No.81 : Concernedly


 ぼんやりと目を開けたは、見慣れない天井にハッとして身体を揺らした。そしてすぐに、ゴンの家で休んでいたことを思い出す。
「あら、起きたのね。調子はどう?」
とつぜん真横から声がした。が振り向くと、椅子に腰掛けたミトと目が合う。読みかけの本がサイドテーブルに伏せられているところを見ると、ずいぶん長い間ここにいたのだろう。
 は慌てて身体を起こし、しばらく精神を集中する。そして気づいた。島に降り立ってからずっと頭にこびりついていた、不快な感覚が綺麗に消えている。
「あ、もう大丈夫みたい……です」
寝ている間にすっかり陸へ適応したようだった。ミトはほっと小さく息を吐くと、柔らかく目尻を下げた。
「夕飯ができたんだけど、食べられる?」
「……はいっ!」
意識したとたん、は急に空腹を感じ始めた。

 階下に降りてみたものの、がらんと広いダイニングに人の姿はない。しかしミトは構わずコンロに火をつけ、冷蔵庫から冷製のおかずを取り出し始めた。
「二人はまだ森にいるみたい。私たちだけで食べちゃいましょ」
ちょっぴり寂しい気持ちが胸を掠めたものの、は素直に頷いた。昼間のゴンの言葉から考えれば、森で夕食を済ませて帰ってくるのが自然だろう。
「……、おばあちゃん呼んできます!」
「あら、ありがとう。たぶん外に居ると思うわ」
そう言いながら鍋をかき混ぜ始めたミトの背中に返事をすると、は扉へと駆け出した。

 戦場のような昼間の光景とは打って変わって、ゴンたち不在の夕食は実に穏やかなひとときであった。とはいえ、の底なしの食欲は相変わらずである。女性三人分とは思えない量の料理たちは、米粒ひとつ残らず綺麗さっぱりの胃に消えてしまった。
「ごちそうさまでした。……あの、本当に良かったんですか?」
様子を伺うように不安げな視線をよこすへ、ミトは優しく微笑む。
「いいのよ。そのために作ったんだもの」
自分が作った料理を嬉しそうに完食される喜びはにも覚えがあった。すっかり腑に落ちたは、晴れやかな心で食器をシンクへ運びだす。
「あぁでも……やっぱりお弁当は持って行こうかしら」
顎に手を当てながら、ミトがぼやいた。はピンと閃めく。
「じゃあ洗い物は任せてください!」
「ありがとう。助かるわ」
二人は互いに視線を交わせ、それぞれ作業にとりかかる。そんな光景を眺める祖母の口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。

 入浴とその他諸々を済ませたは、あとは寝るだけとベッドに寝転がった。しかし、困ったことにこれ以上ないほど目が冴えてしまっている。昼にたっぷりと睡眠をとったせいもあるが、一番はゴンとキルアが気がかりなのだ。
 むりやり目を閉じたまま、ころころとベッドで時間を潰していると、階段を誰かが上る音、そして隣の部屋のドアが開く音が聞こえた。

 はすぐに起き上がり、隣の部屋へと向かう。すると、開け放たれたドアの向こうでキルアが寝床の準備をしていた。
「おかえり、キルア!」
こらえきれずが背後から声をかけると、驚いたキルアの両手から敷布団が滑り落ちた。ぼすんと空気をたっぷり含んだ音がする。
「おー……ただいま」
昼間の流れを引きずっているのか、ほんの少し妙な空気が流れる。キルアはちらりとの足元に視線をやった。
「スカート、やめたのか」
の服装はすっかり普段どおりに戻っていた。
「うん。森で遊ぶのには向かないから」
はそう言って屈託のない笑顔を浮かべる。どこか惜しいような、けれど安心したような、不思議な感覚がキルアの胸を掠めた。

 ゴンはダイニングで家族水入らずの会話に興じているのだとキルアが言った。今からそこに入るのは野暮というものだろう。は、ゴンと言葉を交わすのは明日にしようと思い至る。
「……で、お前はまだ寝ないのかよ」
ベッドに寝転がり、伸びをしながらキルアが言った。は少し考えたあと、隣の布団に勢いよく倒れこむ。
「なんか今日は不完全燃焼で」
自分のせいなんだけどね、とはバツが悪そうに苦笑した。キルアはしばらく彼女の顔をじっと見つめたかと思うと、突然口の端を上げた。
「森での話、聞かせてやろーか」
途端にの瞳がキラキラと輝き始める。それを見たキルアは、ついさっきまで身体にまとわり付いていた重だるい疲労感が、一気に消え去ったような気がした。

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 キルアは眼下の寝顔を眺めながら、小さくため息をついた。途中から妙に静かになったなと思えば、幼い子どものようにまん丸だった瞳は、今やぴったりと閉じられてしまっている。
 あんなこと言っといて先に寝てんじゃねーか、という文句が頭に浮かぶものの、不思議と心は穏やかだ。微かに上下する背中とささやかな寝息にキルアは口元を緩ませた。
 そしてこの安らかな空間で思いを馳せるのは、森でのゴンとの会話の延長線。彼女はこれからどこへ向かうのだろう。天空闘技場で話した限りでは、今後も日々の稽古を続けるという空気であった。しかし確かな期日は設けていない。二度目のハンター試験までは確実として、その後は――。そんなことを考えているうちに、柔らかな眠気に包まれたキルアはゆっくりと意識を手放していった。

おやすみなさい。