No.70 : Warmth


 三人組との約束試合、最初の対戦はキルア対サダソであった。サダソは能面のような顔をした男で、見えない左腕を持つ謎の多い人物だ。
 このクラスでの戦闘経験は無く、相手の戦闘力も未知数だが、リングへ向かうキルアの顔に緊張感は微塵もなかった。そしてそれは観客席で見守るゴンとも同様である。――三人は、サダソが現れないことを確信していたからだ。
 キルアはズシ誘拐未遂の主犯格であるサダソに対し、二度と自分の目の前に現れないよう裏で忠告していたというのだ。意気消沈してしまった相手の様子を見るに、これ以上何か反発してくることはないだろうというのがキルアの判断だった。
 キルアの目論見通り、その日サダソが試合会場に姿を見せることはなかった。

 試合終了後、待ち合わせ場所に現れたのはゴンだけであった。喜びを分かち合うほどの状況でもないが、珍しいパターンにキルアは首を傾げる。聞くと、はいち早く自室で練の修行を行なっているらしい。
「そっか。じゃあオレらも行こうぜ」
言うが早いか、キルアはさっさとエレベーターホールに向けて歩き出した。近頃特に修行が楽しくなってきたところだ。三人のうち誰が一番大きなオーラを纏えるか競うのが、毎日のお決まりとなっていた。
「あ。、今日は一人で集中したいんだって。キルアの部屋にしようよ」
ゴンは慌ててそう言うと、キルアの横に並んだ。
「なんだそれ。……わかったよ」
つくづく抜け駆けのようなの態度に一瞬ムッとしたキルアだったが、すぐに納得して眉間のシワを解いた。念の修行には精神面が大きく影響する。キルアは、彼女がやり易い環境をあえて乱すようなことはしたくなかったのだ。

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 ふと纏を解いたキルアが時計に視線をやると、時刻は午後六時を回っていた。しばし悩んだあと、未だ隣で目を伏せたままのゴンの肩を優しく叩く。
「なぁ。そろそろメシにしよーぜ」
ゴンはゆっくりと目を開け、時計を一瞥した。
「そうだね」
その場からほとんど動かない修行ではあるが、体力は恐ろしい程に消耗する。オーラを留めることに夢中で気づかなかったが、二人はいつのまにかすっかり空腹だった。
「んで、はどうする?」
きっと彼女も同様に腹を空かせているだろう。しかしゴンは指で頬を掻きながら、いつもよりほんの少し小さな声で言った。
「そのことだけど……」
ゴンは自分の後ろについてくるよう告げると、廊下へと歩を進めた。キルアは回答を先延ばしにされ、首を傾げながらも後を追う。ゴンの行先は、同じ階の自室であった。

 部屋まで来ると、ゴンは途端に前へ出ることをやめた。それどころか、ドアを開けるという簡単な動作までもをキルアに託すと言い始めた。
 普段とは違うゴンの態度を訝しげに横目で見ながら、キルアがゆっくりとドアを押し開くと――唐突な破裂音が鼓膜を揺さぶった。
「キルア、誕生日おめでとう!」
目の前で、満面の笑みを浮かべたがクラッカーを持って立っていた。キルアは頭に乗ったカラーテープもそのままに、たっぷり三秒固まった。そしてようやく思い出す。希望する試合日に信ぴょう性を持たせるため、ウイングに対してそんなことを言った覚えがあった。
「あー……」
キルアは気まずそうに後ろ頭を掻きながら、視線をふわふわと彷徨わせた。思っていたのと違う反応に、とゴンは首をかしげる。
「……わりぃ。メガネ兄さんに言った話、あれウソ」
至極申し訳なさそうに発せられたキルアの言葉に、二人は口をぽっかりと開けたまま、固まった。

 キルアの話によると、本当の誕生日は七月七日と全くかすりもしていないうえ、一ヶ月以上も先であった。新たな事実にの目は再び点になる。
「ほんっとゴメン。まさか祝ってもらえるとは思ってなくてさ」
キルアが珍しくしおらしげに眉尻を下げた。するとはゆっくりと首を横に降る。
「ううん。が勝手に始めたことだから」
そして、早とちりで協力を仰いでしまったゴンに小さく謝罪の言葉を口にした。

 祝う対象のいなくなったパーティだが、せっかく準備したものは消費してしまおうということで、はキルアとゴンを食卓に座らせた。
 部屋中に沈んだ空気が漂っていたのもつかの間、奥から次々と運ばれてくる料理に、二人の瞳が輝きを取り戻す。彩り、メニューのバリエーション、ボリューム、どれをとっても少年たちの心が躍るには十分だった。
「すっげー」
キルアが思わず感嘆の声を漏らした。何度か料理を振る舞われたことのあるゴンも、パーティ仕様のラインナップは初めてである。ゴクリと喉が鳴った。

 テーブル一面を埋め尽くすほどあった料理は、空腹の食べ盛り三人によってあっという間に空皿の山と化した。
 目の前で後片付けに勤しむをぼうっと見つめながら、キルアは心地良い満足感に浸っていた。食事にこれほど心を動かされたのは、幼少時、空腹に耐える訓練を終えて最初に物を口にした時以来であった。

 料理の出来はもちろん素晴らしいのだが、それだけでは説明のつかない魅力がの料理にはあった。旨さという点に注目すれば――毒入りではあるが――過去にも数多くの絶品を食してきたし、最近の話で言えばクモワシの卵がそうだ。しかし、こんなにも後を引く感動はほとんど覚えがない。
 恐らく、全く同じものを店で出されてもこんな心境にはならないのだろう。初めての感覚に戸惑いつつ、キルアは漠然とそう思った。

 用意されていたパーティらしいことを一通り済ませると、キルアは背もたれに大きく体を預け、充足感に満ちた長い息を吐いた。部屋の壁にぐるりと一周施された、ゴンお手製だという紙の輪飾りが見える。
「……家族以外でこんなに色々してもらったの初めてだ」
すると隣で肘をついていたゴンがふにゃりと笑った。
「あはは。オレも」
つられても柔らかく目尻を下げる。キルアは、もはや今日が何月何日であろうと大した問題ではないと思い始めていた。

大失敗?大成功?