No.74 : Radiant


 重いまぶたを持ち上げたの目に飛び込んできたのは、見慣れた白い天井だった。起き上がろうと身体に力を込めるものの、穴の空いた風船を吹くように端から端から抜けていく。
「おはよう、!」
ゴンの声だった。その直後、一面真っ白だったの視界を彼の顔が埋め尽くす。
「……もしかしてずっと居てくれたの?」
「うん。今までとは立場が逆だね」
そう言ってゴンは白い歯を見せた。はこれまでに二度、ゴンの気絶に立ち会っている。目が覚めたとき側に人がいてくれるというのはこれほど安心感を覚えるものなのかと、はこの時あらためて思い知った。

 は練による防御を試みている最中に倒れた。対戦相手のドラドは即座に攻撃をやめ、審判から試合続行不可能という判断が下されたのだとゴンが言った。
 は顔を歪め、唇を噛み締めた。いずれ終わりが来ることを覚悟していたとはいえ、ふんだんにオーラを練っていたドラドより先にダウンしてしまうのはやはり少しショックである。
、負けたんだ……」
試合の最中に満ち溢れていたの自信は、みるみるうちにしぼんでいく。このクラスで勝ち星を獲得しているゴンが一段と眩しく見えた。
「落ち込むことはありませんよ」
ノックと同時に穏やかな声が舞い込んできた。が渾身の力を振り絞って横を向くと、ウイングとズシ、そして買い物袋を手にしたキルアがドアの前に立っていた。

「とても、素晴らしい試合でした」
ウイングはの目の前までやってくると、ゴンのとなりの椅子に腰掛けた。そして大きく見開かれたの瞳をやんわりと見下ろす。
「あなたはまだまだ発展途上。努力次第でいくらでも上に行ける可能性を秘めています。これからの成長を楽しみにしていますよ」
尊敬する師匠の言葉が胸に染み渡る。
「……押忍!」
は布団の中で、力の入らないはずの拳を握りしめた。ここでの挑戦は一旦終わりを迎えるが、自身の成長のチャンスはこれからも幾度となくある。そして一生自分は彼の弟子であり続けるのだと、再認識させられたのだった。

 各々の修行に戻っていく皆の後ろ姿を見送る。しかし最後にキルアが席を立った瞬間、勢いよく彼の名を呼んだ。キルアは怪訝な顔をしつつも、素直に再び椅子へと腰掛ける。
「……なんだよ」
は一呼吸置くと、キルアの瞳をじっと見つめた。
「キルアのおかげでここまで来れたよ。本当にありがとう」
直球の謝意に一瞬たじろいだキルアだったが、次の瞬間にはいつもの調子を取り戻していた。キルアは眉間にギュッとしわを寄せると、自分より遥か下にあるの額を小さく突いた。
「お前、もしかしてこれで終わりとか思ってねーだろーな」
「……え、違うの?」
ぽかんと口を開けたまま、まぬけに固まっているの額をキルアはもう一度小突く。
「ばーか。昔に比べりゃマシになったってだけで、お前なんかまだまだだっつーの」
現に、先の試合ではドラドに対して防戦一方、全くと言っていいほど歯が立たなかった。念については及第点であるものの、体術には依然課題が多い。
「それに組手なんてどこでもできるだろ」
そう言ってキルアはぷいと顔を背けた。自分ばかりが張り切っているようで恥ずかしくなったのだった。

 からの返事は一向にない。焦れったくなったキルアがこっそり様子を伺うと、彼女は頬を紅潮させ、微かに瞳を潤ませていた。キルアは想定外の反応にギョッとして、気づかないふりを忘れた。
「おま……なんつー顔してんだよ」
弟たちをあやしていた感覚が蘇り、キルアは無意識に手を伸ばしそうになった。しかし次の瞬間、ハッと我にかえる。行き場のなくなった右手が空を切り、そのままポケットの中に収まった。

 いよいよどうしていいかわからなくなったキルアが視線を彷徨わせていると、の身体がわずかに動いた。
「……ありがとう」
真剣な顔で再び感謝の言葉を口にすると目が合う。キルアは居心地悪そうに後ろ頭をかくと、深く長い息を吐き出した。
「あのな。そういう……礼とかいらねーから」
でも、と食い下がろうとするの額を再度小突くと、キルアは意地悪く口角をつり上げた。
「こっちとしても良い準備運動させてもらってるしな」
は目を見開いた。自分からすると息も絶え絶えになるほどのハードな特訓という認識だったが、キルアにとっては本番ですらないらしい。なるほど考えてみれば、組み手の最中に彼が汗を滴らせている様を見たことがなかった。

 それにしたって準備運動とは口が過ぎている。しかしは彼の言葉に腹を立てるどころか、むしろ嬉しさで胸がいっぱいだった。
 やむを得ず自ら申し出たこととはいえ、は今までずっと彼の時間を奪っている事実に負い目を感じていた。だが彼の言葉を聞き、そして顔を見て確信した。彼は少なくとも、自分との手合わせを苦に感じてはいないのだと。
 にやけそうになる口元を隠したいだったが、試合でオーラを出し切ったツケは今もしっかりと身体に残っている。渾身の力を込めた右手はほんの少し布団を盛り上がらせただけであった。
 やぶれかぶれになったは、それならばと、とびきりの笑顔を浮かべてみせた。
「……それじゃあ、これからもよろしくお願いします」
気恥ずかしさから出た皮肉のはずが穏やかに返され、面食らったキルアの頬は次第に熱を持っていった。

気持ち晴れ晴れ。