No.69 : Embarrassment


 試合に向かうを見送るため、ゴンとキルアの二人は共に150階へ降り立った。控え室へと歩を進めるの横顔には、緩みすぎず固すぎない程よい緊張感が満ちている。ここへ来たばかりの頃に比べると、まるで別人のように落ち着いた顔つきだった。
 控え室の前にたどり着いたところで、ゴンがに声をかけた。
「凝の特訓、もしオレにも手伝えることがあったら言ってね」
ゴンの言葉にキルアも頷く。せっかく三人で再スタートを切ったばかりなのだし、足並みは揃えておきたい。しかしは急に申し訳なさそうな顔をしたかと思うと、首を横に振った。
「ありがとう。でももさっき同じものが見えたから、凝については大丈夫、だと思う」

 の話によると、キルアがヒソカの念について解析している間、後ろで自身もひっそりと凝を行なっていたというのだ。目の前の映像のみに集中していたキルア、その圧倒的な観察力に釘付けだったゴンには知り得ない事実である。
「できるならなんで黙ってたんだよ」
ほんの少しだけ騙されたような感覚を味わったキルアは、不満げに口を尖らせつつ眉根を寄せた。
「キルアの話に聞き入ってたらなんかタイミング逃しちゃって……」
は恥ずかしそうに言葉を濁している。
「おまえって相変わらずよくわかんねーよな」
相変わらず140階周辺でもたついていたかと思えば、気付かぬうちに自分たちと同じ早さで凝を習得している。彼女のちぐはぐな実力にキルアは苦笑した。

 とにもかくにも、ひとまず三人の進捗状況は揃っているというわけだ。ゴンは両の手のひらを勢いよく打ち合わせると、顔いっぱいに喜びの色を滲ませた。
「良かった。じゃあ後で一緒に纏と練の修行だね!」
黒目の大きな丸い瞳が至近距離で輝く。謹慎期間が晴れてからというもの、ゴンの念への熱意は以前より遥かに増していた。そしてそれはとて例外ではない。
「うん。試合が終わったらすぐ部屋に行くよ」
は両手を強く握りしめると、熱い瞳でゴンの顔を見つめ返した。すると二人を横で見ていたキルアがいたずらっぽく目を細め、口の端を上げる。
「まぁ、まずは良い報告を期待してるぜ」
のこの階での勝率は未だゼロである。彼女が小さくうめき声をあげるのを見て、キルアは腹を抱え、ゴンはそれを慌てて窘めるのだった。

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 朝食をとるために訪れたカフェで、キルアはコーヒーを飲みながらゴンとを待っていた。昨日の疲れが残っているのか、何もしていないと欠伸が漏れ出そうだ。二人が来るまでに決めてしまおうと、キルアは小洒落たメニューのページをめくった。
「キルア、おはよう!」
右方から聞こえた声に振り向いた直後、キルアは面食らったように動きを止めた。こちらに歩いてくるの姿を上から下までじっと眺める――今日の彼女にはどことなく違和感があった。しかし、具体的にどこがかと問われれば返答に困る。

 突然固まってしまったキルアの姿には首を傾げた。
「どうかした……?」
寝癖でも付いていただろうかと思い至り、は慌てて髪の毛を確認し始めた。
「いや。なんでもねー」
そう言ってキルアはふいと視線をそらし、手元のカップに口をつける。ふわりと鼻先をかすめたコーヒーの香りに、の食事モードのスイッチが入った。キルアの様子を不審に思いながらも、気を取り直して向かいの椅子に腰かける。広げられたメニューに目をやると、色鮮やかなプレートたちが視界を埋め尽くした。

「……あ、これおいしそう!」
が嬉々として指し示す先には、つい先ほどキルアが心の中でマークしていたセットメニューが写っている。
「あーオレもそれ気になってた」
キルアが思わず同調すると、は楽しそうに目を細めた。
「じゃあもこれにしよーっと」
満面の笑みを浮かべるメイにつられて、キルアの口元も無意識のうちに柔らかく綻んでいた。

 コーヒーのカップがちょうど空になったタイミングで、慌てた様子のゴンが視界に飛び込んできた。彼は小走りで傍までやってくると、二人に向かって軽く頭を下げた。
「おはよう! ごめん、ちょっと遅くなっちゃった」
そう言って顔を上げたゴンは、の姿を見るなり大きく何度も瞬きをする。この反応に見覚えのあるは、再び自身の髪の毛に手を伸ばした。しかし、とくにおかしなハネや癖は見当たらない。
「んー……、服新調した?」
ゴンの一言にの手が止まる。
「……うん。試合で傷んじゃってたから」
はそう言って恥ずかしそうに頬をかいた。

 どの階でも一撃で勝負がついていた二人とは異なり、地道に攻防を繰り返すしかないは一戦の中で何度も被弾する。自然、衣服の傷みは通常より早く進行してしまう。いつのまにか手持ちの服がボロボロになっていることに気づいたは、昨日、慌てて服を探し求めたのだった。

 ゴンは改めての姿を眺め、柔らかく目尻を下げた。
「それ可愛いね、すごく似合ってる」
「あ……ありがとう!」
直球の褒め言葉に面食らいつつも、素直に嬉しいはほんの少し頬を赤らめながらはにかんだ。一方、一切の照れを見せないゴンをキルアはギョッとした顔で見つめた。
「おまえよくそんな歯の浮くよーなセリフ吐けるよな……」
全力で辟易しているキルアの態度にゴンは口を尖らせる。
「だってホントにそう思うんだもん」
「あー、わかったわかった」
キルアは不満げなゴンを片手で制すと、閉じられていたメニューを再びテーブルへ広げた。
 似合っているかいないかで言えば前者だとは思うが、それを表に出す気にはなれない。ましてや可愛いだなんて――途端に全身のむず痒さを感じ始めたキルアは少しでも早くこの空気から逃れようと、欲しくもないコーラを新たに追加したのだった。

天然には敵わない。