No.71 : Past


 数日後にはゴンとギドの再戦が行われた。試合を組んだ当初は相手に勝ちを譲るという話だったが、こちらの約束を破られた今、もはやゴンの頭の中に棄権の文字はなかった。
 この二ヶ月間で、ゴンとギドの実力差はすっかり逆転していた。当然である。向上心を忘れて力のない新人ばかりを狙う者と、格上との戦いを見据えて日々鍛錬している者がいつまでも同じ位置関係でいるはずがなかった。
 キルアからの「思いっきりいけ」という後押しもあり、ゴンはあっという間にギドを追い詰めたかと思うと、彼の義足を折ってあっさりと戦闘不能にしてみせた。
 審判のコールが会場に響いた瞬間、キルアとは互いに顔を見合わせて微笑んだ。

 廊下へと一歩踏み出したゴンを出迎えたのは、満面の笑みで駆け寄ってくるの両手だった。
「やったね、ゴン!」
「……うん!」
ゴンも溢れ出る喜びに身を任せ、彼女と勢いよく両手を打ち合わせた。
「ゴンが言いたいこと言ってくれてスッキリした」
次にズシに手を出したらぶっ飛ばす――ゴンがギドをノックアウトする直前に発した脅し文句だ。ゴンはほんの少し照れくさそうに頷いた。
「オレもかなり頭にきてたからね」
不正に対する忠告自体はキルアが既に済ませている。そのため、今回の言葉は自分たちの鬱憤を晴らす意味合いが大きい。ゴンに"任せた"結果が大満足に終わり、は晴れ晴れとした顔で微笑んだ。

 先の対戦から一時間も経たないうちに、キルアの試合がやってきた。相手は車椅子を操るリールベルトという男だ。彼の戦闘能力に関してはサダソ以上に謎が多いものの、キルアは平然とした顔でリングへ上がった。
 試合開始と同時にキルアは空高く跳躍すると、相手めがけて上空から拳を繰り出す。しかしリールベルトは車椅子を急発進させ、すんでのところでそれを躱した。どうやら、車椅子からオーラを噴出することで通常ありえないレベルの高速移動を可能にしているようだ。
 瞬きも許されない刹那の攻防には前のめりになった。固唾を飲んで見守るの視線の先で、リールベルトがどこからともなく二本の鞭を取り出した。

 彼の鞭は縦横無尽にしなり、鉄壁の守りを作り上げた。そのスピードは音速を超え、床を打つ炸裂音は遥か後方の観客席にまで響いてくる。
 勝利を確信したリールベルトはいやらしく口の端を吊り上げると、キルアとの距離をじわじわと詰め始めた。しかしキルアは依然涼しい顔を崩さぬまま、その場から動かない――鞭の射程がキルアの姿と重なった瞬間、けたたましく鳴り響いていた炸裂音がぴたりと止んだ。

 キルアは二本の鞭を掌で受け止めていた。ゴンとは違い、並外れた動体視力を持たないは小さく安堵の息を吐く。しかしそれもつかの間、リールベルトは焦るどころか口元の笑みをより深くする。直後、彼が握る鞭の柄から青白い電光が弾けた。
 それは一瞬のうちに伝導し、落雷と見まごう程の閃光がキルアの身体を大きく包み込んだ。目の前の光景のあまりの痛々しさに、観客たちは息を飲む。もちろんも例外ではない。放っておくと伏せたくなってしまう瞼を必死に持ち上げて、リング上のキルアを見つめていた。

▼ ▼ ▼

 キルアはいま確かに「拷問の訓練は一通り受けてきた」と言った。その証拠に、あれほどの電流を食らっていてもなお彼の動きや顔色は普段と変わりない。はまるで後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
 以前、彼が毒味をしてくれたことがあった。その時は彼の特殊な生い立ちに思い至りはしたものの、ただそれだけだ。今まで、彼が暗殺一家の生まれであることを知っていながら、その裏で何があったのか深く考えたことはなかった。
 この境地に達するまでに、彼は一体どれだけの苦痛を味わってきたのだろう。想像もつかない、おそらく凄惨な過去には思わず口元を手で覆った。

 が気持ちを落ち着けるより先に、キルアの試合はあっけなく終わりを迎える。キルアは平然と電流を浴びつつリールベルトを宙に放り、落ちてきた彼をそのままの状態で受け止めた。すると一際大きな、爆発にも似た閃光が二人を中心に弾ける。次の瞬間には、ボロボロになったリールベルトがキルアの腕の中で意識を失っていた。

 勝負がついた途端、周りの観客たちは次々に席を立ち始めた。はハッとして立ち上がり、こちらに目配せをするゴンの後に続いた。
「やっぱりキルアってすごいよね」
人の流れに従いながらゴンが言った。先の試合の興奮が未だ冷めないようで、彼の目は爛々と輝いている。

 ショックに思考停止してしまったとは違い、ゴンはただひたすら純粋にキルアの実力を賞賛していた。はきっとこれが最適解なのだろうと納得する。同情なんてキルアは欲していないのだ。
「うん。すっかり引き込まれちゃった」
そう言うとは自分の両頬に勢い良く手のひらを打ち付けた。ピリッとした痛みと同時に乾いた音が響く。ギョッとした顔のゴンと、ついでに怪訝な顔をした見知らぬ男数人がこちらに振り向いた。
「えっ! !?」
突然の奇行に驚いたゴンが立ち止まり、心配そうにの両肩をつかんだ。
「あはは……気合い入れてみた。めざせ200階!」
はそう言って恥ずかしそうに笑った。一瞬面食らったものの、キルアの見事な試合に感化されたのだろうと受け取ったゴンは納得したように微笑む。
「……オレも負けてらんないなー」
そう漏らす彼は今にも駆け出しそうなほどの気勢に満ちていた。

へこんではいられない。