No.59 : Sweets


 美味しいものを探しに外へ繰り出したキルアとは、いつもよりほんの少し新鮮な気持ちで街を歩いていた。天空闘技場生活を始めて二週間が経過したが、意外にも二人だけで外出したのはこれが初めてだった。
 大通りにはありとあらゆる種類の飲食店が立ち並んでおり、食事選びに困ることはない。ゴンと共に三人で何度も歩いた道だが、未だ立ち寄ったことのない店はまだいくらでもある。そのうちの一つの前で、ふとは足を止めた。
「何かあったか?」
キルアは数歩戻り、彼女の視線の先を辿る。そこにあったのは洋菓子を扱う可愛らしい外観のカフェだった。元々は昼食を探していたはずなのだが、入り口から漂ってくる甘い香りに心打たれてしまったらしい。

 良くないことだと自覚はあるが、食事の代わりにお菓子で腹を満たすという行為にキルアはあまり抵抗がなかった。それに元々甘いものは大好物だ。しかし、店の雰囲気に対しては少し気がかりな点がある。
「……行きたいのか?」
恐る恐る尋ねると、の頬は期待に緩んだ。
「うんっ!」
参考程度に聞いただけのつもりだったが、返ってきたのは全力の肯定。嫌な予感は未だ拭いきれないものの、の気迫と甘味への欲はキルアの背中をぐいぐいと店内へ押しやるのだった。

 入店直後、キルアは先ほどの決断を一瞬で後悔した。目に入る客全てが女性、ついでに言うなら店員までもが女だらけなのだ。なんとなく、居づらい。
「なんかここ女ばっかりじゃねぇ?」
店員の後に続き、空いている席に案内されながらキルアはに耳打ちする。
「そんなことないよ。男の子もいるよ」
丸いフォルムの小洒落た椅子に腰掛けながら、はこっそりと右隣を指差した。見ると、明らかに恋人の雰囲気を漂わせた男女二人組が仲良さげに語らっていた。ますます居心地が悪い。

 とはいえ、せっかく来たからにはこだわりのケーキとやらを頂かないわけにはいかない。彩り鮮やかなメニュー表から、選びに選んで互いに一切れずつ注文する。どうやら食欲の魔物のも、さすがにこのお洒落な空間では人並みの振る舞いに抑えるらしい。
 しばらく経つと、注文していたケーキと飲み物が運ばれてきた。フルーツたっぷりのタルトがテーブルに到着する。色とりどりの桃やオレンジが、柔らかな照明の下でつやつやときらめいた。
「わぁ……おいしそう!」
はうっとりと笑顔を浮かべ、準備が整うのを待った。キルアの前にやってきたのはシンプルなショートケーキ。きめ細かいふわふわした生クリームの上に、鮮やかなイチゴの赤が目を引く。そして二人分の飲み物がセットされたところで、は両手を合わせた。
「いただきまーす」
銀色のフォークが、一口サイズに成形し直したタルトをゆっくりと口元へ運んでいく。はそれを口に含むと、なんとも幸せそうに目尻を下げた。

 向かいで見ていたキルアの口元も、いつの間にか綻んでいた。先ほどまでしつこく胸の中にあった後悔が、溶けるように消えていく。誘われるようにフォークを掴み、まずはふんわりと生地を覆う生クリームを試しにすくい上げた。
「……うま!」
思わず声が出る。クリームを味見しただけでわかるほど、この店のケーキは絶品だった。今度はスポンジと一緒に味わおうとフォークを動かした直後、キルアは向かいからの熱い視線に気がついた。
「そっちもおいしそうだなぁ」
顔を上げると、が瞳を輝かせながらこちらを見ている。一口食うか、と声をかけようとしたところで、なぜだか横からの雑音につい意識が向いてしまった。
「はい、あーん」
女の甘ったるい声とともに、フォークがテーブルの上を通り過ぎる。男の口が先端のケーキを攫ったかと思うと、今度は男が同じ動作を繰り返した。
「あーん」
キルアは思わず唾を飲み込んだ。もしかして、自分たちの間で、今まさにこのやりとりが始まろうとしているのだろうか。

 嫌な汗が流れた。先ほどまでまったくそんなことはなかったのに、なぜだか急に息苦しさを感じ始め、呼吸が深くなる。やけになって口に含んだケーキの味がわからない。どんどんうるさくなっていく鼓動。視線がの唇に吸い寄せられる。そして――の口が、動いた。
「すみません、追加注文いいですか」
キルアはズルズルと椅子から滑り落ちた。

 追加のケーキを前にご満悦のは、ほんの少しやつれた顔のキルアをじっと見つめた。
「今日は連れ出してくれてありがとう」
キルアは口を真一文字に結んだ。自分としても得たものは少なくなかったが、それを言葉にするのはどうにもむず痒い。普段ならば絶対に立ち寄ることのない店で美味しいケーキに出会えた喜び、緩やかな時間の流れるひととき、目の前の彼女の嬉しそうな笑顔。
「このまま負け続けられちゃたまんねーからな」
思い悩んだ末、実際に出てきたのは憎まれ口だけであった。
「うん。もう大丈夫!」
は気にした様子もなくそう言って、再びショートケーキを一口頬張った。顔いっぱいに幸せを滲ませる彼女と目が合い、強張っていたはずのキルアの口元も自然とほどけていく。
「一緒に食べると美味しいね」
「……そりゃよかった」
胸の中に居座るくすぐったさをコーヒーで押し流すように、キルアはゆっくりとカップを煽った。

気分転換。