No.84 : Race


 カセットテープの音声が消えたことにより、ジンへとつながる手がかりはあと二つ。指輪は模様を警戒する意味で現時点では保留として、残るはロムカードである。ゴンは手のひらの半分サイズのそれをそっと摘み上げ、目の高さに掲げてじっくりと眺めた。黒目の大きな瞳がより一層見開かれる。
「これ、普通のより小さいね。専用のハードがあるのかな」
それを聞いたキルアは信じられないという顔でゴンを見た。
「おまえ知らねーの? これ、ジョイステ専用のロムカードだぜ」
「ジョイステ……」
ゴンは生まれて初めて聞く単語をたどたどしく復唱する。キルアはいよいよ目を見開いた。その、まるで希少生物を前にしたかのような反応に焦りを感じたゴンは、先ほどから黙ったままのへ視線をやる。
は知ってた?」
「……ううん」
苦笑いを浮かべて力なく口を開く。すぐ近くに仲間を見つけたゴンはほっと胸を撫で下ろした。
「マジかよ」
キルアは顎が外れそうになるのをすんでのところで堪えながら、目の前の希少種二人を呆然と見つめた。

 ジョイステーション、通称ジョイステ。三世代前の機種ながら未だに現役で使用している者も少なくないハードである。ふんふんと聞いていたゴンとだったが、隠れだけゲーが多いんだ、というキルアの言葉は流石に理解できなかった。
「ここなら大抵のおもちゃは売ってるはずだ」
「へー」
喋りながらだというのに、キルアは実に器用にタイピングをこなす。ゴンとは左右から覗き込むようにして画面を見つめた。トイ・ランド――希望商品と自身の住所を入力すれば、最寄りの店をデータ付きで紹介してくれるシステムらしい。
「……あった。ラッキー」
「えっ、どこどこ!」
ゴンが慌てて身を乗り出すと、画面の中央に薄いグレーの角ばった機器が見えた。やはりこれまでに見たことすらない品である。も同様に、口を薄く開けたまま画面を見つめていた。
 クリック音、タイピング音が部屋の中を満たす。次々に切り替わるページを眺めていると、注文はあっという間に完了してしまった。そのスムーズな事運びには感嘆の息を吐く。
「よし、あとは届くのを待つだけだな」
そう言いながらキルアはパソコンの電源を落とした。

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 注文品が届くまでの暇を持て余した三人は、森で時間を潰そうと家を出た。青空の下へ飛び出した途端、相変わらずの日差しが肌を焼く。昨日と違って風はなく、むせるような熱気がまとわりついて離れない。
 しかし気候の善し悪しなど、三人にとっては何の障壁にもならなかった。
「やっとも一緒に遊べるね」
走りながら、ゴンが心底嬉しそうに微笑んだ。自分の事のように喜んでくれる彼の温かさにの口元も緩む。
「うん。ご心配をおかけしました」
そう言っては新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。半日こもっていただけなのに、ずいぶん久しぶりに外へ出たような気がするのだ。キルアの土産話を聞いて期待が膨らみに膨らんだせいだろう。

「なぁ、岬まで競走しようぜ」
森に足を踏み入れたところで、キルアがいたずらっぽい笑みを浮かべながら言った。すると少し考えてゴンが口を開く。
「妨害はあり?」
「うん、それ大事!」
もこの提案には大賛成だった。特殊ルールがなければキルアが一人勝ちするのは目に見えている。現時点で具体的な手段は思いつかないが、キルアとゴンが互いに潰し合ってくれるだけでもに勝機が生まれる。
「……あり! よーいどん!」
「あっ、ずるい!」
回答からの流れるようなスタート。ゴンとは見事に出遅れてしまった。
 一気にスピードを上げたキルアの背中が小さくなる。なんとかそれに食らいついていくゴンに対し、はというと、面白いほどのペースで引き離されていった。

 途中で何度か入れ替わりはあったものの、結局一番にゴールしたのはキルアだった。晴れ晴れとした顔で岩場にたどり着いたキルアは、そのままの勢いで海に向かって跳躍する。派手な水しぶきが上がり、からからに乾いた石の壁へ潮の雨が降りそそいだ。
「ふー。きもちいー」
火照った体を冷ましているキルアの横でまたもや水柱が炸裂した。少しして、水面へ顔を出したゴンがへの字口で視線をよこす。
「くっそー、最初のがなかったら勝ってたかもしれないのに」
「そのあと取っ組み合ってたら一緒だって。つーわけで、オレの勝ち!」
そう言って舌を出したかと思うと、キルアは悠然とした動作で遊泳を始めた。勝者の余裕である。どうにも釈然としないゴンがその場でたゆたっていると、視界の上隅に影がかかった。

▼ ▼ ▼

 ゴールに到着したは誰もいない岩場に一瞬戸惑ったものの、もしかして、と絶壁にゆっくりと近づく。恐る恐る下を覗き込むと、水面に浮かんだ二つの頭が目に入った。
「あ、!」
何がきっかけか、ゴンがすぐに気づいて手を振った。すると離れたところで背中を向けていたキルアも勢いよく振り返る。

 キルアは思っていたより早いの到着に目を見開いた。ゴンと互いに妨害し合いながらやって来たとはいえ、ここまで差を詰められているとは思っていなかったのだ。これも今までの彼女の努力が実を結んだ結果だろうか――そう考えると、人の事ながらなんだか感慨深い気持ちになるキルアだった。

 どうしたことか、は崖下を覗き込んだまま一向にその場から動こうとしなかった。見かねたゴンが大きく手を振る。
もおいでよ! 気持ちいいよ!」
「……うん!」
そう返事をしたものの、実際に動き出すまでにはずいぶんとタイムラグがあった。は何度も深呼吸を繰り返し、右手で鼻をつまむと、両目をぎゅっと閉じてから地を蹴った。三度目の水柱が上がり、しばらくして浮いてきたはプハッと大きく息を吐く。
「はは、なんだそれ。おまえビビりすぎ」
あまりに情けない飛び込みスタイルにキルアは思わず笑いをもらす。遊びの一環で行っているにも関わらず、先ほどのの挙動はまるで何かの試練のようであった。
「だって結構高かったから……」
が眉根を寄せながらぼやいた。

 たしかに何の心得もない一般人には無茶な高さである。しかしは曲がりなりにもハンター志望の人間だ。高所を怖がっているようでは後々それが足枷になるだろう。
 いつのまにかゴンとともに素潜り競争を始めた彼女を眺めながら、これも課題だな、とキルアは小さく息を吐いた。

森リベンジ。