No.116 : Failure


 周囲に軽快な電子音が鳴り響く。発生源はターゲットのうちの一人、長髪の男の携帯電話だった。事態が動き始めたことで、いよいよ油断は許されない。今後何かあればすぐ逃げるようゴンに告げると、キルアは通話を終了した。
 男が電話越しに何者かと話している様を注意深く観察する。まさか居場所がばれているはずはないだろうが――念のためポケットの携帯電話に手をかけたところで、男の双眸が確かにこちらを捉えた。
 凍る背筋もそのまま、キルアは渾身の力で出口へと飛び出す。ゴンに知らせる間などなかった。自分の身を守るので精一杯だ。

 しかしキルアがそのまま外の世界を拝むことは叶わなかった。出口を塞ぐようにして、見知らぬ男が立ちはだかったのだ。
 金の短髪に人相の悪い目つき。上下ジャージ姿のその男はさながら街のゴロツキのような風貌だったが、真に恐ろしいのは彼が放つ殺気だ。対峙した瞬間から、キルアは相手が只者ではないことを理解する。
 だからといってこのままおめおめと捕まるわけにはいかない。キルアは相手の目を撹乱させるべく、室内を縦横無尽に跳び回った。姿を見失った隙に逃げ出す算段だ。

 すると、幾度となく足裏に感じていた硬い壁の感触が突如途絶えた。それと引き換えに、右足首を拘束する凄まじい圧迫感にキルアの顔が歪む。足首を掴まれたのだと理解した瞬間、キルアの身体はすぐさま次の動作に移った。腰をひねり、その勢いで石つぶてを浴びせにかかる。まんまと全て避けられてしまったが、これは切り札ではなくただの下準備。回避によって生じた隙をつき、左足で思い切り蹴りつけた。

 決まった、はずだった。しかし左足首に伝わる忌々しい圧迫感が攻撃の明らかな不発を意味している。
 両足を封じられたキルアは地面に両手をつくと、握力と身体の捻りだけで拘束からの脱出を試みた。床石にめり込ませた両の指先から、腕、そして肩へと渾身の力を込めれば、その伝達を物語るように次々と血管が浮き出てくる。さらに腰から足先へと神経を集中させ、身体の軸を中心に全身を捻った。

 年端も行かぬ子どもが生み出したとは到底思えない旋回力に、男の両手は耐え切れなかった。がっちりと固定されていたはずの両足首が手中から零れ出る。だがそれは二人の力が散々拮抗した末の話。両者の間に生まれた摩擦は足首の皮膚を容赦なく削いでいった。
 拘束から抜け出したキルアはボロボロになった両足を庇う様子もなく、眼前の男を睨みつける。一連の流れが予想以上だったのか、男は賞賛の口笛を鳴らした。

 その後、二人は見つめ合ったまま、こう着状態が続いた。互いに次の手を出しあぐねていると背後から声がした。
「よぉーォ、フィンクス」
キルアが振り向くと、ターゲットの片割れ・黒い長髪の男が窓から乗り込んできていた。彼の言葉によると金髪のジャージ男はフィンクスという名前らしい。
「なんでテメェがここにいる? 団長とお出かけじゃなかったのか?」
長髪の何も知らない風の態度にキルアは一瞬混乱した。当然二人で示し合わせていたのだとばかり思っていたが、ここにきて別の可能性が浮上する。
「敵を欺くにはまず味方からってな」
心底面白そうに笑うフィンクスの言葉が決め手だった。

 二重尾行。ターゲット二人を追っていたはずのゴンとキルアもまた、彼らの仲間につけられていたのだ。どうやら団長と呼ばれるリーダー発案の策らしい。順調だと思っていたはずが全て相手の手中で転がされていただけだったと知り、キルアは眉根を寄せて歯噛みした。

 キルア同様、ゴンもまた、少し離れた場所で団員に追い詰められていた。ヒソカと同等の強さを持つという人間に二人掛かりで見張られていては、隙をつくなど不可能というものだ。ゴンは持ち前の諦めの悪さで果敢に逃げ出そうとするも、ターゲットだった女にあっけなく身柄を拘束されてしまった。

 二人は建物の外へ連れ出され、団員に四方を固められながら車へと歩いていた。逃げ出そうという気持ちが無くなったわけではない。下手に抵抗するよりも今は大人しく従っていた方が良さそうだと判断したからだ。
 彼らに今すぐ事を起こす気がないのは救いだった。しかし強者に命を握られている状態というのはなんとも気分が悪い。
 そのとき、目の前にキルアたちのよく知る人物が降り立った。さっと血の気が引き、肝が縮む。なぜ彼女がここに。
「待って、マチ!」
見間違いだと信じたかったが、その姿と声は紛れもなく彼女のものだった。

切り札。