No.117 : Relationship


 は堂々と敵地のど真ん中に飛び込んできただけでなく、あろうことか団員の一人を名指しで呼んでみせた。マフィアが公表している賞金首リストには写真こそあれ、名前など一人として掲載されていなかったはずだ。
 裏切り≠ニいう言葉が一瞬キルアの頭をよぎった。しかし、そのまま瞬きほどの速さで消えていく。旅団と顔見知りという時点で既に無茶があるのに、そのうえ彼らと仲間だったなど天地がひっくり返っても信じられるわけがない。

 が名を呼んでから最初に反応を示したのは、マチ本人ではなくその相棒の長髪男だった。
「おいおい……なんだァ知り合いか?」
面倒くさそうに後ろ頭をかきながら、しかし左手はしっかりと刀の柄を握っている。マチは表情一つ変えず、の姿を一瞥した。
「あぁ。昔ちょっとね」
彼女の瞳には親愛どころかわずかな懐かしさすら映っていない。まるで道端の石ころでも見るような、なんの興味もない、ひどく冷めた目をしていた。は天空闘技場で偶然再会した時とのあまりの落差に目眩がしそうだった。
 だが、どれだけ冷遇されようとここで怯むわけにはいかない。ゴンとキルアの命がかかっているのだ。
「マチ、お願い。二人を解放して!」
きっと少しずつ時間をかければその氷も溶けるだろうと、懲りもせず高を括っていた。しかしその目論見はあっさりと崩れ去る。

 動いたのはフィンクスだ。は瞬時に背後を取られ、両手を拘束される。なんとか逃げようと身をよじるも、力の差は歴然だった。
「キャンキャンうるせェと殺すぞ」
耳元で囁かれた、これまでの人生で聞いたこともない低音に背筋が凍る。形だけのハッタリなどではなく、正真正銘、本気の殺意だ。は一か八かで再びマチを見つめるが、まるで興味がなさそうにフイと視線を逸らされてしまった。
「……仕方ねェからコイツも連れてくか」
すぐ後ろでそう声がしたかと思うと、掴まれた両手が捻り上げられる。骨が軋み、苦痛で歪む顔に脂汗が滲んだ。
!」
「てめぇ……」
ゴンとキルアの声が重なる。今にも飛び出していきそうなゴンを長髪男が制し、忌々しそうに睨みつけるキルアの前にはマチが立ち塞がった。
「心配しなくてもここで殺しゃしねーよ」
笑い混じりの言葉とともに腕の拘束が解かれる。それが戦意喪失を狙った脅しの一環であるとたちはその時気付いた。

▼ ▼ ▼

 ゴンたちは促されるまま黒のセダンに押し込まれ、目的地へと運ばれていた。団員たちの話しぶりからして行き先は彼らのアジトだ。想定とはだいぶ外れたシナリオだが、まずまずの収穫にキルアはほんの少しの充足感を覚える。ただし、今後の命の保証はないけれど。
 後部座席の両脇をスーツの女とフィンクスが固め、その間に、キルア、ゴンが並ぶ。三人がけの席に無理やり詰めているせいで、車内はひどく窮屈だった。

 突然しなやかな腕が肩に回され、の心臓はドキリと跳ねた。相手が女性だとわかっていても、脈動が早まるのを抑えきれない。
「アンタは鎖野郎≠チて知ってる?」
その質問はにだけ向けられているようで、ゴンとキルアが答えようとするそぶりはなかった。が到着する前のやりとりで既に交わされた会話なのだろう。
「……知らない、です」
偽るまでもなく、全く聞き覚えのない単語だった。女はしばらく黙り、小さく息を吸った。
「質問を変えるわ。鎖を使う念能力者について何か心当たりは?」
「えっと、特になにも……」
静かな車内にモーター音と二人の問答だけが流れる。知らぬうちに女の機嫌を損ねるような答えを返していないだろうか。自分の言葉がきっかけで二人に危害が及ぶことだけは避けたい――膝の上に置いた両手がじっとりと汗ばむ。生きた心地のしない、永遠のようにも思える時間をは過ごした。

 車は中心街を抜け、林を越えて、広大な荒地を覆う背の高いフェンスの前で停車した。そのはるか向こうには、風化して廃墟になったようなビルがぽつぽつと点在している。いかにも盗賊団が寝ぐらを構えるにはふさわしい雰囲気だった。
 ここからは徒歩で向かうらしい。はスーツの女に続いて車から降りた。そしてフェンスを超えると、四方を団員に囲まれながら廃墟に向かって歩まされる。これといった拘束はないが、この包囲から逃れることなど不可能であることはさすがのにもはっきりとわかった。
 そのまま一番近くの建物にたどり着くと、言葉もなく中へ通される。窓ガラスはことごとく割れていて、壁は崩れ、床の上も災害か略奪後かのように荒れていた。目隠しをされていないので、放っておいても視覚からアジトの情報が流れ込んでくる。
 しばらく行くと、一際しっかりした造りの扉の前にやってきた。重そうな両開きのそれをスーツの女がやすやすと押してみせる。軋んだ音がして、一気に視界が開けていった。

いよいよ本拠地。