No.83 : Mother


 一分が経過し、テープの向こうで深く息を吐き出す音が聞こえた。
 会う決意の揺らがないゴンに反して、ジンが持っている答えは「会いたくない」であった。親であることを放棄してしまった手前、合わせる顔がないらしい。しかし、そんな良心を持ち合わせつつも、己の夢に生きる姿勢は十年後も変わらないのだと彼ははっきり断言した。

 それでも構わないなら、という前置き付きで彼は折れた。だが、近づくのがわかれば全力でそれを回避するのだという。現時点でどこにいるのかもわからないうえ、一流のハンターが本気でアンテナを張って逃げ回るとなると、この鬼ごっこは途方もない難易度になるはずだ。

 そこで音声が途切れたのを合図に、は再度ゴンに視線をやった。思ったとおり、彼の目は光を失うどころか、むしろいきいきと輝きを増している。
「お前の親父も一筋縄じゃいきそうもねーな」
「うん」
キルアの言葉に頷くゴンの顔は実に嬉しそうであった。

 ほんの数分の語りではあったが、謎に包まれていたジンという人物の人となりを知れた気がしては十分に満足だった。
「あ、ちょっと待って」
ラジカセのスイッチへ伸ばされた手をゴンが止めた。キルアが弾かれたように顔を上げると、ゴンは真剣な眼差しをラジカセに向けた。
「ジンはまだそこにいる」
たしかに、彼の声こそないものの依然ハブは回り続けている。わずかなノイズ音が場をつなぐ。三人が固唾をのんで見守る先で、ジンは再度口を開いた。
――あ、一つ言い忘れたぜ。お前の母親についてだ。
はギクリと身体を強ばらせた。まさかこの機会にそんな情報が転がり込んでくるとは夢にも思っていなかったのだ。

 ゴンはミトを本当の母親と慕い、産みの母の存在は亡きものとして生きている。ゾルディック家の使用人小屋で共に修行に励みながら、が聞いた話の一つだ。

 母親についてすでに完結してしまっている彼の目の前で、父によって真実が語られようとしている。この先どうなってしまうのか、はしっかり見届けたいような、目を逸らしたいような複雑な心境であった。
――聞きたければこのまま聞いてくれ。別にいいなら――。
音声はそこで途切れた。見ると、ゴンの指が停止スイッチにかかっている。
「いいのか?」
キルアが念押しする。ゴンは迷いのない、晴れ晴れとした表情で頷いた。
「うん。オレの母親はミトさんだから」
あの時から全く変わっていない彼の意志に、はこっそり安堵の息を吐いた。この島を訪れて実際にミトと触れ合ったは、前情報があったにも関わらず、彼女をゴンの本当の母親としてすんなり受け入れてしまっていたのだ。

 今度こそ本当にジンからのメッセージは終わりを迎えた。短いながらもずいぶんと真剣な時間を過ごした三人の喉は既にカラカラだ。
「オレ何か飲み物とってくるよ」
そう言ってドアへと向かったゴンの背後で、止まったはずのラジカセが突然動き始めた。
「ゴン! 止めたテープが勝手に動き出したぞ!」
キルアが叫んだ。キュルキュルと高い音を出しながら、テープが逆向きに巻き取られていく。三人が慌てて凝で注視すると、思ったとおり、ラジカセの周りを濃密なオーラが包み込んでいる。停止ボタンが押されると自動的に巻き戻されるよう念が込められていたのだ。
「だめだ、止まらない!」
ゴンは再度停止ボタンを押し込もうとするが、まるで外見だけ写し取ったハリボテのようにびくともしない。

 三人が真の目的にまで考え至るより先に、今度は録音機能が作動を始めた。キルアがハッと肩を揺らす。
「そうか、消す気だ! 自分の声を!」
の背中にヒヤリと冷たいものが走った。無我夢中で電源コードを引き抜いたものの、ラジカセは一瞬の途切れすらなく作動を続ける。
「わりぃなゴン、壊すぜ!」
キルアが本気の力を込めた拳でそれを殴りつけた。部屋の端まで吹き飛び、クローゼットの扉とぶつかってけたたましい音を立てる。しかし床に落下したラジカセは依然としてゆったりと録音を続けていた。
「くそ……念でガードしてやがる」
キルアが顔を歪ませながら悪態をつく。その後もありったけの攻撃を加えてみたものの、動作が止まるどころか、本体の表面に傷一つ入ることはなかった。

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 しばらくすると、ラジカセは自らのタイミングで動作を終了した。テープを巻き戻し、確認のために再生した三人は予想どおりの内容に落胆する。ジンの音声は全て、キルアたちが慌てふためく様子できれいに上書きされてしまっていた。そしてそれは事前に用意していた、ダビング用のテープも同様だ。
「なんでここまでするんだろう」
ゴンはテープを見つめながら弱々しくつぶやいた。

「手がかりを残したくなかったってとこだろうな」
キルアの言葉にゴンとは首を傾げた。するとキルアは、たかが音声だけのデータであろうと、声からは身長体重や持病、背景の雑音からは録音した地域を特定することも可能なのだと続ける。
「でも、警戒したのはもっと別のことだぜ」
少しして、二人がハッと目を見開いた。
「……念能力」
ゴンがぽつりと呟く。声を聞いただけでその人物の全てがわかる――たしかに、そんな能力が存在してもなんら不思議ではない。
「お前の親父、手強いな」
「……うん」
何がなんでも捕まる気はないというジンの強い意志を感じ、握られたゴンの右手に力がこもる。彼の喉が大きく上下するのをは静かに見守っていた。

遠い目標。