No.82 : Prepared


 夜明けの光がカーテンを白く縁取る。黒一色だった部屋の隅々が次第に色を持ち始めた。皆が起きだす前の、束の間のひととき。そんな早朝の静寂を切り裂いたのは、地響きとキルアのうめき声だった。
「いでっ」
二方向から時間差で強さの異なる衝撃を与えられ、キルアはわけもわからず覚醒した。目を開けると、息のかかりそうな距離に人の顔が迫っている。それがのものだと脳が認識した直後、キルアは声をあげそうになりながら飛び退いた。
「ん……あれ、キルア?」
まぶたをこすりながら、まだ半分眠っているような顔のが起き上がる。そのとき、キルアの背中に何かが触れた。振り向いた瞬間、面白いほどストンと腑に落ちる。
「……なるほどな」
ゴンの右足が豪快にベッドからはみ出ていた。

 目を覚ましたゴンにことのあらましを説明すると、彼は眉を八の字にして頭を下げた。いくら人をベッドから蹴り落としたとはいえ、寝ている間の行動はある程度仕方がない。キルアがそれ以上深く追求することはなかった。
「それにしても、お前まで一緒に寝ちまってるとはなー……」
キルアからすればこちらの方が問題であった。
「あえてそうしてるのかと思って」
そう言ってゴンはバツが悪そうに頬をかいた。

 キルアとしてはそのまま寝てしまう気は毛頭なく、しばらくしたらを部屋へ送り届けるつもりであった。同室で夜を明かしてしまったのは、自分の余力を計り間違えた結果だ。だからこそ後から来たゴンがその役を担ってくれればよかったのだが、言葉でのやりとりなしにそう上手くはいかないらしい。
はなんだかお泊まり会みたいで楽しかったよ」
ゴンが来るまで起きてられたらもっとよかったんだけど、と続けるの顔には無邪気な興奮が滲んでいる。本人がこれほどあっけらかんとしているならば、周囲からのこれ以上の心配は不要だ。
「……ならいいけど」
キルアは脱力しながらそう言うと、背中から後ろへ倒れこむ。敷布団がボフっと軽い音を立てた。

▼ ▼ ▼

 朝食後の皿洗いを終えたが部屋へ戻ると、ゴンとキルアが箱を囲んで首を捻っていた。なんでも、その箱は昨晩ミトから受け取ったもので、ゴンがハンターになったタイミングで渡すようジンから託されていたというのだ。ちなみにジンというのはゴンの父親の名前である。
 もとは全面鈍色の無骨な箱だったのだが、念を込めた途端ばらばらに分解され、中からひとまわり小さな凝った装飾の箱が現れたのだという。
 キルアとが見守る中、ゴンがハンターライセンスを差し込み口に挿入する。蓋が開くと、中には指輪とロムカード、カセットテープが一つずつ収まっていた。
「うわー、きれいな指輪!」
が楽しそうな声をあげた。ゴテゴテと少し古めかしいデザインではあるが、はめ込まれた三つの石は大粒で、美しいエメラルドグリーンが窓からの陽をたっぷりと反射している。

 そのとき、指輪を掴み上げたキルアがハッと肩を揺らした。
「見ろよ、これ」
二人が言われるがまま覗き込むと、指輪の裏側に細かな模様が刻まれているのが見えた。天空闘技場でウイングに結び付けられた誓いの糸、そして先ほど分解された外箱の鉄棒と同様の図柄だ。
「迂闊にはめない方がいいかもな」
訝しげなキルアの言葉にゴンが首をかしげる。
「それってジンがオレに何かするってこと?」
「……念のためさ」
通常なら親からの贈り物に警戒する必要などないだろうが、ジンの経歴といい、今回の渡し方といい、明らかに一風変わっている。となると、何かしらの仕掛けが施されていてもおかしくはない。

 キルアはゴンが頷いたのを確認すると、今度はカセットテープに手をつけた。
「まずはこれかな。……この家にラジカセってあるか?」
「うん、あるよ」
新たに購入することも視野に入れ始めていたキルアだったが、その必要はないと知り小さく息を吐いた。ここでは依然カセットテープが現役らしい。

 ゴンが押入れから取り出してきたラジカセにテープをセットする。旧式で年季の入った代物だが、なんら問題なく動き始めた。しばらく無音が続き、三人はゴクリと唾を飲み込む。
――よぉゴン。やっぱりお前もハンターになっちまったか。
初めて耳にするジンの声は、低く、重厚で、内側から溢れる自信をそのまま音に込めたような張りがあった。対面するどころか姿を見たことすらない相手だが、彼がダブルハンターに値する人物であることにも納得である。

 ジンは本当に自分に会うつもりがあるのか問いかけると、その直後、一分の猶予をやると告げた。はちらりとゴンに視線をやったが、彼は一瞬も揺らぐことなくテープを見つめている。自分たちが何か気を揉む必要はないのだ。同じことを考えていたキルアと目が合い、二人は眉尻を下げた。

決意は固い。