No.79 : Misunderstanding


 三人がデザートの梨をつついていると、洗い物を終えたミトが向かいの椅子に腰掛けた。彼女を見たゴンは何かを閃き、鞄を漁り始める。
「……あった。ミトさん、これがハンターライセンスだよ」
ほんの少し得意げに差し出されたそれを、ミトはきょとんとした顔で受け取った。そして訝しげに眉を寄せ、様々な角度から眺め始める。
「へーぇ、これがねぇ……」
ミトはそう言うと、突然ライセンスを持つ両手に力を込めた。山なりに沿ったカードを前に三人の目が点になる。直後、ゴンはそれを慌てて奪い返すと、大事そうにそっと両手で包み込んだ。そして情けない声を出しながらミトを睨みつける。
「なにすんだよぉ」
「あはは。冗談よ」
ミトはそう言って楽しそうに笑うものの、三人の疑念が晴れることはなかった。

 扉を開けた途端、まるで閃光が弾けたような眩しさが降ってくる。しばらくして目が慣れると、風に揺れる庭の緑が鮮明になった。
 まず始めにゴンが駆け出し、そのあとをキルアとが追った。容赦なく降り注ぐ真夏の日差しが無防備な三人の肌をじりじりと焼く。前方に、追加の洗濯物を干すミトの背中が見えた。
「キルアとに森を案内してくるね!」
「いってきます!」
すれ違いざま、ゴンとが声をかける。するとミトは驚いたふうもなく手を止め、振り向いた。
「お弁当作ろうかー?」
「いいよ、森で何かとって食べる!」
二人のやりとりを聞きながら、はこの先に待つ大自然に胸を膨らませていた。

 駆け足のまま森を訪れた三人は、抜きつ抜かれつを繰り返しながら奥へと進む。ときおり入るつつき合いが、彼らの笑い声を増幅させた。
 しばらく行くと木々の屋根が途切れ、岩場に囲まれた大きな池が現れた。人の手が介入していないだけあり、水底がくっきりと見えるほど澄んでいる。昔はよくここで友だちのキツネグマとともに遊んでいたのだとゴンが言った。
「コン、いないね……」
「うん。多分姿を見せることはないと思うよ」
しょんぼりと肩を落とすとは対称的に、当の本人はあっけらかんとしている。キツネグマの習性と、森の長としてのコンの立場を受け入れているのだ。――そのとき、キルアが口の端をあげた。
「おかえり、ってさ」
彼が指差す方を見ると、池の方へせり出した平らな岩の上で三尾の川魚が跳ねていた。偶然の産物とは思えない状況に、先ほどまで大人びた顔つきをしていたはずのゴンも柔らかく微笑む。そんな彼を見ていたの中にも、嬉しさが溢れて止まらなかった。

 コンからの土産を手に、その場で落ち着こうとしたときだった。が突然動きを止め、怪訝な顔で周囲を見回し始めた。
「……ここ、揺れてない?」
ゴンとキルアも神経を集中してみるものの、そんな気配は微塵もない。
「何も感じねーけど」
いち早く気のせいだと結論づけたキルアがたき火の準備にとりかかろうとする。しかしゴンはというと、依然難しい顔をしたままの顔をじっと見つめた。
「……もしかして、陸酔いかもしれない」

 波の揺れに適応できないせいで酔うのと同じように、突然揺れが収まったことにより症状が表れる場合もある。熟練の船乗りですら完全に無縁とは言い切れず、疲労状態ではより発症しやすいのだとゴンが言った。
「しばらくこの島にいるんだし、今日は家で休んでたほうがいいよ」
「えっ」
感心したように頷いていたは、突然お預けを提案され、思わず目を丸くした。ゴンの言うことはもっともだった。現時点ではそれほど深刻な症状はないものの、今後無理をすればどうなるかはわからない。

 しかしここまで来てしまった以上、はなかなか踏ん切りがつかないでいた。
「ほら、何ぼーっとしてんだよ。行くぞ」
そんな声が聞こえたかと思うと、突然の身体を浮遊感が襲った。
「わぁっ」
この感覚には微かに覚えがあった。ハンター試験の地獄のマラソンである。
「わりぃゴン。すぐ戻る」
そう背後へ声を掛けるキルアに抱えられたかと思うと、途端に周りの景色が流れ始める。は自分の意思とは関係なく、ゴンの家へ強制送還されることとなった。

 三人で遊びながら駆けた山道も、キルアの本気の瞬足にかかれば景観を楽しむ間すらなかった。森の入口に降ろされたは、息ひとつ乱していないキルアの顔をまじまじと見つめる。
「あ、ありがとう」
「じゃあオレは行くけど。早くそれ治せよな」
キルアはそう言って、の鼻先に人差し指を突きつけた。あまりにそっけない別れではあるが、ここまで運んできてくれた事実と、最後に付け足された言葉での心は十分にあたたかだった。
「……よかった」
「どこがだよ」
がふと呟いた言葉に、キルアの眉間がぎゅっと寄った。体調不良のどこが良いんだと視線が訴えている。
「そうじゃなくて。キルア、何か怒ってるのかと思ってたから」
「……はぁ?」
思いもよらない返しにキルアは素っ頓狂な声をあげた。これまでの経緯をざっと振り返ってみるが、そんな覚えは一ミリもない。しかしにはあるようで、キルアの反応に驚きつつもおずおずと口を開いた。
「だって、お風呂上がりのとき思いっきり無視されたから」
「……あー」
先ほどまでは清廉潔白だと思っていたものの、自分でもなるほどと思わずにはいられない一場面であった。だが行動理由をあっさりと明かせるほど、この方面に関してキルアの肝は座っていない。

 の誤解に対してどう弁明するべきか、キルアは必死に言葉を探した。この期に及んでもなお、馬鹿正直に心情を吐露する気にはなれなかった。
 しかし黙っているだけでは何も進まない。キルアは覚悟を決めてギリギリのラインに踏み込んだ。
「べつに、なんか直視できなかっただけ」
するとは眉根を寄せ、不安そうな顔で首を傾げた。
「そ、それは悪い意味で?」
まるで心臓をぎゅっと鷲掴みにされたような感覚がキルアを襲った。あえてぼかしたとは言え、こんな顔をさせたかったわけではない。もう一歩、踏み込むしかなかった。
「っ……良い意味で」
喉の奥がくっついた気がして、ようやく絞り出した声は掠れていた。そして居心地の悪さに思わず視線をそらす。嫌な汗が背中を流れた。

 しばらく無音の間が続いた。からの反応はないものの、きっと誤解は解けただろうと結論づけたキルアは小さく息を吐いた。
「じゃ、行くわ」
先のもたつきはなんだったのかと思えるほど、今度の言葉はすんなり出てきた。そのまま返事も待たずに駆け出すと、頬を撫でる風が妙に心地いい。キルアはどこかすっきりした気持ちでスピードを上げ、ゴンの元へと急いだ。

別行動。