No.98 : Eccentric


 むさ苦しい男たちから一変、若い女性が挑戦者ということで、周囲の関心は一気に膨れ上がった。そこかしこから温かな声援が投げかけられる。しかし彼女はそれに応えるでもなく、気負うでもなく、出てきた時とまったく変わらない表情でゴンの前へ腰かけた。そしてテーブルに手をつき、小さく頭を下げる。
「よろしくお願いします」
これほど礼儀正しい挑戦者は初めてだった。
「こ、こちらこそ」
一瞬面食らったゴンも慌てて頭を下げる。ギラギラとした皆の欲望が渦巻くこの場にそぐわない、和やかなやりとりに、は思わず口元を綻ばせる。そして、司会を放棄して個人的な質問を投げかけ始めたレオリオに近寄ると、彼のネクタイを力の限り引っ張った。

 しかし、穏やかだった空気は二人が右手を組み合った瞬間、一変した。絵面だけ見れば今までのどの試合より柔らかいはずなのに、彼らから感じる圧はそれを帳消しにしてしまうほど重く鋭い。もっとも、その感覚に気付いているのは、レオリオを除くゴンたち三人だけである。
「レディー……ゴッ!」
レオリオが試合開始を告げたとたん、二人の渾身の力がぶつかり合った。強さはほぼ互角。がっちりと組み合った拳が互いの視線の間で小刻みに揺れている。ゴンのこめかみに一筋の汗が流れた。
 これまでの試合で見せてきた接戦は、全てゴンの演技だった。観衆を沸かせ、挑戦者を途切れさせないための小細工である。――だが今回は違う。少しでも気を抜けば、一瞬で手の甲がテーブルに激突させられてしまうはずだ。今のゴンに、ショーとしての見栄えを気遣っている余裕などなかった。

 このまま勝負がつかないかと思われた一戦だったが、長いこう着状態の末、じわじわと押し進めたゴンが勝利をつかんだ。
「ハイ残念負けちゃった〜!」
レオリオの声にはハッとした。いつのまにか硬く握りしめていた右手を開くと、くしゃくしゃになった一万ジェニー札が顔を見せる。ずいぶんのめり込んでしまっていたようだ。
「ありがとうございました」
「あ……どういたしまして」
ぺこりと頭を下げられ、慌ててゴンもそれに倣う。その女性は最後まで丁寧だった。

 ゴンは、周囲から称賛を浴びながら観衆の中に消えていく後ろ姿をぽかんと見送った。彼女は相変わらず表情を変えなかったが、どことなく残念そうな雰囲気が見てとれる。
「お前、いまの本気だったろ」
そうこっそり耳打ちしてくるキルアの言葉にゴンは頷いた。傍目にはこれまでと同じ展開に写っているが、実際に込められていた力の強さは段違いである。
「何者なんだろ、あの子」
ゴンはそう言って首をかしげた。人のことを言えた義理ではないが、そこらの成人男性を簡単にねじ伏せられるパワーを持った女こどもなど早々いるものではない。
「さぁ。腕相撲の女子チャンピオンじゃねーの?」
キルアの言葉は一見投げやりだったが、結局のところ、いくら考えても出てくるのは似たり寄ったりの案ばかりだった。

 三百人弱を打ち負かしたところで、今日の条件競売はお開きとなった。少し前から挑戦者の入りが鈍ってきており、ゴンの精神力にも限界が見え始めてきたからだ。相手が悪人ならさておき、善良な市民を半分騙しているこの手法はどうにも心が痛むのだと彼は言った。

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 翌朝、四人は再びレオリオの部屋に集合し、皆で顔を付き合わせていた。その中央にあるのは残りの軍資金、昨夜条件競売で徴収した挑戦料、競売品の指輪である。
「――しめて八百万か。やはりまっとうな方法じゃ無理だな」
レオリオが難しい顔で呟いた。するとゴンが苦笑する。
「腕相撲もあまりまっとうとは言えなかったけど……」
「後半はヤケになったリベンジャーばっかだったもんな」
キルアの言葉にもつい表情を曇らせる。そもそも、単純計算で八十九万回の試合をこなさなければならないという計画自体に無理があったのだ。そのうえ数を重ねるにつれて噂が広まり、次第に皆が警戒心を持ち始めたことで効率はさらに低下してしまった。
「きっと今日は誰も挑戦してこないよ」
そう言ってゴンは、寄せ集められた所持金を見つめた。一夜でダイヤの指輪分がまるまる取り戻せたとはいえ、八十九億というゴールには程遠い。

 やはり無理なのか、という気持ちがじわじわとゴンたちの胸の内を蝕み始める。しかしレオリオだけは違った。
「大丈夫。オレに秘策がある」
これは苦し紛れの強がりなどではない。ひとり立ち上がった彼の顔はなんとも晴れやかで、その瞳には絶対的な確信が滲んでいた。

金が絡むと強い。