こっちはイヤイヤなんだけどね」
口ではそう言うものの、彼の顔を見れば内心など一目瞭然だ。当初からつれない態度だったキルアの微笑ましい姿に、センリツの頬が緩んだ。
 見慣れたヨークシンの街並みが流れていく。雨のせいでいつもよりほんの少し閑静なこと以外、何の違和感もない。
「ストップ!」
センリツにしては珍しく鋭い声色だった。キルアとは言われたとおりその場で足を止め、息をひそめる。
「この道、曲がってさらに百メートルくらい先に奴らがいるわ」

 本当に心強い仲間を得たものだとキルアは深く感心した。もし仮にこちらからオーラを探ろうものなら、逆に気取られて終いだろう。彼女の言葉なくしては奴らの存在になど到底気づけなかったはずだ。
「ここでちょっと待っててよ。本命がいるか確認してくる」
そう言うと、キルアは昂る気持ちもそのままに手近な建物の壁を駆け上がった。