No.131 : Scarlet


 振り返ったの目に映ったのは、神妙な面持ちでクラピカを見据えるキルアの姿だった。
「ねェ。なんで急にオレたちの協力受ける気になったの?」
この件に関してあれほど無関心だった彼が、クラピカの心境の変化に一歩踏み込んでいる。は大きく目を見開いた。
 しかし、実のところ前向きな理由からきた言葉ではなかったのだが、それに気づいた者は誰もいない。

「もちろん私のリスクが増したからだ」
間髪入れずにクラピカが答えた。
「早急にパクノダを始末せねばならない。何を犠牲にしてもだ」
考え込むまでもなく、呼吸のようにするりと出た言葉だった。ハンター試験では皆に抗ってまで敵にとどめを刺さなかったと聞く。そんな彼がこの境地へ至るのに、どれほどの覚悟を重ねてきたのだろう。はとめどなく溢れる想像に胸が張り裂けそうだった。

 そのとき、先ほどからずっと口をつぐんだままだったゴンが前のめりになった。
「クラピカ。オレにも念の刃を刺してよ」
キルアの眉間に皺が寄る。ギョッとした顔のレオリオが勢い余って立ち上がった。
「ゴンおまえさっきの話聞いてたか!?」

 念能力を使うにあたり、莫大な威力を得ることと引き換えに、旅団以外を攻撃すれば命を落とすという制限をつけたのだとクラピカは言っていた。しかしゴンは怯むことなく、しれっとした顔で首をかしげる。
「じゃあなんでクラピカの胸には念の刃が刺さってんの?」
考えつきもしなかった抜け穴にはポカンと口を開けた。言われてみれば確かに、と納得してしまう。

 ゴンの気づきはもっともだったが、果たして彼は話してくれるだろうか。はそろそろとクラピカに目をやった。
「……ここからはさらに私のリスクを上げることになる」
いつになく深刻な顔つきでクラピカが言った。は思わず背筋を伸ばす。固く握った手のひらにはじんわりと汗が滲んでいた。
「なにしてんだよ、いくぞ」
レオリオとともに席を立ったキルアが、の肩を叩いた。はそれに構わず、クラピカの姿を捉えたまま大きく息を吸う。
「わたしも……」
ゴンに向けられていた視線がゆっくりと動き出し、まっすぐなのそれとかち合った。
「絶対に足手まといにはなりたくないから、お願いします」

 クラピカの瞳には驚きも動揺もなく、ただひたすらにじっとを見つめていた。まるでゴンの後に続くことをあらかじめわかっていたかのようだった。
 付き合っていられない、とでも言いたげなため息を吐いたキルアは黙ってその場を後にした。いつの間にか客の消えたロビーに静寂が訪れる。

「……結論から言えば、それは確かに可能だ」
クラピカが自身の左手をそっと右手へ滑らせると、つい先ほど目にしたばかりの鎖が一瞬で現れた。あの時と同じように、袖口から手のひらへと伸びた鎖が五本に分かれて指の根元に繋がっている。
「五つの鎖にはそれぞれ違う能力が宿っている」
そう言ってクラピカは中指を伸ばした。束縛する中指の鎖――捕えた者を強制的に絶の状態にして拘束するのだという。

 すると今度は入れ違いに小指の鎖が伸ばされた。先端に小さく鋭い短剣状のモチーフが付いている。律する小指の鎖といい、この楔を刺す際に宣告した掟を守らなかった場合、心臓が握り潰されるのだとクラピカは言った。
「……察しの通り、この剣が私の胸にも刺さっているわけだが」
ゴンとが頷いた。

 攻撃の対象を旅団に限定し、破れば死ぬという制約。しかし、それを自身に課す際の一刺し自体が違反とみなされるおそれがあった。杞憂かもしれないが、確実に大丈夫と言える保証もない。
 そこで掟を限定し、中指の鎖のみを制限することにしたのだとクラピカは言った。
「したがって、小指の鎖は旅団以外にも使用可能……ただし」
はハッと息を飲んだ。クラピカを包むオーラが厚く膨れ、さらに密度を増していく。そして一番の変化は彼の瞳にあった。見慣れた柔らかな榛が次第に鮮やかな緋色へと染まる。
「この状態の時だけだがな」

 は初めて目にするクラピカの姿に大きく瞬きをした。話の上では何度も出てきたが、実物を見る機会はなかった。非人道的な行いに手を染めてまで欲する者すらいる、世界でも有数の美色。それがいま眼前で輝いている。
「そういえばには見せたことがなかったな」
クラピカの言葉にが頷く。
「緋の眼……自分の力で出せるの?」
「訓練した。緋色になるまでかなり時間はかかるが」
自身の感情に直結しているだけだったものが、今では意識的に操れるようになったという。ゴンもまた、彼の努力の成果に驚いていた。

 クラピカはその後も自身の能力について吐露し続けた。本来の系統は具現化系であること。よって、操作系と放出系の力を要する律する小指の鎖は通常状態では使用不可能であること。しかし緋の眼が現れたときのみ特質系となり、全ての系統の能力を百パーセントの精度で扱えるようになること。
 念能力者にとって、知られれば命取りとなるほど踏み込んだ情報だ。しかしそれゆえ、の覚悟はより強固になる。このあと命を握られることに対する迷いはもはや微塵もなかった。