No.121 : Goodbye


「ちょと待つね」
キルアの後について外へ出ようとしたところで、何者かに呼び止められる。振り向くと、突如の視界が黒に染まった。ワンテンポ遅れて、それがフェイタンの衣のたなびきだったのだと気づく。
 ドアの外でゴンとキルアが身構えた。するとフェイタンは呆れたように深く息を吐く。
「今さらお前たちに何かするつもりないよ」
その言葉どおり、今の彼から邪念のようなものは感じられない。とはいえ、決して友好的というわけでもない。二人が警戒を解くことはなかった。

 フェイタンは特に気にしたそぶりもなくに目をやる。
「お前、前にどこかで会たか」
刺すような視線に捉えられては身動きが取れなかった。いくら害意がないといっても、あれほどの強烈な残虐性を見せられた後だ。彼が距離を詰めるごとにの心拍数は跳ね上がっていく。
 わずか数秒のできごとだったが、にはまるで永遠のように感じられた。いよいよ息苦しくなってきたところで、金髪の青年が奥からゆっくりと近づいてくる。フェイタンの隣で立ち止まり、しばらくを眺めたかと思うと、その丸い瞳を更に大きく見開いた。
「……あ。団長が贔屓にしてた料理店の子ども」

 青年の一言が埋もれた記憶を呼び起こしたらしい。胸のつかえが取れたとでも言うように、フェイタンはそれきりすっぱりと凝視をやめた。彼にとってプラスでもマイナスでもない出来事だったことにはこっそり安堵する。
「んなことよく覚えてんな」
離れたところでフィンクスが至極つまらなさそうに言った。すると青年はキョトンとした顔で向き直る。
「あれ。フィンクス、この子に何度か盗み食いされたの覚えてない?」
まるで他人事だった彼の関心が大きく揺さぶられる。とどめは笑い混じりのフェイタンの一言だった。
「盗賊の名折れね」

「あァ!?」
地を這うような重低音にの肩が大きく震えた。フィンクスは額に青筋を浮き上がらせ、苛立ちながら思案する。少しして、宙をさまよっていた視線がギロリとの姿を縫い止めた。
「……その節は世話になったなァ?」
どうやら思い出したようだった。しかし肝心の本人はというと、困惑した顔で大きく目を瞬かせる。
「えーと……?」
「覚えてねェのかよ!」
どれだけ必死に思考を巡らせても、彼らの顔に見覚えはなかった。フィンクスは今にも殴りかかりそうな剣幕でを睨みつける。その横ではフェイタンが小刻みに肩を揺らしていた。

 まぁ何年も前の話だから無理ないかもね。面倒を嫌った青年の一声が決め手だった。結局、思わぬところから転がり出た彼らとの繋がりは、毒にも薬にもならない単なる思い出話に落ち着く。フィンクスは最後まで虫の居所が悪いようだったが、実際に手を上げることはなかった。

▼ ▼ ▼

 ノブナガに導かれるまま、三人は別室へと移動を開始した。逃走を警戒して、部屋の前までという約束でマチとヒソカが背後を固めている。ピリピリした沈黙とともに廊下を進むと、目的の場所はすぐだった。
 重厚な扉が開き、薄暗い空間と相変わらず瓦礫まみれの床が現れる。ゴンとキルアは大人しくノブナガの後に続いた。もちろんも同様だ――しかし最後に一つだけ、やり残したことがあった。
「マチ」
反応はない。しかし、次の言葉を聞き捨てるわけはないという確信がにはあった。部屋の中から、早くしろと声がかかる。

 彼女には彼女の居場所がある。自分とは決して相容れない世界だ。散々悩み抜いたとはいえ、結果的には彼女を利用しようとした自分に、それを憂う権利も、絆を語る資格もない。
「……さよなら」
掠れた声は仄暗い闇に溶けていく。相変わらず返事はなかったが、は構わず部屋の中へ歩を進めた。

▼ ▼ ▼

 錆びたような音を立てて閉まる扉を見届け、マチは踵を返した。妙なひとときは終わりを迎えた。次はノストラード組の構成員探しだ。
 仕事に熱心な人間というわけでもないだろうに、背後の奇術師はどこか楽しげな空気を纏ってついてくる。なぜだかそれが無性に癇に障ったマチは、とうとう足を止めて振り向いた。
「……何」
半眼で睨みつけると、彼はことさら嬉しそうに距離を詰めてくる。
「元気だしなよ」

 言うが早いか、無防備な肩に彼の右手がふんわりと添えられた。マチはすぐにそれを払いのけ、さっさともと来た道を行く。
「何のことだか」
いつもと変わらない、冷ややかな声がぽつりと零れた。だと言うのに、後からついてくるその男は一向に忍び笑いを止めようとしない。
「……落ち込んでるように見えたのになぁ」

 マチはいよいよ我慢の限界だった。
「これ以上喋るとその唇縫うけど」
すると怯えるどころか、この上ないほどに彼のオーラが喜び沸き立つ。たったこれだけのやりとりでどっと疲れたマチは、しばらくのあいだ、彼の存在を無視することに決めた。

けじめ。