No.73 : Reach


 ゴンとキルアに遅れをとること三ヶ月半。は一進一退を繰り返しながらじりじりと昇級していき、ついに今日、200階への入場を許可されたのだった。
 は参加登録とともに、さっそく参戦申し込みの手続きを済ませた。というのも、いよいよゴンが七月十日にヒソカとの戦闘を約束したらしいのだ。この場所に居られる期間はもうあまり残されていない。
 はできるだけ早くという要望以外、特に日時の指定をしなかった。すると受付を済ませて新しい個室を訪れる頃には、テレビ画面に戦闘日が映し出されていた。七月八日。ゴン対ヒソカ戦の二日前だった。

 その日のの体調はいつになく良好だった。前日の修行量を抑え、早めの就寝を心がけたおかげだろう。反面、精神には過去最大の恐怖と不安がのしかかっていた。
 顔面蒼白でウイングの部屋に現れたを見て、先に到着していたキルアが呆れたようにため息をついた。
「なに今にも死にそうな顔してんだよ」
死というワードにピクリと体を震わせたを気遣うように、右肩に優しくウイングの手が置かれた。
「大丈夫。対戦相手のデータから考えて、纏さえ維持できていれば死ぬことはまずありませんよ」
纏のあたりで一瞬視線を向けられたゴンは、気まずそうに弱々しく苦笑する。もう決着はついているとはいえ、耳の痛い話であった。
「それにあなたのオーラのコントロール力は私が保証します」
ぐっと手に力が込められた。虚ろだったの瞳に光が戻る。俯きかけていた顔を上向けると、包容力に満ちた笑みを浮かべるウイングと目が合った。つくづく、彼は人の心に寄り添うのがうまい。あまりの安心感には涙が出そうだった。

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 の対戦相手は民族衣装を纏い、浅黒い肌をした痩身の男だった。名をドラドと言うらしい。彼が右手に携えている細長い槍は身の丈ほどもあり、そこかしこに細かな装飾が施されていた。
 これまでやりあってきた闘士とは面構え、風格ともに一線を画している。そして最も大きな違いはもちろん、彼が念能力者という点だ。対峙した瞬間から彼が剥き出しにしている敵意のオーラに、は足がすくみそうだった。

 審判が試合開始を告げた。その直後、ドラドは勢い良く走り出し、槍の切っ先をに向かって突き出す。はこれを間一髪避けた――ように見えたが、体勢を建て直した彼女の右頬には一本の赤い筋が走っていた。
「あいつ……」
キルアの呟きにウイングが頷く。
「えぇ。オーラで槍の間合いを伸ばしていますね」
その間にも二人の攻防は続いていた。ドラドは突きと薙ぎ払いを巧みに操りながら、の身体に確実に傷跡を残していく。そのスピードについていけないは防戦一方だった。
 キルアの特別指導で以前よりも格段に強くなったとはいえ、恐らく幼少時から武術に励んでいたのであろうドラドの身のこなしには到底及ばない。キルアは悔しそうに顔を歪ませ、目の前の試合を睨みつけた。

 は必死にドラドの攻撃をかわしながら、ある一つの挑戦を実行していた。一方に集中すればもう片方が、もう一方に注力すれば残りが疎かになる。もっと早く、呼吸ほどの自然さで行わなければ――固く結ばれていたの口元が僅かに弧を描いた。

 固唾を飲んで試合を見守っていたズシが緊張の糸を解き、僅かに首をかしげた。
「あれ……当たってない?」
ドラドが攻撃を仕掛け、がそれを避けるという構図は相変わらずだったが、の肌から滴る血は止まりかけている。そして新たな傷が増える様子もない。
「いえ。切っ先は確かに肌に触れていますよ」
ウイングの言葉にキルアが頷いた。しかしカラクリについて把握しているわけではなく、難しい顔で腕組みをしている。そのとき、横でゴンが目を見開いた。
「……もしかして、練?」
ゴンの言葉に、キルアとズシがギョッとする。
「そんなこと続けてたらあっという間にオーラが枯渇しちまうぞ」
共に修行をしていたからこそわかる。の練の持続時間はせいぜい一分。違和感を覚え始めてから既に数十秒は経過しているはずだ。

 するとウイングはふっと笑って三人の顔を見回した。
「よーく"目を凝らして"見てみてください」
あまりの初歩的な助言にキルアが唇を尖らせる。の最初で最後の大事な試合だ。始めからきっちり集中しているし、よそ見だってしていない。
「そんなの元からやってるっつーの……あ!」
キルアは同じく閃いた様子のゴンと顔を見合わせた。
「凝!」
二人の声が重なる。すぐさま目にオーラを集結させた二人の後を追い、慌ててズシもそれに倣った。
「一瞬だけオーラが……」
思わずゴンが呟いた。ドラドが接近してきた瞬間、の身体を覆うオーラ量が爆発的に増えているのが見える。そして相手の攻撃モーションが終わった途端、迸っていたオーラは元の静寂を取り戻すのだ。三人はその見事な切り替えに感嘆の息を漏らした。
 もともと、の纏の発動スピードには目を見張るものがあった。しかし、まさかここまでとは全くの予想外である。ウイングのこめかみを一筋の汗がなぞった。

試行錯誤。