No.63 : Ticket


 ゴンがギドとの試合で負傷してから一ヶ月後の朝。彼の部屋を訪れたキルアとが見たものは、医者から全治四ヶ月と言い渡されていたはずの彼が逆立ちしている姿だった。
「あ、キルア、! おはよう!」
ゴンはそう言うと、目を丸くして固まっている二人の前で後ろに一回転してみせた。はその場にへなへなと座り込む。キルアが全治二ヶ月と偽るのをハラハラしながら見守っていたのが馬鹿らしくなるほどの驚異だった。
「おまえ……もう怪我は大丈夫なのか?」
に手を貸しながらキルアが問う。
「うん! おかげさまで!」
そう元気よく答える彼の身のこなしを見るに、強がりではなく本当に完治してしまっているようだった。負傷していた箇所を庇うそぶりもなければ、動きに鈍りすらない。
「一体どんな体してんだよ……」
ゴンの化け物じみた回復力を前に、キルアは呆れと安堵の入り混じったため息をついた。

 ほんの少し遅めの朝食をとりに外へ出かけた三人は、ンストリートの一角にある小さなカフェを訪れた。手頃な価格ながら食べ応えのあるサンドウィッチを気に入り、これまでにも何度か利用している馴染みの店だ。そして何より、ずっと利き手を負傷していたゴンにとって食べやすいメニューであったことも理由の一つだった。
 テラス席に案内され、各々の注文を済ませると、キルアは鞄から三枚の紙を取り出して口角を上げた。
「ヒソカがついに対戦するらしいぜ」
ゴンの瞳が輝きを増し、は息を飲んだ。
「ダフ屋まで出てるくらいすっげー人気でさ。このチケットも200階クラスの闘士って特権使ってなんとか買えたんだ」
「だふや?」
が首を傾げると、キルアはすかさず「あぁ、転売屋のこと」と補足した。腑に落ちたの様子を見やり、満足したキルアはテーブルに身を乗り出す。
「んで、これまでのヒソカの戦績は十一戦して八勝三敗六KO。ちなみにKOの数イコール死人の数らしいぜ」

 の背中に冷たいものが走った。闘技場自体が殺しを禁止していない以上、死人が発生してもなんらおかしくはないが、この戦歴は明らかに"そのつもり"で試合に挑んでいる。
「でもあのヒソカも負けることってあるんだね」
ゴンがポツリと言った。
「これは全部不戦敗。戦闘準備期間がなくなりそうになったら登録だけして試合には来ないってパターンだな」
キルアはそう言って、たった今運ばれてきたばかりのサンドウィッチにかぶりついた。新鮮なレタスの弾ける音が小気味良い。も彼に倣い、落ちかけた気持ちを奮い立たせようとたまごサンドを頬張った。なめらかな黄身のコクが口の中に広がり、その幸福感に強ばっていた体の力が抜ける。
「つまり、ヒソカは実際に戦えば負けなしってことだ」
さらに奪われたポイントも十一戦中たったの四しかないのだとキルアは続けた。もはやほとんど完勝と言える。元々強者という認識はあったが、実際に数字として表すとその異常さが際立った。そして、そんな人物に真っ向勝負を挑もうとしているゴンも大概だ。
「まいったなぁ……」
弱音のような言葉を口にする彼の顔は、絶望に打ちひしがれるどころか、むしろ高揚感に満ち溢れていた。

 腹も膨れたところで、さっそく三人は件の試合会場へと向かう。ヒソカが実際に戦っているところを見たことのないは、なんのイメージも湧かないまま二人の後に続いた。
「今回の対戦相手はカストロって名前の武闘家らしい」
キルアはそう言ってエスカレーターに乗り込んだ。ゴンとは後を追いながら、聞き覚えのない名前に顔を見合わせる。
「二年前にヒソカから三ポイントを奪った因縁の相手だっていうぜ。もしかしたら今回、本気のヒソカが見られるかもな」
饒舌に語るキルアの瞳は生き生きと輝いていた。一方、本来ならばこの試合を最も楽しみにしているはずであろうゴンは、どこか浮かない表情をしている。が顔を覗き込むと、ゴンはためらいがちに口を開いた。
「ウイングさんとの約束、いいのかなあ……」
あ、と固まるとは対照的に、キルアは笑いながら豪快にゴンの肩を叩いた。
「大丈夫だって。ただ試合見るだけなんだから――」
「だめです」
突然上方から降ってきた強い否定の言葉。エスカレーターの終着点で、腕組みをしたウイングが待ち構えていた。

 ウイングは試合観戦も念の研究にあたるのだと説明し、ゴンに改めて謹慎を言い渡した。キルアはゴンの腕が完治している旨を主張したが、当初の約束である二ヶ月という期間に変更はないらしい。
「しゃーねぇな。試合は録画しておくとして、観戦はオレとだけで行ってくるか」
キルアは不服そうにポケットに手を入れた。ゴンのことは残念だが、せっかく高値で買ったチケットをこれ以上無駄にするわけにもいかない。は申し訳なさそうに眉根を寄せながら「また後でね」と言い残し、キルアの後に続いた。
 去っていく二人の後ろ姿を黙って見つめていたゴンの肩に、ウイングの温かなてのひらが添えられる。
「君は今まで通り、点のみの修行と万全の回復に努めるように」
付け入る隙のない、しっかりとした口調だった。悔しいが、これは自分が犯した過ちに対する罰。大人しく受け入れる他ない。ゴンは身体の横で握った両の拳に力を込めると、口元を引き締め、力強く頷いた。

おあずけ。