No.133 : Reconnaissance


 エントランスを出た二人はどちらともなく上着のフードを被り、昨夜のルートを引き返す。外はまさにバケツをひっくり返したような土砂降りだった。
 足元ではねる飛沫にも構わず、最寄りの駅を目指して駆け抜ける。キルアはすぐ横を走るに視線をやると、うんざりしたように目を細めた。
「……なんだよ」
口から出た声は想像以上に不満げだった。しかし、そんな刺々しい態度を気にした様子もなく、は穏やかに微笑む。
「キルア、嬉しそうだね」
「はぁ!?」

 心底嫌そうな声とは裏腹に、キルアの頬はほんのりと熱を帯びる。認めたくはないが図星だった。
 この件をなんとか回避しようと画策していた少し前の自分がまるで別人のようだ。今では、懸賞金撤回以前にも劣らないやる気に満ちている。
「……まーな」
普段なら間髪入れず飛び出す憎まれ口を飲み込むくらいには、気分が良かった。足裏にまとわりつく泥水も気にならない。笑えるほど身体が軽い。

 珍しく素直なキルアを目の当たりにして、は嬉しそうに目尻を下げた。
「えへへ。も同じ」
つい先ほどまで金策としての関心しかなかったキルアが、損得勘定抜きで心からクラピカのために動いている。自分の大好きな仲間が互いに通じ合った事実は何ものにも代え難い喜びだった。

▼ ▼ ▼

 電車に揺られ、目的の駅に着いた二人は再び雨の中を駆ける。向かった先は、旅団のアジト周辺を一望できる廃ビルの屋上だ。
 豪雨で薄白く霞む景色に目を凝らす。とたん、強烈な違和感が二人を襲った。
「あっちで合ってる、よな?」
「うん、そのはずだけど……」
キルアとは互いに確認を取ると、ふたたびアジトに狙いを定めた。それほど複雑な道のりではなかった。二人が二人、全く同じ記憶違いをしているとは考えづらい。方角だってこちらで間違いはないはずだ。
「……まさか」
顎に手をあて考え込んでいたキルアがハッと肩を揺らした。
「いったん降りるぞ」
言うが早いか、即座に走り出したキルアの後をは慌てて追いかける。

 昨夜と同じ道のりを辿り始めた二人はすぐに愕然とした。一夜にして、明らかに建物の数が増えている。
「――おそらく具現化系の能力者の技だな」
電話の向こうから聞こえてくるクラピカの声はどこか苦々しい。その横で、建物の群れを具現化するという想像以上のスケールにレオリオは度肝を抜かれているようだった。

 建物自体に何らかの仕掛けがあるはずだが、裏を返せば未だに旅団がここをねぐらにしている証拠でもある。――そんなクラピカとキルアのやりとりを意識の端に留めつつ、は辺りの音と気配に集中していた。連絡を主に担当するキルアとは対照的に、周囲への警戒に重点を置くのがの役割なのだ。

「問題は建物が密集してて死角が多すぎることだな」
キルアがうんざりしたように言った。遠くから全体を把握しようにも、新しく増えたビルが本物を覆い隠すようにそびえている。かと言って直接現地へ踏み込めば、旅団と遭遇する危険性が高すぎる。
「一応二人で気にはしてるけど、今だっていつ奴らの声がするかと思うと心臓バクバクだよ」
勢い勇んでやっては来たものの、もキルアの心情に完全同意だった。実際に音が聞こえてきそうなほどの脈動が、周囲への警戒の邪魔をする。
「……声、か」
クラピカがぽつりと呟いた。問い返そうとしたキルアの次の言葉を待たず、先ほどの監視地点に戻るよう告げられる。どうやら何か策が浮かんだらしい。

 五分後にかけ直すという言葉の直後、クラピカとの通話は途切れた。さっそく二人は言われたとおり、元のビルへ向かって走り出す。こんなところに長居しては、神経がすり減ってどうにかなってしまいそうだった。

▼ ▼ ▼

 先に一人で戻っているよう言われたは、一足早く屋上へと辿り着く。せめて見える範囲だけでもとアジト周辺へ目を凝らした。
 ぼやけたビルの群れはただただそこで雨に濡れている。旅団の姿を捉えるどころか人の気配すら読み取れない。
「ほら」
そんな声がして目の前に何かが差し出された。反射で受け取ったは突然の温かさに小さく声をあげる。――ホットコーヒーだった。

 音もなく背後までやって来ていたキルアが隣にどっかりと腰を下ろす。
「あ、ありがとう?」
戸惑いながら礼を言い、いつの間にか冷えていた手のひらで缶を包んだ。優しい熱が指先からじんわりと広がる。は肩の力を抜き、深く息を吐いた。

 甘苦いコーヒーに口をつけながら、未だ音沙汰ない携帯電話へ視線を落とす。そのとき、の脳裏にゴンの顔が浮かんだ。
「ゴン、一人で大丈夫かな」
思わず漏らした言葉にキルアの眉がピクリと震える。
「……あいつの土壇場の強さはおまえも知ってるだろ?」
それはそうだけど、といまいち煮え切らないの表情にキルアはとうとうため息をついた。

「ああは言ったけど、この作戦はそもそも偵察の成功が大前提。人手があるに越したことはないんだよ」
が人員配置に意見しようとしていたことを覚えていたらしい。じっくり言い聞かせるようにキルアは顔を覗き込んだ。
「……な、なるほど」
ようやく腑に落ちたは目を丸くしながら唾を飲む。キルアは満足げに息を吐くと、袋から取り出した菓子パンにかぶりついた。